赤字酒蔵を1年で黒字化した最年少蔵元がつくる「心から誇れる日本酒」

赤字酒蔵を最速で黒字化した最年少蔵元がつくる「心から誇れる日本酒」

今回インタビューを行うのは、千葉県出身で元証券マンの加登仙一さん。彼は2018年3月、新潟県佐渡島で当時、赤字状態であった酒蔵「天領盃(てんりょうはい)」をM&Aして最年少蔵元になりました。

そんな加登さんは現在、1年で会社を黒字化し、2年目になる今期は酒類総合研究所で酒造りを学び、蔵や設備を作り直しながら日本酒づくりに取り組んでいます。

彼が天領盃の蔵元になってから2年。黒字化した後にはじめて手掛けた、ブランド「雅楽代(うたしろ)」も販売しています。

そんな24歳で蔵元になった加登さんに日本酒に夢中になったきっかけや、加登さんが「心から誇れる日本酒」を作ると決めた理由を教えていただきました。

「酒造りを生業(なりわい)にしよう」と思った動機

ー蔵元になった加登さんは、もともと日本酒が好きで、この道を選んだのですか?

正直、日本酒には飲み放題の時に出てくる「罰ゲーム用のお酒」というイメージしかありませんでした。それが変わるきっかけは、大学でスイスに留学したとき、趣味のブレイクダンスの仲間たちとの飲み会でした。

みんなが自分の国の自慢をしている中で、僕は日本のことを全然しゃべれなかったんです。そこで「もっと自分の国のことを知った方がいいんじゃないか」と言われ、カチンときたんですよね。

その時、一番盛り上がったのが自国のお酒の話だったんです。フランスの友人は、いかにワインが素晴らしいかを話し出すと止まらなくて……。

で、調べてみたら日本酒って日本で独自の作り方をしていて、世界に類を見ないお酒だったんです。「これだったらあいつらにも自慢できる」と思ったのが日本酒に興味をもったきっかけでした。

日本酒は年々消費量と生産量が減っていて、斜陽産業のひとつなんです。調べていく中でそれを知って、「日本酒のイメージを変えていくような仕事をしたい」という気持ちが湧いてきました。

ーお酒のイメージを変えていく仕事なら、小売りやメディアという選択もありますが、「蔵元」になりお酒を作ろうと思ったのには理由があるんですか?

高校生の時から、就職するよりも自分で好きなことをやっていきたいと思っていました。でも、調べるうちに分かったのですが、蔵元になるには免許が必要で「新しい免許はまずおりない」というのが現状でした。

ですから「日本酒を自分で作るのは難しそうだな」と行き詰まっていました。そんな時期に就職活動がはじまったので、起業や独立した後に活かせそうな財務や経営面を学べる証券会社に就職しました。

2年ほど証券会社にいたんですが、当時一番よくしてもらってたお客さんに、「日本酒をつくりたいが免許がおりない」という話をしたんです。そこで「だったらM&Aすればいい」と言われたんですよね。証券会社ではM&Aの話がよく出てくるのに、そこに気が付けなかったのは盲点でした。

ー加登さんが、離島である佐渡島という特殊な環境の「天領盃」を選んだポイントは何だったんですか。

酒蔵の売り案件を調べて、気になるところをピックアップしました。後継者がいなくて、かつ赤字で経営難の会社で、商品ラインナップが多くなく、販管費(販売管理費)が高く余分な出費が多いところ。

つまり、買収金額をおさえることができ、簡単にテコ入れできて、管費を削れば早く黒字化がかなう、自分の持ってる知識を最短距離で生かせそうなところを選びました。

完全に財務上でしか見ていなかったので、天領盃に決めてM&Aが成立した時に、「そういえば離島だ」って気づきましたね(笑)。東京に出づらいなどはありますが、今は運賃も国の補助金の一部が出るので、デメリットはあまり感じていません。

1年で赤字から黒字化させた経営方法と従業員との関係

ー24歳で最年少蔵元になりましたが、従業員さんとのやり取りや、経営面で不安なことはなかったんですか?

課題は見えていたので不安はほとんどありませんでした。ただ、従業員さんとは、ケンカをたくさんしましたね。最初に従業員のみなさんには、「品質第一の仕事をしていくつもりだから、楽な仕事をしてお金が欲しいんだったら多分うちにはいづらくなると思います」と伝えました。

辞めてしまった方もいますが、残っている従業員は頑張ってくれています。前の会社の同期も2人一緒に来てくれたり、今はTwitterから連絡をくれた京大生がインターンで働きにきてくれたりもしています。

経営面では、2018年から黒字化しています。そこまで売り上げを上げなくとも無駄を減らせば黒字化できました。ただ、今期からは酒造りにコミットしていきたいので、より効率化しています。

東京の経理代行にアウトソーシングしたり、社内連絡もラインワークスを導入したり。今後は電話番も代行にしようかなと思っています。

設備投資と学びでよりよい酒を、流通経路の確保でより良い顧客を

ー効率化を進めているとのことですが、日本酒もコンピューターなどで管理をしながら作っているんですか?

