今回インタビューを行うのは、佐渡島出身の野口菜々さん。
彼女は大学卒業後、後継者がおらず廃業の危機にあった佐渡島の特産品「かやの実」を使用した菓子製造事業「かやの実会」を引き継ぎ、2代目社長となりました。
23歳で事業を継ぎ3年目。島に帰るつもりのなかった彼女が「地元に帰る事を決めた理由」、そして「継業の難しさ」や「自身が抱いている野望」について語っていただきました。
社会人の経験なしに「社長になる選択」ができたのは
ー新卒で就職せずに地元に帰って事業を継ぐことができたのは、地元愛が強かったり、何かやりたい事があったからなのでしょうか?
大学進学で島を離れるとき「島には絶対帰ってこないだろうな」と思ってました。それは幼いころから国際協力や貧困問題、児童労働など、海外に興味があり、国際NGOなどで働きたいと思っていたからです。島に帰ってきた事に、自分が一番びっくりしています。
ーそんな野口さんが地元に帰ってくることにした理由はなんだったんですか?
島に帰って来た理由は、「郷土愛」と「やりたいことが佐渡にあったから」です。大学の研修で海外に行って、はじめて外側から日本や故郷をみて「このきれいな海も、大きな森も、おいしいごはんやお魚も当たり前なんじゃない。自分には守るべき誇りある生まれ故郷がある」ということに気付きました。
今までは「日本は経済的に恵まれてるから海外に支援すべきだ」と考えていました。しかし、あらめて海外に出て日本を見た時に、『世界平和は各家の食卓から』という言葉があるように、「他国を支援する前に、まず自分たちの土台を構築することが大切なのでは?」という考え方に変わっていきました。
ーもともと帰ることを決めていたわけじゃなかったんですね。就職活動は全く行わずにこの道を選んだんですか?
就活はしていました。しかし、選考がすすむにつれ、うれしい気持ちと「自分はこれでいいのかな」という迷いが出てきました。そんな迷いが出るのと同時に、ダイレクトに佐渡のためになる仕事がしたいという気持ちが大きくなってきました。
「仕事がないなら自分でつくろう」継業を選んだ理由
ー「継業」をするきっかけになったのはなんだったんですか?
実際に、佐渡で仕事を探すと、仕事が限られていました。「帰りたいけど、仕事がないから帰れない」という同級生もいる程でした。そこで考えたのが、仕事がないと諦めず「仕事がないならいっそのこと自分で作ろう」という事でした。
そう思ったタイミングで、母親の知り合いだった「かやの実会」の笠木隆子さんと出会い、「かやの実会」のお仕事についてお伺うことができました。
「かやの実」は赤泊地区の特産品で、私にとっては生まれたころから身近にあるものでした。ところが、かやは食べるまでの工程が多く、手間がかかるのと、近年は安いナッツなどが流通した事により、佐渡島でも、かやの実を食べることも少なくなっていました。
笠木さん自身、かやの実でもっと地元を元気にできるとお話ししてくださる反面、ご高齢で後継者もおらず、もうそろそろ事業を畳もうかとお話されていました。
故郷のためになる仕事を見つけたいと思っていた私の前で、地元の特産品を生かした事業が消えてしまいそうになっていたんです。そこで、笠木さんに「私にぜひ継がせてください」とお願いして今に至ります。
もしもこの道で少しでも花開くことができたら、若い世代の子たちも「仕事がないから帰れない」ではなく、仕事を作るという選択肢があってもいいんだと思ってくれるのではないかと思うのです。
佐渡での職業選択の幅を少しでも広げたい。そして「個人事業主」「経営者」という選択肢が自然に存在するような社会にできればとも思います。
もちろんそれはとても難しく、時間のかかることだと思います。だからこそ、自分の人生をかける価値のある課題であると感じています。
社会人の経験なしの社長業で困ったことや、つらかったこと
ー新卒ですぐ継業する事を決めることができたのはなぜですか?
まず働く事について私が考えているのが「働く」って「生きる」ことに近いと言うことです。そこに自分の納得できる意味を見いだしたいと考えています。
その上で、自分は何のために生きていきたいのかを考えた時、「東京では、お金をだせば、おいしいもの、新しいもの、きれいなもの、なんでも手に入った」けれど「自分の生まれ故郷は決してお金では買えない。故郷に帰って、故郷のために生きよう」と思えました。
そう思いながらも、迷いました。その末に「どの道が後悔せず、なおかつ一番楽しそうか」そして、「正しい道」を選ぶのではなく「自分の選んだ道を正しくする」という思いで進んでいこうと決めました。
進学、就職、独立。自分には選択肢がいくつかありましたが、経済的な不安など、さまざまな要素を省き純粋に仕事内容や進んでいくであろう道を考えたときに、断トツで「かやの実会」を継ぐ道が楽しそうだと感じました。
個人事業主なら、パッケージや、売り場、ポップもかわいく全部自分でカスタマイズできて、新商品の開発もできる。自分の信念、軸もここに持てる。
また、タイミングの要素も大きかったです。お話をきいたとき、すでに笠木さんが80代後半とご高齢で、体調も芳しくなかったのですぐにでも継ぐ必要がありました。
ただ、今思うと、この道を選べたのは若くて無知だったからというのはあります。1~2年目は想定外のことの連続で本当にびっくりしました。
ーやりたいことが見つかり、タイミングもかみ合ったんですね。実際に事業をはじめて難しかったことはどんなことですか?
