先日友人が「晴耕雨読な生活を送りたい」と言っていたのですが、一体「晴耕雨読な生活」とはどんな生活なのでしょうか。
今回の記事では「晴耕雨読」の意味と語源、晴耕雨読の正しい使い方を例文を使って解説します。また類語・対義語に英語表現、そして現代における晴耕雨読な暮らし方についても紹介します。
「晴耕雨読」とは?
「晴耕雨読」の意味は”晴れた日は田畑を耕し、雨の日は書を読むこと”
「晴耕雨読」の意味は、“晴れた日には外に手で田畑を耕し、雨の日は書を読むこと”です。読み方は、「せいこううどく」です。晴れた日には体を使って汗を流し、雨の日には読書によって頭を使える喜びを味わえる生活が、人にとって理想的な生活だと伝えている四字熟語です。
また田園に閑居する自適な生活なため「悠々自適な生活を送ること」という意味でも使われます。
堕落したといったマイナスのイメージはない
「晴耕雨読な生活」が「自分のしたいがままの生活」というように捉えられて、「晴耕雨読」の意味を堕落した人の生活ぶりといった意味で解釈されることがあります。
しかし「晴耕雨読」とはただのんびり暮らしているという意味ではなく、晴れた日には外に出て畑を耕しているわけで労働をしていないわけではありません。
気候などの自然界の流れに合わせた生活をしているのであって、それ以上に無理をしないという意味です。
決して楽して暮らすという意味ではないので、間違って解釈しないように注意しましょう。
「晴耕雨読」の語源には2説あり
「晴耕雨読」の語源ですが、最も有力説として語られるのが明治時代の文学者で塩谷節山(えんやせつざん)のかいた漢文詩を後も語源とする説です。塩谷節山が「晴耕雨読、悠遊するに足る」と書いたところから「晴耕雨読」が生まれたと言われているのですが、残念ながらその確証はありません。
一方、塩谷節山が活躍したほぼ同時期である1989年に出版された『少年文庫.第二集』のなかに吉田丹三郎の漢文「晴耕雨読楼記」が収められています。ここにも「晴耕雨読」の文字があり、この漢詩が語源になった可能性もあります。
諸説ありますが、少なくとも1989年の段階で「晴耕雨読」という言葉が使われていたということはわかりました。
「晴耕雨読」の使い方と例文とは?
無理のない生活ぶりを表すときに使う
「晴耕雨読」とは天候に合わせた無理のない生活ぶりや悠々自適な生活を送っている様子を表すときに使われます。人の顔色に左右されることなく自分のペースで生活ができることから、世間の煩わしさから離れた生活を送っていて、それをうらやましいと思われることもあります。
こうした暮らしぶりから「晴耕雨読」は、若い人に対して使われるよりも老後の生活の理想として使われることが多いようです。
「晴耕雨読」を使った例文
「晴耕雨読」を使った例文を見ていきましょう。
- 「彼は晴耕雨読な生活を送っている」
- 「もうすぐ退職。これで晴耕雨読の生活ができる」
- 「晴耕雨読を楽しむために、田舎に引っ越すことにしたよ」
「晴耕雨読」の類語と対義語とは?
「晴耕雨読」の類語は”悠々自適”
- 悠々自適(ゆうゆうじてき)
「俗世を離れて、自分のしたいがままに心静かに生活をすること」という意味です。
例:「悠々自適な生活」
「晴耕雨読」の対義語は”多事多端”
- 「多事多端」(たじたたん)
「仕事が多くて非常に忙しいさま」という意味です。
例:「多事多端の折」
「晴耕雨読」の英語表現とは?
「晴耕雨読」の状況をそのまま英訳する
「晴耕雨読」を英語に直そうと思っても、それに見合う単刀直入な英語表現はありません。そのため「晴耕雨読」の状況を英語で描写することになります。
例文は次のようになります。
- “plowing the field on fine days and reading books on wet days”
- “working in the field in fine weather and reading at home in rainy weather”
「晴れた日には畑を耕し、雨の日は本を読む」
晴耕雨読な生活とは?
諸葛孔明のような生き方
晴耕雨読な生活をした人物として挙げられるのが、『三国志』で有名な人物の一人「諸葛孔明」です。
諸葛孔明(生181年~没234年)は、中国は三国時代の蜀漢(しょくかん)の政治家であり戦略家でした。しかし劉備(りゅうび)に迎え入れられるまでは、早くに父を亡くしたため、豪族出身でありながら年の離れた兄弟と一緒に叔父の元で晴耕雨読な生活をしていました。それは、田を耕して自給自足をし、雨の日には勉強をするといった質素な生活だったと言われています。
現代の晴耕雨読な生き方とは、悠々自適な生き方
現代で晴耕雨読な生き方というと自給自足の面を取り上げられるよりも、悠々自適な生活、自分のしたいことをする生活という面がクローズアップされます。
このように晴耕雨読を解釈される理由には、現代では自分のしたいことをして生活することは難しいと考えている人が多く、その裏返しとも言えるでしょう。特に若い世代は生活するために自分のしたいことを我慢して働いているという考え方が主流のようです。
しかし会社をリタイアすれば体と心にゆとりが生まれるため、晴耕雨読な生活を求めて定年後にあえて田舎に引っ越すといったケースもよく見られます。つまり現代での晴耕雨読な生活とは、老後の生活の仕方のひとつと言うこともできます。
まとめ
「晴耕雨読」とは「晴れた日には田畑を耕し、雨の日には読書をすること」という意味から、「天候に合わせた自適な生活」という意味で解釈されることもよくあります。悠々自適に自分のしたいことする暮らし方は、現代人の憧れのように語られることもあります。