「畏敬の念」は、はるかに自分とかけ離れている偉大な存在に対して使う言葉です。文学的な表現なため、普段の生活で使うことはあまりありません。しかし、かしこまった席や文書などで登場することはあるので、覚えておくと恥ずかしい思いをする心配がなくなります。今回は「畏敬の念」の意味や使い方の他にも、間違えやすい表現や類語なども紹介していきます。
「畏敬の念」とは?
「畏敬の念」の意味は”敬服する気持ち”
「畏敬の念」の意味は、“敬服する気持ち”です。「崇高な存在をおそれうやまうこと」で、神仏や大自然など、偉大な人や物に対して使われることが多い言葉です。「畏敬の念」に含まれている3つの漢字をそれぞれみていくと、より理解が深まります。
- 「畏」の意味・・・「おそれかしこまること」「心から尊敬し服従すること」
- 「敬」の意味・・・「他人をうやまうこと」
- 「念」の意味・・・「思い」「気持ち」
漢字の意味方わかるように、「畏敬の念」は絶対的な存在に対し強い敬意を示す気持ちを表していることがわかります。動作でいれば、思わず膝をついてしまうようなイメージです。
「畏敬の念」と「畏怖の念」は異なる意味を持つ
「畏敬の念」と混同されやすい表現に、「畏怖の念」(いふのねん)という言葉があります。「おそれかしこまる」という意味は同じですが、「畏怖の念」は“敬う気持ち”ではなく“恐怖を感じている気持ち”が含まれています。与える印象が全く違うので、間違わないよう注意が必要です。
「畏敬の念」と「尊敬」はうやまう対象に違いがある
相手をうやまう意味を持つ言葉に「尊敬」もありますが、こちらも「畏敬の念」とは少し意味が異なります。「畏敬の念」は自分とかけ離れた存在、地位が明らかに違う人に対して使いますが、「尊敬」はそこまで対象物を限定していません。優れていると感じる人や物事に対して使うため、「畏敬の念」よりも幅広い場面で使うことができます。
「畏敬の念」の使い方と例文とは?
「畏敬の念」は崇高な存在に対してのみ使う
「畏敬の念」は先ほど説明したように、息を飲むほど偉大な存在に対してのみ使います。「畏敬の念」だけでも意味は通じますが、文章中に組み込んで使うことの方が多いです。より具体的に気持ちを表現できます。
「畏敬の念を抱く」や「畏敬の念に打たれる」は日常会話でも使える
「畏敬の念」は文学的な表現なため、あまり日常会話に使うことはありません。しかし、文章にするとやや使いやすさが出ます。
- 「畏敬の念を抱く」(いけいのねんをいだく)
→崇高な存在をおそれうやまう気持ちを持つ - 「畏敬の念に打たれる」(いけいのねんにうたれる)
→崇高な存在によって感動を受ける - 「畏敬の念を覚える」(いけいのねんをおぼえる)
→自然に心からわき上がる畏敬の念を感じている - 「畏敬の念を禁じ得ない」(いけいのねんをきんじえない)
→「禁じ得ない」とは「ある感情を抑えきれない」の意味。うやまわずにはいられないこと。
- 「畏敬の念を抱く」(いけいのねんをいだく)
「畏敬の念」を使った例文
「畏敬の念」を使った例文をいくつかご紹介しましょう。
- 「畏敬の念を抱くとはまさにこのことだ」
- 「彼の想像を絶する努力には、ただただ畏敬の念しかない」
- 「命がけで助けてくれたことに、私は畏敬の念を持って感謝の気持ちを伝えた」
- 「マザーテレサの活動に畏敬の念を打たれた」
- 「何千年という時を生き抜いてきた神木に、畏敬の念を覚えた」
「畏敬の念」の類語と対義語とは?
「畏敬の念」の類語は”敬愛の念・崇拝”
「畏敬の念」の類語は、「敬愛の念」(けいあいのねん)と「崇拝」(すうはい)です。
「敬愛の念」は、「尊敬と親しみの心を持つ気持ち」という意味を持つ言葉です。「畏敬の念」と異なる点は、“おそれうやまう”のではなく“親しみがこもった敬意”であることです。対象になるものと距離感が近いニュアンスがあります。
「崇拝」は「偉人をあがめる」という意味を持つ熟語で、「畏敬の念」と同じように極めて崇高な存在に対して使います。しかし、“おそれ”のニュアンスはありません。信仰心のように、疑うことなく信じうやまうようなイメージを与える言葉です。
「畏敬の念」の対義語は”軽蔑”や”見下す”
「畏敬の念」の対義語は、「軽蔑」(けいべつ)や「見下す」(みくだす)です。
「軽蔑」は、「対象になる存在を劣ったものとし相手にしない」という意味を持つ熟語です。「畏敬の念」の“おそれうやまう気持ち“など全くなく、相手の人格や能力などをばかにしているニュアンスがあります。「見下す」も同じ意味で、相手を低くみているさまを表しています。
「畏敬の念」の英語表現とは?
「畏敬の念」の英語表現は”a feeling of awe”や”a sense of awe”
「畏敬の念」は、“畏敬”と“畏怖”の両方の意味を持つ「awe」を使い「a feeling of awe」と表現します。“敬う気持ち”と“恐れている気持ち”、どちらを表現しているかは会話の流れや声のトーンで判断します。“気持ち”を表す“feeling”を別の単語に入れ替える、「a sense of awe」と表現することもできます。
「畏敬の念」(a feeling of awe / a sense of awe)の例文
- 「畏敬の念を抱く」
“experience a feeling of awe”
- 「畏敬の念によって動けなかった」
“I couldn’t move by a feeling of awe.”
- 「彼は畏敬の念を抱きひざまずいた」
“He bowed down on his knees with a sense of awe.”
まとめ
「畏敬の念」は、神仏や偉人、大自然など崇高な存在に対して使う言葉です。ただうやまうのではなく、おそれかしこまっているニュアンスがこの言葉のポイントです。文学的表現で普段の生活には取り入れづらいですが、「畏敬の念を抱く」など文章にすれば会話の中で使いやすくなります。「畏怖の念」は恐怖を感じる気持ちを表現する言葉なので、混同しないよう気をつけましょう。