「三位一体」という表現があります。もともとはキリスト教の用語ですが、一般的な言葉としても使われています。この記事では「三位一体」の起源や意味を紹介するとともに、ビジネスなどでも使える一般的な使い方を紹介します。
「三位一体」とは?
「三位一体」の意味は”神は「父・子・聖霊」が結合した存在である”
「三位一体」の意味は、“神は「父・子・聖霊」が結合した存在であること”です。
「父・子・聖霊」の三つが一体となった「唯一神」であるとするキリスト教の教えです。「父」は神、「子」はキリストのことです。そして「聖霊」とは、イエス・キリストが天に昇ったあとに弟子たちの前に現れ、神と人間をつなぐ働きをする存在です。
カトリック、プロテスタント、東方正教会の三大教派をはじめとするほとんどのキリスト教派で信仰されています。
「三位一体」は英語で”Trinity”
「三位一体」の英語は「Trinity」です。「父・子・聖霊」は「God the Father, the Son, and the Holy Ghost ( Holy Spirit )」と表されるのが一般的です。「父なる神、子(なるキリスト)、そして聖霊」という意味です。
「三位一体」の起源は”聖書の解釈”
聖書には、父なる神から子なるキリストが生まれ、父と子を通して精霊が出でるという教えが示されますが、明確な概念や言葉としては説明されていません。イエス・キリストが神の子であることを示す場面は次のように書かれています。
ヨハネがヨルダン川でイエスに洗礼を授けたとき、「This is my beloved son, in whom I am well pleased.(これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者)」という天からの声が聞こえます。
イエスが山で変容するときにも「This is my Son, the Beloved.(これはわたしの最愛の子)」という天からの声が聞こえます。これらの聖書の記述が、イエスが神の子であることを示すものとされています。
「三位一体」論の間違いについて議論がある
キリスト教の教義が確立する過程において、三位一体論やキリストの神性についてさまざまな解釈が生まれ、キリスト教の分裂が危惧されることになりました。4世紀の当時、キリスト教をローマ帝国の支配に利用しようと考えていた皇帝コンスタンティヌス1世は、325年にニカイア公会議を開き、打開をはかります。
会議では、「キリストは神か人か」の論争が行われ、最終的に「父と同一の実体」を認め、三位一体論が教理として定式化されました。
当初の定式では、聖霊の関係は「父より出ずる聖霊」とされましたが、西方教会はのちに「父と子より出ずる聖霊」と子の関係をそれに付け加えました。すると定式の変更を認めない東方教会から批判が起り、論争に発展しました。和解の話し合いは何度も行われましたが、解決には至っていません。
キリスト教以外での「三位一体」の意味と使い方とは?
キリスト教の用語意外で「三位一体」が使われることがあります。その意味と使い方を紹介します。
「三位一体」とは”三者が一体になる”という意味
「三位一体」はキリスト教の用語ですが、転じてキリスト教とは関係なく「三つのものが本質において一つのものであること」または「三者が(心を合わせて)一体になること」という意味で一般に使われることもあります。
使い方の例:「三位一体改革」
2002年の経済財政諮問会議において「三位一体改革」が提示され、「三位一体」の言葉が使われました。「三位一体改革」とは、行財政システムの三つの改革として「国庫補助負担金を減らす」「税財源の地方への移譲」「地方交付税の見直し」を示したものです。これらを一度に行うという意味で「三位一体」の語が使われたものと思われます。
「三位一体の改革」「三位一体の構造改革」というような言葉を耳にした記憶のある人もいるかと思います。このような、三つの異なる策を同事に行うというような場合に、「三位一体の〇〇」というようにビジネスでも使うことができます。
使い方の例:「政官民三位一体」
「政官民」とは「政治・官僚・民間」を一般的に意味します。これらの三つの異なる立場の人や団体が一体となって物事を行うとき、「政官民一体となって」または「政官民三位一体となって」などと表現されます。
「一体となって」よりも「三位一体となって」とした方が、より一層の訴求力を示すことができるといえます。
「三位一体」の類語とは?
複数のものが一体化しているさまを表す「三位一体」の類語を紹介します。
類語①「一心同体」は複数の人間が強く結びつく様子
「一心同体」は複数の人間が、心も体も一つになるほど強く結びつくことを意味します。
「永年連れ添った一心同体の夫婦」「チーム一心同体となって戦う」など、人間の様子について使われます。
類語②「渾然一体」(混然一体)はさまざまなものが混ざり合って一体となる様子
「渾然一体(こんぜんいったい)」または「混然一体」は、さまざまなものが混ざり合ってたり融け合ったりして、一体となることを意味します。秩序のない状態で一体となっている様子を表すときにも用いられます。
「食材すべてが渾然一体となってうま味が作られる」「さまざまな音が渾然一体となった様子はカオスのようだった」などと使われます。
まとめ
「父・子・聖霊」を信仰の対象とする「三位一体」はキリスト教の教えですが、転じて三つのものが一体化しているさまを表す言葉として一般的にも使われています。「政官民三位一体」などのように、種類や性質の異なる三つの事柄が一体となる様子を強調する目的で使うことができます。
主要三部門が一体となって開発に取り組むときなどに、部門名と三位一体の言葉を入れてスローガンを作ることもできるでしょう。