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「人間万事塞翁が馬」の意味とは?読み方・使い方と類語も

座右の銘とする人も多い「人間万事塞翁が馬」【にんげん(じんかん)ばんじさいおうがうま】という格言の意味を知っていますか?学校で習った気がするけれど、内容は正確に覚えていないという人が多いかもしれません。

人の生き方を教える言葉「人間万事塞翁が馬」について、その由来と意味を掘り下げて解説し、具体的な使い方も紹介しますので参考にしてください。

「人間万事塞翁が馬」とは?

まずはじめに読み方と意味を紹介し、次にその言葉の由来を解説してゆきます。

「禍福は予測ができないものだ」という意味の逸話が起源

「人間万事塞翁が馬」の意味は、「禍い(不幸)や福(幸福)は予測ができないものだ」です。

「人間万事塞翁が馬」の意味はさまざまな解釈があるが、その要因としては、由来が中国の古い思想書に書かれた漢文の寓話であるということや、その思想書の背景には異なる思想を融合した老荘思想があることなどが挙げられます。

読み方は「にんげんばんじさいおうがうま」

「人間万事塞翁が馬」は「にんげんばんじさいおうがうま」と読みます。「塞翁(さいおう)」とは「塞(とりで)」に住む「翁(老人)」という意味です。「人間」は詳細は後述しますが「人」の意味ではなく、「ジンカン」と音読みする読み方もあります。

また「塞翁が馬(さいおうがうま)」だけで用いられることもあります。

「人間万事塞翁が馬」の原文

「淮南子」の人間訓に原文がある

由来となったのは「淮南子(えなんじ)」という紀元前に中国で編さんされた思想書です。これは古代中国人の思想や宇宙観が体系的に記述されたもので、雑家の書とされています。

淮南子は21篇から成り、その中の第18篇「人間訓」に「人間万事塞翁が馬」のことわざの由来である逸話の原文があります。「人間万事塞翁が馬」の言葉がそのまま書かれているわけではなく、漢文で書かれたお話しが書かれています。

そのあらすじは、老人の馬が逃げたところ、その馬が優れた別の馬を連れて帰ってきた。今度は老人の子供がその馬から落馬して足を折ったが、そのおかげで兵役を逃れて命が助かった。というものです。

塞翁の馬を巡る【禍⇒福⇒禍⇒福】のお話しとなっているわけです。この逸話は「禍福は予測ができないものだ」ということを伝えています。そのことから「塞翁が馬」の教訓が生まれました。

「人間訓」の「人間」とは「世間」の意味

また、この逸話が書かれている第18篇「人間訓」の古い日本語訳には「人世の利害禍福等について述べたもの」と冒頭に記されています。

日本語で「人間」というと「人」のことですが、中国語で「人間」は「世間」という意味です。「人世(じんせい)」とは「世間」という意味です。

そのことから、「人間万事塞翁が馬」の「人間」は「人」ではなく「世間」のことを指しているという解釈ができます。このことを踏まえて言葉の意味を付け加えると、「世の中に起きる悪いことも良いことも予期できず、それに振り回されてはならない」という格言だというのがもう少し深い意味となります。

いずれにせよ、人の生き方を戒める言葉であることは変わりがないため、「世の中に起こること」でも「人生に起こること」でもどちらの解釈でも意味はかわらないといえるでしょう。

老荘思想を背景とした戒めの故事成語

さらに、「淮南子」は道教の老荘思想を基本とした修身論であり、人と自然との関わり方を重視しています。

淮南子の教えの骨子は「人間社会に起こるさまざまな欲望を追及せず、自然と一体となる本来の自分を守ることが大切である」ということです。簡単に言うなら「ありのままを大切にしなさい」という意味です。

その教えを頭に入れて「塞翁が馬」のエピソードを考えてみると、この寓話の奥に広がる壮大な思想を読み取ることができるでしょう。

「人間万事塞翁が馬」の使い方

「人間万事塞翁が馬」には先に説明した事柄から、さまざまな解釈がされています。言葉の意味と解釈は別であるため、それぞれの解釈で用いるのは問題ありません。というより、さまざまに解釈をして座右の銘としたり、心のうちに秘めて大切にするのが格言であるといえるでしょう。

一般的に用いられるさまざまな解釈

使い方の例文を紹介する前に、一般的に用いられているさまざまな解釈を紹介します。

  • 不幸や幸福は予測ができないのだから、安易に悲しんだり喜んだりするべきではない
  • 人間の禍福は変転を繰り返し定まることが無いというたとえ
  • 幸運は喜ぶことでもなく、不幸は悲しむにも足らないことであるとのたとえ
  • 世の中で起きることは全く予想がつかないという意味
  • 人生は予測ができないことでできているので、起こることに意味はない
  • 幸不幸は予期できず、何が禍福に転じるかはわからない

使い方の事例

ある元外務大臣の言葉が次のように新聞などに掲載されことがありました。

人生で経験することに無駄はない。「塞翁が馬」という言葉の通りです。

その言葉の意味とは、それぞれの仕事で学んだことは、次の仕事の役に立っている。だから何を選択しても大丈夫だ。ということだといいます。

「ありのままの自分を大切にする」という教えが「塞翁が馬」に含まれていることを読み取れる良い事例といえるのではないでしょうか。

「人間万事塞翁が馬」の類語

最後に類語を紹介します。似ているようで似ていない、類語の意味を味わってみてください。

類語①「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」の意味

人生を川の瀬の浮き沈みに見立てて、不運があっても、そればかりではないから落ち込まないことだ、という意味のことわざです。

類語②「禍福は糾える縄の如し」の意味

「かふくはあざなえるなわのごとし」と読み、交差する縄の表裏をたとえて、幸福と不幸は表裏一体となってやってくるものだという意味のことわざです。

まとめ

「人間万事塞翁が馬」は二千年以上も前に書かれた思想書から生まれた故事成語です。「世の中に起きる悪いことも良いことも予期できず、それに振り回されてはならない」という意味で、座右の銘としている人も多い教訓の言葉です。

この言葉に出会う人生のタイミングによって、受け取る印象や、その言葉の重みが変わる格言といえるのではないでしょうか。二千年の間に、どれほどの人たちがこの言葉に思いを馳せたのかを考えてみるのもまた、理解の助けとなることと思います。