実は、天領盃って日本で酒造りを半自動化でほぼ機械化した最初の蔵なんです。当時の天領盃の酒量は、一升瓶でいうと50万本、現在は年間販売量は8万本位です。今のうちの規模に合ってないので、現在は逆にコンピューター管理から抜け出そうとしています。

そのためにも設備投資に力を入れていて、今期は、冷蔵庫やタンク、お酒を瓶詰めしたあとに火入れできる設備など、味の品質を高める設備をそろえました。保存環境がある程度整ったので、次は一番、味を左右する原料処理の設備投資を考えています。

ー日本酒づくりはどうやって学んだんですか?

去年も現場で1銘柄だけ酒造りに携わったんですが、2019年の春は一カ月ほど佐渡を離れて、広島県にある酒類総合研究所で酒造りについての研修を受けました。それと、研修で仲良くなった広島の相原酒造の次期蔵元・相原さんのところで秋に一カ月ほど勉強させてもらいました。

酒類総合研究所で知識だけ学ぶのではなく、相原酒造で現場のやり方も教えてもらい、学ぶことの多い2年目になりました。

赤字酒蔵を1年で黒字化した最年少蔵元がつくる「心から誇れる日本酒」

ー加登さんが立ち上げた新ブランド「雅楽代(うたしろ)」の味もさらに向上していきそうですね。こちらはどんな人に飲んで欲しいお酒なんですか。

最初は日本酒のイメージを変えるような、若い人に向けたお酒を考えていました。でも、味覚は世代ではなく、個々の好き好きで違うものです。

みんなに好かれることを意識して、万人受けしようと思うと平凡な味になってしまう。だから今は、自分が好きだって思えるものを突き詰めて「自分が誇れる酒をつくる」ことを目指しています。

今期は今出ている雅楽代の2種、「玉響(たまゆら)」「可惜夜(あたらよ)」のほかに、春夏の季節商品も増やして4~5本での展開を考えています。

ーお酒の知識も、経営や会社の状況としても、本格的に日本酒づくりにコミットできる状況になってきたんですね。会社が変わることで、顧客に変化はありましたか?

今までは問屋さんメインだったんですが、今は新規の酒販店さんとの取引が増えました。きちんと自分を知って、お酒を理解して売ってくれる酒販店さんは、お客さんにもお酒のことを伝えてくれるし、量も売ってくれるすごくありがたい存在です。

そんな関係を築くうちに感じるようになったのが、自分の信頼できる酒販店さんと付き合うと、あとはお酒が勝手に歩いて行ってくれるなということ。

酒販店さんの先には、お酒のよさを理解してくれる飲食店さんがいて、そこに来てるお客さんもお酒を理解してくれる。そういう人たちからの口コミでお酒がさらに広がってくれるんです。

現在は「この人たちにちゃんともっといいお酒を届けたい」と思い、信頼できる酒販店さんに販売を任せて、酒造りに専念することにしました。

ー素早い意思決定、実行力、効率化やデータを重視した会社運営で最速で黒字化し、理想の酒造りを目指している加登さんですが、今後の目標ややっていきたいことはありますか?

お酒造り以外では、就職以外の働き方があることを高校生や大学生に知ってもらえるようなキャリア教育や、中小企業に向けたコンサルタントなども考えています。

赤字酒蔵を1年で黒字化した最年少蔵元がつくる「心から誇れる日本酒」
▲THE REBIRTH~TOKI-ROMAN~のラベルデザイン

あと、THE REBIRTH~TOKI-ROMAN~」というお酒を復刻販売します。ラベルの朱鷺の心臓部分に佐渡を埋め込んでいるこのお酒のコンセプトは、子ども達が「心に佐渡とROMANを持って世界に羽ばたく」活動を支援することです。

佐渡でうまれたこのお酒の収益の一部を、佐渡の子どもたちの活動に寄付したいと思っています。遠征などで海を渡らなければならない、佐渡の子どもたちの負担が減るように使ってもらえるのが理想です。

赤字酒蔵を1年で黒字化した最年少蔵元、加登仙一さんのお話を聞いて

「日本酒のイメージを変えていくような仕事をしたい」その気持ちから始まり、蔵元になってからは、1年半以上休みなく日本酒のために情熱を注いできた加登さん。

そんな、最年少蔵元の加登さんが手掛ける「雅楽代(うたしろ)」は、加登さんの思いや夢という「ストーリー」「浪漫」を感じさせてくれました。この「雅楽代」が、「日本酒のいいイメージを伝えてくれる酒」として、消費者に愛され、どれだけ遠くまで歩いていくのか楽しみです。

加登仙一さんプロフィール

加登仙一さん

1993年生まれ。千葉県出身。大学時代に1年間スイスに留学。留学中の交流の中で「日本」についてや日本酒について興味がうまれ日本酒造りを志す。卒業後は都内の証券会社で営業マンとして勤務。ある経営者からの「M&Aをして酒蔵を買収すれば酒蔵の社長になれるのでは」というアドバイスを受け、後継者不在で経営難に陥っていた新潟県佐渡市の天領盃酒造が売りに出されているのを知り、24歳で自力で資金調達をし、M&A(買収)する。2018年3月から代表取締役社長になり全国最年少の蔵元社長として新しく、うまい酒づくりに挑戦している。

この記事を書いた人

さかもとみき

1986年高知生まれ。広告代理店や旅館勤務を経て、現在は佐渡島でライター・恋愛コラムニストをしています。

※編集部注:「全国最年少蔵元」という表記については2020年1月29日(水)時点の情報となります。