「明鏡止水」の意味や由来とは?使い方や類語・対義語も解説!

「明鏡止水」という言葉を知っているでしょうか。剣道でも使われる言葉なので、凛々しい印象を受ける人もいるかもしれません。今回は「明鏡止水」の意味や使い方を解説します。「明鏡止水」の由来になったお話や、類語・対義語も紹介していますので、参考にしてください。

「明鏡止水」の意味とは?

「明鏡止水」の意味は”澄み切って落ち着いた心”

「明鏡止水」の意味は、“よこしまな気持ちを持たない、澄み切って落ち着いた心”です。もともとは「明鏡」と「止水」に分かれた言葉でした。

「明鏡」とは、「塵や垢がついていない、曇りのない鏡」を指す言葉で、「止水」とは、「静かに澄んでいて、止まっている水」のことを指しています。

「明鏡止水」の由来とは?

「明鏡」は「鏡」のことを指し、「止水」は「水」を指す言葉ですが、2つを合わせた「明鏡止水」という言葉は「澄み切って落ち着いた心」という「心」を指す言葉です。ここでは「鏡」や「水」を意味する言葉が「心」の意味を持つようになった由来を紹介します。

「明鏡」の由来

「明鏡」の由来とされているのは、「荘子」の「徳充符篇」に書かれた寓話です。登場人物は、足を切られる刑を受けて片足を失っている「申徒嘉」と、宰相の「子産」です。2人は、同じ先生のもとで学んでいました。

ある日、子産が申徒嘉に、なぜ宰相である私を敬わないのかと、申徒嘉の態度を諫めようとしました。これに対して申徒嘉は、同じ先生のもとで学ぶものは対等だと伝え、以下のような話をしました。

「鏡はよく磨かれていれば塵や垢がつかないが、汚れていれば塵や垢がついて曇ってしまい、物事がはっきりと見えなくなる。立派な方と一緒に過ごしていれば、磨かれて過ちを犯さなくなる。」

つまり、片足を失っている申徒嘉への偏見や、自分が宰相であるという傲慢な気持ちを、鏡につく汚れや曇りに例えているのです。さらに、汚れや曇りのない鏡を表す「明鏡」は、偏見や傲慢な気持ちのない澄んだ心のことを指しています。

「止水」の由来

「止水」も「明鏡」と同じく「荘子」の「徳充符篇」に書かれた寓話です。孔子が弟子の常季と会話をしている様子が書かれています。

「王駘」という足を切られる刑を受けた者のところに、多くの弟子が学びに行っていました。このことを弟子の常季は不満に感じ、孔子になぜ博学でない王駘のところに弟子が集まるのかと尋ねました。

これに対して孔子は、「人は流れる水ではなく、止まった水を鏡として使う」ということを取り上げ、王駘は止まった水のように穏やかな心を持っているので、人が集まると話しました。この話から「止水」は、止まった水のように穏やかな心を指しています。

「明鏡止水」の使い方とは?

「明鏡止水の心」や「明鏡止水の境地」と使うことが多い

「明鏡止水」は、「澄み切って落ち着いた心」を指していますが、使う時には「明鏡止水の心」のように、後ろに「心」をつけることが多いです。

また、達するのが難しい段階に達した心の状態のことを「境地」と呼ぶことがありますが、この「境地」を使って「明鏡止水の境地」と使うこともあります。

このほかにも、「心」に近いものとして、「明鏡止水の気持ち」や「明鏡止水の心境」などと使われています。

剣道用語の「明鏡止水」

剣道の用語でも「明鏡止水」は使われています。曇りのない鏡のような心や、静かに止まっている水のような落ち着いた心で相手を見ると、相手の隙などが見えてくるという意味です。

「明鏡止水」を使った例文

「明鏡止水」を使った例文をご紹介しましょう。

  • 隠居してからは、明鏡止水の気持ちで過ごせている。
  • 偏見や先入観にとらわれずに、明鏡止水の心で判断してほしい。
  • 明鏡止水の境地に達すれば、次の試合でも勝てるはずだ。

「明鏡止水」の類語・対義語とは?

「明鏡止水」の類語は”虚心坦懐・光風霽月・心頭滅却”

「明鏡止水」には、いくつかの類語があります。1つは「虚心坦懐」です。「きょしんたんかい」と読み、”心にわだかまりがなく、落ち着いていること”を表す言葉です。「虚心」は”わだかまりがない、先入観がない”という意味で、「坦懐」は”わだかまりがない、平静な落ち着いた心境”という意味です。

「明鏡止水」の類語には「光風霽月」もあります。「こうふうせいげつ」と読み、「心がさっぱりとして、わだかまりがない」という意味の四字熟語です。

また、「心頭滅却」も「明鏡止水」の類語です。「心を無にする」という意味で、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という言葉が有名です。

「明鏡止水」の対義語は”疑心暗鬼・意馬心猿”

「明鏡止水」の対義語には”疑心暗鬼”や”意馬心猿”があります。「疑心暗鬼」は、疑う気持ちがあると、なんでもないことでも信じられないようになってしまうという意味の言葉です。

「意馬心猿」は、「いばしんえん」と読み、「心が欲望などのよこしまな気持ちで動いてしまい、抑えられない」という意味の四字熟語です。

どちらも、心が無である「明鏡止水」に対して、心に疑う気持ちやよこしまな気持ちがあるのが特徴です。

まとめ

「明鏡止水」は、「めいきょうしすい」と読み、「よこしまな気持ちを持たない、澄み切って落ち着いた心」という意味の四字熟語です。中国の文献である「荘子」の寓話が由来の言葉で、「明鏡止水の心」や「明鏡止水の境地」という使われ方が多いです。ぜひ参考にしてみてください。