今回インタビューするのは、石川県七尾市でスポーツジム「ノトアフィットネスクラブ」の社長を務め、五児の父でもある小梶崇(こかじしゅう)さん。
関西から石川県の七尾市に移住し、スポーツジムを運営しながら地域を盛り上げる様々なイベントを仕掛け、実行してきました。
最近では、学校運動部活動指導士を取得し、中学生がシュノーケルを着けて地元の海を泳ぐ部活動を民間でスタート。また、地元の高齢者医療を支える総合病院と連携し、遺伝子検査キットを使った個人の健康サポートサービス「ノトアベストコンシェルジュ」をクラウドファンディングで発表すると驚異の4646%のサポートを受け達成。
ほかにもコロナ禍で修学旅行が中止になった中学生たちのために大学生と「オンラインしゅうがくりょこう」を開催するなど地域住民を元気にする取り組みを実現してきた能登地域活性化の立役者です。
なぜスポーツジムの社長はよく新聞に登場し、ジム外でも色んな事をしているのか。小梶さんの原動力と現在、七尾の仲間と取り組んでいる能登の暗号通貨プロジェクトの話をお聞きしました。
型破りな挑戦スタイルはここから生まれた
ー小梶さんは、もともとバイタリティのあるタイプだったんですか?
僕は大阪で育ったのですが、保育園の頃から自分の意思がしっかりあるほうだと思っていて、理不尽を感じたときは脱走していましたね。国道前の保育園だったので先生が鬼の形相で追いかけてきた記憶があります。
また、その頃から「ないものは自分たちでなんとかする」精神を学びました。お小遣いがなかった小学3年生の頃は会社をつくり、コオロギやバッタ、カマキリを虫屋に販売していたんです。ただ、乱獲しすぎて買取価格が値下がりして……。世の中の世知辛さを学びました。
でも、そんなことをしていたのは小学4年生くらいまでで、「どうせ習うなら」と母に強い体操チームに入れられました。それ以降、友達と遊んだ記憶がありません。
中学3年生まで体操を続け、大阪で5位になりました。本気で体操と向き合っていたのですが、中学3年生でケガをして燃え尽きてしまいました。
その後は高校2年生で友達に誘われるまま野球部に入部しました。初心者だったのでルールを覚え、投げる勉強をしたらレギュラー入りし、大阪でベスト8になったんです。それをきっかけに体操が中心だった自分の「スポーツの世界」の可能性が広がりました。
受験シーズンには友人とコンビを組んでお笑いのコンテストに出るとうっかり優勝。高校からラジオ番組を持ち、お笑いの世界に入ったこともありました。ふと気づくと周りは大学2年生になっていました。
大学に通っているみんなが社会に出るまでの2年間は「本気でフリーターをやろう」と決め、目をつぶって求人誌を適当に開き、やりたいことを片っ端からやりました。
そうするうちに、人と接することが好きだと気づいたんです。そこで、小さいころからの夢だった「体育の先生」「大金持ち」「オリンピックで金メダル」のうちひとつ叶えようかなと、紹介いただいたスポーツクラブに就職しました。
何ヶ所か異動を経験し、その地の方と縁を深める度に別れを繰り返すにつれ「このままでいいのか?」と考えていました。悩みの中、当時は一ヶ所で働けないタイプだったのもあり、会社を一回辞めて、オリンピックマラソン銀メダリストのコーチをされていた先生を頼り、アメリカで資格を取得。走る練習を学びにカリフォルニアに行き、日本に帰ってきたら数社からオファーをいただいたんです。
つぶれかけのスポーツジムを立て直す
声をかけてくれた先には、ドラックストアとジムをかけ合わせたスタートアップ新規事業や前向きな条件の会社がいくつかありました。その中に、「つぶれかけのスポーツジムを立て直してくれ」という依頼があったんです。
当時は28歳で独身。「いい経験ができるんじゃないか」という考えが頭をよぎりました。何より、歴史が大好きで能登や七尾城のある歴史ある町にも惹かれました。それが現在住んでいる石川県の七尾市です。
当時の私は出世欲の塊でした。そんな自分が変わったのは七尾に来てからです。
ー何があったんですか?