当初はお菓子の製造も、行政手続きもわからないことだらけで本当に余裕がなく、自分の未熟さを痛感することの連続でした。
その中でも、周囲の視線や反対意見も多く、認めてもらうことの難しさがありました。「女の子なんだから大学をでて就職して、結婚して子どもを産むのが親孝行だろう」って最初は反対をされました。
しかし私は、親の想像をこえて成長していくことも親孝行だと思っています。今のお仕事は、私を成長させてくれるし、自分の人生を賭ける価値があると思っています。だから「私がやりたいし、私の人生私が責任を取るからやらせて欲しい」と伝え、継業しました。今ではありがたいことに家族や周囲の方々も「なかなかやっとるやねーか」と応援してく出さるようになりました。
また、継ぐことを決めて、お取引先さまに認めてもらうのも時間がかかりました。はじめお客様と接する中で、ごあいさつしても「本当におまえで大丈夫か」という感じの対応もあり……緊張とプレッシャーの日々でした。でも、「これから信頼と実績を積んで頑張るしかない」と腹をくくる良いきっかけにもなりました。
ー事業を受け継ぐ「継業」のむずかしさはどんなところですか?
すでにできあがっている事業は、先代の意思ややりたいことが詰め込まれています。引き継ぐ段階ですれ違いや不手際があると、お互いに予想外の展開に陥りかねません。
経営者が変わると、やり方が変わるのは仕方ないことです。手続きやシステムも時代の流れと共に変化してくこともあります。
しかし、「変える」ことはデリケートな部分なので、先代に何度も気持ちと必要性を伝えながらすすめました。お互いに真剣に、たくさんの話し合いをもたせてもらいました。それを通して私の覚悟が決まっていったのも確かです。
先代からすると、自分と一緒に過ごしてきた我が子の様に大切な事業だから、自分でたたむ選択をしたいという経営者がいらっしゃるのも事実です
そんな中、「継がせてください!」とお願いした自分に先代が答え、喜んでくださったのは、ありがたことでした。今では「好きにやったらいいよ」と、助言をいただきながら、私のやり方も受け入れていただいています。
2代目になって早3年目ですが、ありがたいことにこの道に来て後悔したことは一瞬もありません。この道に来ていなければ、きっとお会いすることのなかった方々がたくさんいらっしゃいます。
大切な皆さんとの貴重なご縁が、継業を決めたあのころの自分の選択を肯定してくれている。こんなにありがたいことはありません。
田舎のお菓子事業の可能性と今後の野望
ーつくられた道があるからこそ、継業には難しい部分もあるんですね。時代と共に商品や販売方法もどんどん変化していく必要もある中、人口減少が激しい地方で継業したお菓子作り事業の勝機はどこにあるのでしょうか。
正直、最初2~3年は収入はないだろうなって思っていました。おかげさまで、事業を続ける中で、少しずつお取引先も増え、最近は新規の取引先と先代から引き継いだお客様がちょうど半々くらいになりました。
今後、改革していけるチャンスがある商品は「お土産品」だと思っています。現在並んでいるお土産はメイドイン佐渡のものが少ないんです。
だから地元産の商品のクオリティをあげることで、地元の良いところ、「かやの実」を知ってもらえるきっかけをつくれるんじゃないかと思っています。
田舎は何にもないと思われがちです。しかし実際は、ないものなんて、ない。素材は全てある。あとは自分がそれをどう調理するのかそこが経営者の腕の見せ所であり、やりがいや楽しさにつながっていくのではと思っています。
ー実際にやってみる中で手ごたえと可能性をつかんできたんですね。そんな野口さんがこれから実現していきたいことはどんなことですか?
やりたいことは、まず直売店など自分の拠点を持つこと。そして同じ思いを持つ仲間と共にかやの実会を盛り立てていくことです。
かやの木は、成木になるまでに約300年かかるといわれています。今、樹齢600年以上のかや木が、佐渡には数多く存在しています。私たちのご先祖様を、そしてこの土地を何百年も見守り続けてきた。そんなかやの木が仕事のパートナーでもあるのはとても光栄なことだと思っています。
私が先代から引き継いだように、かやの木が見守ってくれている中で、「この事業を継ぎたい」と思ってもらえる事業になるよう、三代目に向けてこのバトンをつなげていきたいと思っています。
そして、私の人生をみて、若い世代の子たちが起業や継業に興味を持ってくれたり、行動するきっかけになってくれるとうれしいです。
ゆくゆくは、「新しいことをやりたい」、「伝統を守りたい」という人が経済的な理由などに臆せず挑戦していける環境をつくりたいと思っています。
そんなことができれば、伝統継承を私たちの代で終わらすのではなく、続かせて100年先にも残せるかもしれない。守っていきたい故郷の大切なものを未来につなげる投資ができるくらいに事業を大きくする、それが私の野望です。
お世話になっている皆様へ、そして愛する生まれ故郷に少しでもご恩返しができるよう、これからも精一杯精進していきたいと思っています。
野口さんの「新卒Uターンで継業した女子の野望」を聞いて
新卒で、どの企業につとめるかだけが、「働く」ことの選択肢ではありません。野口さんの様に、起業や継業で自分の事業をつくるのも「働く」ひとつの選択肢です。
継業には、それならではの難しさはあります。しかし、価値のあるものに時代に合わせた戦略や勝機をみいだし、仕事を大きくしたり、次の世代につなげていく挑戦もできます。仕事をつくること、継承することも、これから仕事を選ぶ人の選択肢になっていくのではないでしょうか。
さかもとみき
1986年高知生まれ。広告代理店や旅館勤務を経て、現在は佐渡島でライター・恋愛コラムニストをしています。
新潟県佐渡市出身。大学を卒業後、2017年に菓子製造事業「かやの実会」を継業し、2代目の代表に。赤泊地区特産品「かやの実」を使った菓子製造やかやの木の保全活動も行っている。
■関連サイト ・
「かやの実会」ホームページ ・「かやの実会」Facebook