「所謂」の意味や読み方を知っていますか?「所謂」は大人であればスマートに使いこなしたい言葉の一つです。今回は「所謂」の意味や読み方、使い方・類語などについて解説します。「所詮(しょせん)」「所為(しょい)」「所以(ゆえん)」などとの違いや、「所謂」の英語表現もご紹介しますので参考にしてください。
「所謂」の意味と読み方とは?
「所謂」の意味は”世間で言うところの”
「所謂」の意味は、“いろんな所で言(謂)われている”です。一般的な言葉に直すと「世間で言うところの」「みんなが言っている言葉で言えば」などでしょう。
「所謂」の「謂」は、「言う」と同じ「いう」と読む漢字です。「言う」は日常的な発言を指し、「謂う」は「考えを述べる」という意味があります。つまり「所謂」は、「いろんな所で、述べられているみんなの考え」という意味を持つ言葉で、口語に直すと「世間で言うところの」となります。
ちなみに「云う(いう)」は「他人の言葉を借りて発言する」という意味です。
「所謂」の読み方は”いわゆる”
「所謂」の読み方は“いわゆる”です。「所謂」という漢字は「所」という字により、「しょ」で始まる言葉と読み間違えられることが多いようです。
「所」や「謂」を辞書で確認しても、「所」は「しょ」「ところ」、「謂」は「いい」「いひ」などの読み方しか載っていないため、「所謂(いわゆる)」は特別な読み方として覚えておくしかないかもしれません。
「所謂」の由来と常用漢字
「所謂」の語源は中国語の漢文
「所謂」という言葉は元々日本にあった言葉ではありません。由来は中国語で書かれた漢文にあります。
漢文の「所謂」は、「謂う所の」と読み「世間が言っている所の」という意味になります。意味としては、現代でも使われている「所謂」と同じです。
問題は読み方で、中国漢文の「所謂」という言葉を、日本語に訳したときに、本来であれば「謂」は「いう」となるべきところでした。しかし、奈良時代に「いう」を「ゆる」と読んでいたことから「所謂」を「いわゆる」と読むようになったといわれています。
「所謂」は常用漢字ではない
「所謂」という言葉自体は、現代でも広く認識されているため、本やテレビなどさまざまなところで使われています。しかし、「所謂」という漢字での表記がテレビや本でされることはほぼありません。それは「所謂」が常用漢字ではないためです。
テレビや本では、基本的に常用漢字とされているものしか、漢字で表記されません。そのため、多くの場合は「いわゆる」とひらがなで書かれています。
しかし、特に本では筆者や作者の意向によって「所謂」と漢字で書かれていることもあるようです。これは作者に「所謂」という漢字への思い入れがある、または漢字で書いた方が自分のイメージに合う、などの考え方によるものです。
「所謂」の文章での使い方と例文とは?