忘れもしない七尾に来たばかりの2009年の1月。大雪がふったんです。寒いのが苦手だった僕は、入社3日後に「辞めます」といいましたが「めったにないことだから」と諭され、春まで働きました。
このジムは地元で30年以上の歴史がある地元の老舗ジムなのですが、当時オーナーはここをたたむ選択肢も視野に入れて、実際に子どもの事業を手放していました。大人向けにはやっていたのですが、地元では「つぶれた」という噂がたっていたんです。地元住民の「続けて!」の応援でなんとか続けていましたが、大きな赤字を出していました。
どうにかしよう、と僕はチラシの配布を提案しました。反対意見の中、何十万も使って結果は……有効期限が半年切れた頃、おばあちゃんが「これ使える?」と1枚持ってきたのみ。膝から崩れ落ちるような思いでした。
これをきっかけに、今までのやり方では通用しないと理解し、戦国武将の様に勝てる戦略を考えようと燃えました。そこで「ここで人が集まるものは何ですか」とお客様や地元の飲み屋さんに聞いてまわりました。その答えは「祭り」だったんです。
地元のお祭りから積み上げた地元住人との関係
その年、「自分が広告塔になろう」と決め、ほぼ全ての祭りに参加しました。結果、0円で会員数が増えたんです。
石川県の能登には、色んな祭りがいっぱいあります。各地の祭りで僕を知ってもらい、輪が広がると人と人が繋がり、仕事にも繋がっていきました。ここでは小手先やテクニカルな方法では効果がなく、共に汗をかくことが一番繋がれると身をもって知った経験でした。
地元の名士やミスターボランティアと言われる先輩方からも、地域と関わる姿勢を学びました。そのうち、お金じゃないもの、「やりがい」や「地域への向き合い方」への考え方も整理されてきたんです。
会社がどんなに素晴らしいことをしても、会社はしょせん地域の中にあります。地域が弱って少子高齢化すると、小学校は統廃合が続き、人がいなくなり、会社も弱る。地域が弱っているなら自分たちが地域に本気で関わり、元気にすることが、結果的に会社を元気にすると気づいたんです。
ー地元の人の受け入れ方が変わったターニングポイントはありますか?
「小梶さん出てるね」と言われる新聞やテレビメディアの力は大きいですね。今の私があるのは、私たちのやりたいことを真剣に聞いて共感してくれてそれらを納得のいく内容で掲載してくれた新聞記者との出逢いがあったこと。これに尽きます。それからは、色んな企画や面白いことをしている人を新聞に載せてもらいました。
ー小梶さんの関わるプロジェクトは参加者もみんな熱があるのが伝わります。そんな仲間はどうやって集めているんですか?
プロジェクトやその人とどう信頼関係を作ってきたかにもよりますが「僕のために手伝ってください」とお願いしますね。巻き込むときは、その人のいいところを本気で尊敬しているからこそ「あなたが必要です、力を貸してください」と言えます。
今の七尾市なら、「やろう」という思いと、ちょっと踏み出す勇気さえあれば、できないことはないんじゃないかな。僕の役割で、周りから言われて唯一しっくりきた言葉が「焚きつける人」でした。思ったことは信じて疑わない。そうしてプロジェクトに向き合うと、実現していく。ただそれだけなんです。
コロナ禍でターニングポイントとなったできごと
ー色んなことに挑戦し続ける小梶さんのモチベーションはどこからきているんですか?
正直、コロナ禍も重なり、自分が燃えられなくなった時期が数年ありました。コロナ禍は特にスポーツクラブとして「地域にとって僕らの会社ができることってなんだろう」と悩み続ける日々でした。
その中でターニングポイントになったのが、スポーツジムで医療従事者の子どもたちを受け入れる取り組みです。
ちょうどその時期、コロナ陽性者が増え、うちのジムは自粛要請が来ていて手持無沙汰でした。病院では看護師が必要とされている、でも学童も全部休み、行政関係での対応は難しいから子どもは預けられない。
頭に浮かんだのは民間の自分たちが「子どもたちの受け入れをして、安心して病院で働いてもらえる環境をつくろう」ということでした。
もちろん反対の声もありました。ただ、コロナはもちろん、他の病気でも看護師が働けないことで死人が出てしまったら僕は後悔すると思ったんです。悩む前に、すぐに病院に行って「看護師さんのお子さんを預かります」という話をしました。
コロナの感染リスクを考慮しながら人数を絞って受付を開始し、Facebookで声をあげると「その時間僕が持つよ」と、子どもを見てくれる仲間が出てきてくれ、NHKのニュースでもとりあげられました。
地元の空気感や声も大事です。でも、その時は自分で考えて、決めて、実行できた。七尾に来てから地域ファーストで動いてきた自分が久々にした、自分らしい決断・実行でしたね。
七尾からはじめる日本最先端技術への取り組み
ー現在取り組んでいることはありますか?
