「嗤う」の意味と読み方とは?「笑う」との違いや類語・英語表現も

「嗤う」(わらう)という言葉は、「陰で嗤う」「人の失敗を嗤う」などと使われるため、どこか割り切れない感情が伴います。この記事では「嗤う」の意味と、「笑う」との違いや、使い方・例文・類語などを紹介します。あわせて英語表現と、『山月記』に書かれた「嗤う」の使われ方も紹介しています。

「嗤う」の意味や読み・使い方とは?

「嗤う」の意味は”あざけりの対象にする”

「嗤う」の意味は、“あざけりの対象にすること”です。「人の失敗を嗤う」や「陰で嗤う」というように使われます。「嘲笑する」と同じ意味です。

「嗤う」の読み方は”わらう”

「嗤う」の読み方は、“わらう”です。

うれしさを表す「笑う」とはまったく違う意味

「笑う」には二つの意味があります。一つ目は「うれしさ、おかしさなどで顔を柔らげること」という意味で、もう一つが「あざけりの気持ちで口もとをゆがめる」という意味です。

後者は「嗤う」と同じ意味であり、その意味として使うとき、「嗤う」とも書くと辞書では説明されています。つまり、あざけりの対象とする「嘲笑」の意味で使うとき、「笑う」「嗤う」とどちらでも使うことができるということになります。

「笑う」には、「うれしさ」「あざけり」というまったく違う二つの意味があるのです。「嗤う」とも書く後者の意味で使うとき、「うれしさ」を表す肯定的な感情は含まれませんが、「笑う」という字を使うこともできるのです。

「嗤う」は”馬鹿にした気持ち表す”状況に使う

「嗤う」はあざけりの気持ちで口もとをゆがめるという意味がありますが、顔の表情を伴なわないときもあります。いずれにしても、人を見下したり、馬鹿にしたりする気持ちを表すときに使います。また、自分を卑下するときにも使われます。

さまざまな「嗤う」状況を表す例文を紹介

「嗤う」を使うさまざまな状況を例文で紹介します。

  • 他人の失敗を鼻先で嗤うような態度は失礼だ
  • 表向きは笑顔だが、本心は嗤っている人もいる
  • 人は自虐的に自分を嗤うことがあるものだ
  • 運転が下手な高齢者を嗤うのはフェアではない

「嗤う」の類語とは?

「嗤う」の類語を紹介します。

嗤うの類語①「嘲笑・嗤笑」の意味は”あざけり笑うこと”

「嘲笑」(ちょうしょう)、「嗤笑」(ししょう)とは、どちらも「あざけり笑う」という意味です。「嗤う」は「鼻先で嗤う」というように、さりげなくあざける様子ですが、「嘲笑」「嗤笑」のときは、よりあからさまにあざける様子を表しているといえます。

嗤うの類語②「冷笑」の意味は”見くだした態度で笑うこと”

「冷笑」(れいしょう)とは、見くだした態度で笑うという意味です。「嗤う」よりも相手を低くみて、軽蔑する気持ちが大きいといえます。

嗤うの類語③「笑いものにする」の意味は”表立ってあざけりの対象とすること”

「笑いものにする」とは、表立ってあざけりの対象とする事という意味です。意識的に、侮蔑の対象を共有しようとする態度を表します。

嗤うの類語④「子馬鹿にする」の意味は”みくびったような態度をとること”

「子馬鹿にする」とは、人にたいして、みくびったような態度をとることをいいます。あからさまに馬鹿にする態度よりも、ちょっとだけ愚弄する態度という意味で、「鼻で嗤う」と同じ態度だといえます。

「嗤う」の英語表現とは?

「笑う・嗤う」両方の意味で使われる”laugh”

「笑う」の英語は一般的に「laugh」ですが、日本語と同様に、「馬鹿にして嗤う」と、「楽しくて笑う」のどちらの意味でも使われます。

  • 「彼は仕事の失敗を陰で笑われている」
    He is laughed at behind by the failure of his work.

「嗤う」の意味では”sneer”

あざ笑う、冷笑する、という意味の英語に「sneer」があります。

  • 「彼は彼女のスピーチを冷笑した」
    He sneered at her speech.

文学で使われる「嗤う」を紹介

自嘲する意味で「嗤う」が登場する『山月記』

中島敦の『山月記』には、自分を自嘲する癖があるという李徴が「自らをあざけるように」友人に言う言葉が次のように書かれています。
「嗤ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。」

「嗤ってくれ」とは、「あざけってくれ」の意味で自分を自嘲して言っている言葉であるため、「笑ってくれ」としたのでは「あざけってくれ」の意味で書いたとしても意味が伝わらない場面であるといえます。

小説のタイトルに使われる「嗤う」

「嗤う」は人間の複雑な感情を表す言葉であるためか、小説のタイトルにもよく登場します。『嗤う伊右衛門』『嗤う淑女』『山魔の如き嗤うもの』などがありますが、いずれもミステリータッチの怪異的な小説です。

また、『嗤う日本の「ナショナリズム」』というビジネス書も出ています。日本のナショナリズムにおける奇妙な「皮肉の傾向」について書かれた書であり、「嗤う」という言葉の多層性が、そのねじれた様子をうまく表しているといえます。

まとめ

「嗤う」とは、「あざけりの対象とする」という意味で、他者をおとしめたり、また自分を自嘲するときにも使われます。「嗤う」は、うれしい気持ちの表現である「笑う」と同じ字で書くこともあることは象徴的です。

文学でも注目される「嗤う」という言葉は、人間の闇の感情を感じさせ、「嘲笑」の語などとは違う、どこか割り切れない底知れない暗さが感じられるように思います。