「所謂」をものごとの要約として使う
「所謂」は、会話や文章での段落の簡単なまとめとして使うことができます。「所謂」以前に話したり書いたりした内容を要約するイメージです。
「所謂」をものごとの要約として使う場合は、「所謂」の後に名詞が来ることがほとんどです。「所謂」を使って、それ以前に述べたものごとを特定の名詞に当てはめることで、相手に理解しやすく伝えます。
- 「彼は昨年の成績が認められ経営戦略部に異動になった、所謂出世街道に乗ったわけだ」
- 「彼女は聡明で仕事ができるだけでなく、とても美しい、所謂才色兼備だ」
- 「最近では出勤せず、自宅やカフェで仕事をする、所謂ノマドワーカーが増えているらしい」
「所謂」を使って会話や文章を簡潔にする
自分と相手の中にある共通認識や知識に「所謂」を使うことで、不要な説明を省くこともできます。
自分が言おうとしている単語を、相手がきっと知っていると予想できた場合に「所謂」を使うことで、会話や文章を簡潔にすることができますし、内容によっては謙遜やへりくだる様子、あるいは相手や第三者を高く持ち上げる言葉にすることもできます。
- 「遅ればせながら、所謂スマホというやつを持つことにしました」
- 「彼は所謂できる男、なので任せて大丈夫ですよ」
- 「今回の件は、所謂ビギナーズラックです、次回はないと思っています」
「所謂(いわゆる)」と間違いやすい言葉とその違い
「所以(ゆえん)」とは”根拠”
「所謂」と混同しやすい言葉の一つに「所以」があります。「所以」は「ゆえん」と読み、意味は「物事の根拠となること」「その理由」です。
「この書類が、今回不正を疑われている所以だ」などと使い、その物事の原因や要因と鳴っているもの、または人の言動などを指します。
「所謂」は「世間で言うところの」という意味、「所以」とはものごとの「根拠」や「理由」です。意味も使い方も違うため、使い間違いに注意しましょう。
「所為(しょい)」とは”行い”
「所謂」と似た文字を使う「所為」も間違いやすい言葉です。「所為」は「しょい」または「せい」と読みます。
「所為」は主にネガティブな出来事やものごとに使われる言葉で、「行い」「しわざ」という意味です。日常でも良く使われる「人のせいにする」などの「せい」も、文字にすると「所為」となります。
「私は自分の所為(しょい)を反省しなければならない」「彼はすぐに人の所為(せい)にする癖がある」などと使われ、「所謂」とは意味や使い方が異なるので混同しないようにしましょう。
「所詮(しょせん)」とは”結局は”
「所詮」は口頭では比較的頻繁に使われますが、文字で見る機会は比較的少ないかもしれません。「所詮」は「しょせん」と読み、意味は「結局は」「最終的には」です。
「所詮、私にこの仕事は無理だった」などと使い、何かの出来事や事実をまとめるときに使います。「所謂」のように、多くの人がそう言っている、という意味はなく、主観または客観の視点で見たものごとの結果を指します。「所謂」とは意味も使い方も異なります。
「所謂」の類語とは?
「所謂」の類語は”俗にいう・いわば”
「所謂」という言葉の類語はいくつかあります。中でも使いやすいのは「俗(ぞく)に言う」「いわば」などでしょう。
「俗に言う」の「俗」とは、「一般」「一般的」という意味です、そのため「俗に言う」は「一般的にみんなが言っていること」という意味で使うことができます。「所謂」の「世間でいうところの」という意味と同じです。
「いわば」とは「言うなれば」「言ってみれば」などの言葉としても使われる表現で、ものごとや出来事を言い換えたり、結論づけたりする場合に使われます。「所謂」が持つ、ものごとを要約するニュアンスで使うことができる類語です。
「俗に言う」も「いわば」も、「所謂」が持つ「みんなが言ってるあれですよ」といった、特徴的なイメージを持っているので、会話や文章のリズムやムードをそのまま引き継いで使うことができます。
「所謂」の英語表現とは?
「所謂」は英語で”what is called”
「所謂」という言葉は日本特有のものなので、英語にする場合は、似た意味を持つ言葉を使います。それが「what is called」です。
「what is called」とは「~と言われているもの」という意味で、日本語の「所謂」と同じように使うことができます。「My wife is what is called a homemaker(私の妻は所謂専業主婦です)」など、世間で言われている言葉に当てはめる役割をします。
他にも「so-called」を使って「He is a so-called adventurer(彼は本当かどうかわからないが、冒険家らしい)」とすることもできます。ただし「so-called」には「実際はわからないが」「本当かどうか怪しい」というニュアンスがあり、やや否定的な言い方となります。
まとめ
「所謂」という言葉は、目にするたびに「しょせん」「しょい」など誤った読み方が浮かんでしまい、とてもややこしく感じるものです。「所謂」は読もうとすると、どうしても「いわゆる」が思い浮かびにくいので、「いわゆる」と無条件に覚えてしまった方が良いのかもしれません。「所為」「所以」「所詮」などと一緒に覚えて、読み方や意味を混同しないようにしておきましょう。