私が今ワクワクしているのが、七尾商工会議所と金沢大学の生徒で行っている、能登の地域通貨「SATO(サト)」の導入プロジェクトです。
地方の課題で問題になっている原因は大抵お金です。地方の問題をサスティナブルにするには、お金の問題は避けて通れません。
「SATO(サト)」の取り組みで地域循環型にできるお金が誕生すれば、環境維持や福祉に活かせます。
具体的には、能登の里山環境保全活動や人口減少対策、祭りの再生など、地域への貢献活動を貨幣価値に換算して1SATO=1円として支払い、地元の商店で飲食などに利用できる仕組みです。
6月にはプレイベントとして七尾城跡で市民や学生と周辺のゴミ拾いを行い、その対価として「SATO(サト)」を受け取り、まちで食事をしました。SATOは安全性を高めた暗号通貨(クリプトキャッシュ)なので、スマホのアプリ上で支払いができます。2025年の実装を目指して、地域課題を解決するモデルケースになれるようにしていきたいですね。
ー地方×暗号通貨技術は新しいですね!
僕は、この地域で働き、5人の子どもの子育てをしています。万が一のことを考えたら「お金」も残さなければいけない。だから「できることってなんだろう」といつも考えていますね。
私は、ここを「チャレンジフィールド七尾」といつも言っています。やりたいことと、少しの勇気を出して踏み出していけば出来ないことがない地域が今の七尾市です。
1人で祭りに参加していた頃よりも、この10年ほどで様々なプレイヤーが増え、地域の力が一気に加速してきました。自分のような移住者だけじゃなく、地元の人の変化も大きいです。
スポーツは、する人(実行者プレイヤー)、みる人(観客)、支える人(スタッフ)がいます。そのスポーツの輪がさらに広がるためには、応援や発信、イベントへの参加、最終的には自分たちがやる側になることが必要です。今後はさらに「集まる(応援・援助)」「知る(学ぶ・データ化)」が進んでいきます。
これは地域での活動も同じことがいえます。今まではその輪が小さかったのですが、活動し、発信していくことでだんだん輪が広がってきました。
今後も、町の人の健康や元気を担うスポーツジムに留まらない、新たな「できる」を考えながら、想像できないくらいワクワクする未来をつくっていきたいです。
是非、石川県七尾市へ来てください!!!
インタビューを終えて
一見、スポーツジムの枠をはみ出して見える小梶さんの活動ですが、話を聞いていくと「会社を元気にするためにも地域を元気にする」という軸がありました。
10年前「ここには何もない」が地元住人の口癖だった七尾市。今では日本の最先端技術を取り入れ、地元の課題解決のために動いている大人たちがたくさんいます。
大人たちが本気で祭りを楽しみ、小梶さんの様に夢を実現させ続ける大人がいる七尾市で、次はどんな挑戦が行われていくか楽しみです。
HP:https://www.notoa.jp/
ノトアフィットネスクラブ
社 長・総支配人
学校運動部活動指導士
スポーツクラブ再生やプロジェクトでスポーツ業界と地域を繋ぐ。
「選択肢のある世の中を‼」がモットー。 移住者仲間で会社を立ち上げ、カフェ&ゲストハウス運営や、「おっ!!」で世界を輝かせる企画運営伴走中。
ケアラー、スポーツクラブ再生、人を元気にする・焚きつけるのが得意。歴史大好き。人との関りは礼儀正しく遠慮なく。「好奇心」と「感動」に心が動く。
健康寿命の延伸をテーマに掲げ、高齢者向けにフレイル予防として始まった「Foot活サンダル」プロジェクトではMakuakeにて847%の支持を得て達成。
クラウドファンディングを通して様々な多くのまちおこしを成功させてきた地域活性化の立役者。