誰かを怒らせてしまった時に使われる「逆鱗に触れる」という言葉。実は間違えて使ってしまっている人も多い言葉です。「逆鱗に触れる」の正しい意味や読み方をはじめ、使い方も例文を交えて解説。さらに、由来や類語も解説しますので、参考にしてみてください。
「逆鱗に触れる」の意味と読み方とは
「逆鱗に触れる」の読み方は「げきりんにふれる」
「逆鱗に触れる」は、「げきりんにふれる」と読みます。「逆鱗」とは、龍の顎の下、喉元のあたりにあるとされる、一枚だけ逆さに生えた鱗(うろこ)のことをいいます。
龍は大蛇のような体に、頭には角が二本、背には八一枚の鱗、四本の足にはそれぞれ五本の指があり、顔は長く耳があり、口の周りには長いひげが生えているとされる想像上の動物です。
「逆鱗に触れる」の意味は「天子の怒りにふれる」
「逆鱗に触れる」には、「天子の怒りにふれる」「目上の人を激しく怒らせる」という意味があります。「天子」とは天、つまり神の命令を受け国を治める人であり、皇帝や天皇のことです。
「逆鱗に触れる」は、君主や目上の人、上司などの機嫌を損ね、激しく怒らせてしまうことを指して使う言葉ですが、現代では「目上の人を激しく怒らせる」の意味で使うのが一般的です。
「逆鱗に触れる」の由来は中国の故事
「逆鱗に触れる」の由来は、中国の故事です。中国の戦国時代末期の思想家である韓非の言説を集めた『韓非子(かんぴし)』という書の「説難(ぜいなん)」に記されているたとえ話が由来です。
「説難」では、君主を説得する難しさを「龍は、上手く手なずければ乗りこなすこともできる。しかし、『其の喉の下に逆鱗有り(その喉の下には逆鱗がある)』。もしも、これに触ってしまえば、必ず龍に殺されてしまう。それと同じように、君主にも逆鱗がある。それに触れないように立ち回れるなら、君主の説得は成功したも同然だろう」と説明しています。
このように、「逆鱗に触れる」は君主に使える際の心掛けを説いたものでしたが、ここから転じて、目上の人を怒らせてしまうことを指して使われるようになりました。
「逆鱗に触れる」の使い方とは
「逆鱗に触れる」は年下の人や目下の人には使わない
上記でも説明した通り、「逆鱗に触れる」は目上の人を怒らせてしまった時に使う表現です。年下の人や目下の人はもちろん、対等な関係にある人を怒らせてしまった場合には、「逆鱗に触れる」は使いません。
また、誰かが自分を怒らせたという場合に使うのも間違いです。「彼は私の逆鱗に触れた」とは言いませんので、注意しましょう。
「逆鱗に触れる」を使った例文
- 社長の肝いりの企画に意見したことが逆鱗に触れ、彼は出世コースから外されてしまった。
- 将軍の飼い犬を笑ったことが逆鱗に触れ、私は投獄された。
「逆鱗に触れる」の類語とは
「不興を買う(ふきょうをかう)」
「不興を買う(ふきょうをかう)」には、「相手を不機嫌にさせる」「自分のせいで相手が機嫌を損ねる」などの意味があり、主に目上の人に対して使われます。
何か言ってはいけないことを言ってしまい、目上の人を不機嫌にしてしまった時に使う「不興を買う」。「逆鱗に触れる」が目上の人を激怒させてしまっているのに対し、「不興を買う」は激怒とまではいかず、機嫌が悪くなった状態を指す表現だと覚えておきましょう。
「勘気に触れる(かんきにふれる)」
「勘気に触れる(かんきにふれる)」は、「主君や親などから咎めを受ける」ことをいいます。「勘気」は、元々「主君や親からの咎めを受けること」という意味がありましたが、現在では「目上の人からの咎めを受けること」という広い意味で使われています。
「勘気に触れる」には、目上の人の怒りに触れてしまった後、非難や罰を受ける、というニュアンスが含まれていることが、「逆鱗に触れる」との違いです。
「琴線に触れる」はまったく別の意味の言葉
「逆鱗に触れる」と混同してしまう人の多い「琴線に触れる(きんせんにふれる)」という言葉ですが、これはまったく別の意味を持つ言葉です。
「琴線に触れる」の意味は、「感銘や深い共感を覚えること」です。物事を見たり聞いたりして感動する様子を、琴の糸が触れられて鳴る様子に例えています。
怒りに触れてしまう「逆鱗に触れる」とは、まったく意味が異なりますので、間違わないように注意しましょう。
「逆鱗に触れる」以外の龍にまつわる故事成語とは
「画竜点睛(がりょうてんせい)」
「逆鱗に触れる」のように、故事が元となってできた言葉を故事成語といいます。「逆鱗に触れる」と同じように、「龍」にまつわる故事成語を二つご紹介しましょう。
「画竜点睛(がりょうてんせい)」は、「物事を完成する際、最後に付け加える肝心な部分のこと」「物事の最も大切な部分のこと」という意味の故事成語です。「点睛」の「睛」は、「晴」ではなく「瞳」「目玉」を意味する字です。
出典は中国、唐代の画史書『歴代名画記(れきだいめいがき)』。中国六朝(りくちょう)時代、梁(りょう)の絵の名人である張僧繇(ちょうそうよう)が、四頭の竜の絵を描きましたが、睛(ひとみ)を描くと竜が飛び去ってしまう、と言って、睛を描きませんでした。人々はそれを噓だと言って信じず、睛を無理矢理描き入れさせたところ、二頭の竜がたちまち天に昇っていった、という故事に由来しています。
「画竜点睛」は、「画竜点睛を欠く」として使われることが多く、「画竜点睛を欠く」は、「肝心な仕上げができていないこと」「詰めが甘いこと」を意味します。
「飛龍天に在り(ひりょうてんにあり)」
「飛龍天に在り(ひりょうてんにあり)」は、「竜がそのところを得て天にいる」ことを意味しており、「聖人が天子の位にあり、万民がその恩沢を受ける」ことをたとえた言葉です。儒教の経典、四書五経の一つ『易経(えききょう)』の「乾卦」が語源となっています。
まとめ
「逆鱗に触れる」は、「天子の怒りにふれる」「目上の人を激しく怒らせる」という意味があり、君主や目上の人、上司などの機嫌を損ね、激しく怒らせてしまうことを指して使う故事成語です。現代では「目上の人を激しく怒らせる」の意味で使うのが一般的になっています。