「袖振り合うも多生の縁」の意味と由来とは?使い方や類語も解説

「袖振り合うも多生の縁」とはしばしば耳にすることわざですが、正しい意味を知っていますか?また「袖触れ合う」や「他生の縁」など、漢字の書き方が違うものも見かけますが、どれが正しいのでしょうか?

そこでこの記事では、「袖振り合うも多生の縁」の意味をその由来からていねいに解説することで、正しい書き方や使い方をひもといてゆきます。あわせて類語と対義語も紹介していますので参考にしてください。

「袖振り合うも多生の縁」とは?

まずはじめに、「袖振り合うも多生の縁」の意味と、由来を解説します。その由来をふまえた上で、正しい漢字の書き方について解説してゆきます。

「袖振り合うも多生の縁」の意味は”ふとしたふれあいにも前世からの縁がある”

「袖振り合うも多生の縁」の意味は、“ふとしたふれあいにも前世からの縁がある”です。道で人と袖を触れ合うような、ささいなことも、前世からの因縁によるものだということを表したことわざです。前世からの因縁という説明が出てきたように、その意味を深く知るには仏教の教えの理解が必要となります。

「袖振り合うも多生の縁」の読み方は”そでふりあうもたしょうのえん”

「袖振り合うも多生の縁」の読み方は、“そでふりあうもたしょうのえん”です。

「袖振り合うも多生の縁」の由来は仏教の教え

「袖振り合う」とは、袖を振る、または触れ合うという意味です。この部分には特に深い意味はないのですが、「多生の縁」の部分を支えるのが仏教の教えです。

「多生」とは仏教用語で、何度も生まれ変わるという意味の「輪廻転生(りんねてんしょう)」を表します。人は何度も生まれ変わりを繰り返すという輪廻転生は、古代インドからすでにみられ、仏教を創始した釈迦も持っていた思想です。

さらに、「縁」も仏教用語であり、「縁起(えんぎ)」の教えを表します。縁起とは、「因縁生起(いんねんしょうき)」を略した言葉です。物事にはすべて因(原因)があり、それに縁という間接の原因が作用して、結果が起こるという考え方が因縁生起で、仏教の基本的な教えの一つです。

つまり、生まれ変わる前の前世からのめぐり合わせでここにふれあったのであり、偶然ではない、ということを「袖振り合うも多生の縁」は表しています。

「袖触れ合うも多生の縁」の書き方も間違いではない

「振り合う」ではなく”触れ合う”と書く「袖触れ合うも多生の縁」という書き方もあり、間違いではありません。「振り合う」の書き方の方が大多数ではありますが、「触れ合う」の表記で記載されている辞書もあります。「袖振り合う・袖触れ合う」とも、知らない人どうしがふれあうという同じ意味を持ちます。

また、「袖すり合うも他生の縁・袖の振り合わせも他生の縁」と言うこともありますが、「袖振り合うも多生の縁」と言うのが一般的です。

「他生の縁」と書くのは俗語表現にあたる

さらに、「多生の縁」ではなく”他生の縁”と書くことがあります。「他生」とは、現世を”今生(こんじょう)”と言うのに対し、生まれ変わる前の過去世と、これから生まれ変わる来世のことを「他生(たしょう)」と言うところの仏教用語です。

そのため、「多生」の意味である、何度も生まれ変わるという意味で「他生」と書くのは俗語とされます。このことから、「袖触れ合うも他生の縁」は俗語表現となります。意味は通じるので決定的な間違いではないといえますが、「袖触れ合うも多生の縁」と書くのがよいでしょう。

「多少の縁」と書くのは間違い

さらに漢字の違いとして、「袖触れ合うも多少の縁」と書いてしまうことがあるようです。「多少の縁」とは”少なからずある縁”という意味になってしまい、この書き方は誤りです。

「袖振り合うも多生の縁」の使い方とは?

「袖振り合うも多生の縁」は一般的な会話の中でたびたび使われる

「袖振り合うも多生の縁」は、日常的に着物を着用しなくなった現代においても、一般的な会話の中でたびたび使われることわざだといえます。ビジネスの場面においては、初対面の人とのコミュニケーションを図る糸口として使うこともできます。

例えばセミナーなどで一緒になった初対面の人に対して、「袖振り合うも多生の縁と言いますから、ここでお会いしたのも偶然ではないかもしれませんね」などと言ったり、「袖振り合うも多生の縁ですから、今後ともよろしくお願いします」と挨拶することができます。

また、偶然出会った人に親切にしたときなどに「袖振り合うも多生の縁ですから、お気になさらずに」などと言って、相手の恐縮する気持ちへ配慮することもできます。

「袖振り合うも多生の縁」の類語と対義語とは?

「袖振り合うも多生の縁」の類語と対義語を紹介します。

類語①「ご縁」は”袖振り合うも多生の縁”と同じ意味で使える

「素晴らしいご縁に感謝します」「このご縁を大切にしたいと思います」などと、日常会話やビジネスシーンでも「ご縁」という言葉はよく使われます。

「ご縁」とは、仏教の思想による「めぐりあわせ」という意味で、日常的に使われる言葉ですが、「ここでお会いしたのも何かのご縁ですので」といったように、「袖振り合うも多生の縁」と同じ意味で使うことができます。

類語②「縁は異なもの味なもの」は、男女の縁の不思議さを表すことわざ

「縁は異(い)なもの味(あじ)なもの」とは、男女間の縁について使われることわざです。男女のめぐりあわせは不思議で面白いものだという意味です。

対義語「縁もゆかりも無い」は、何の関係もつながりもないという意味

「縁もゆかりも無い」とは、人や物に何の関係もつながりもないという意味です。「縁もゆかりも無い人」「縁もゆかりも無い場所」などと言い、無意識に、前世からの因縁さえないという意味をふまえて使っていることがあるかもしれません。

まとめ

「袖振り合うも多生の縁」は仏教の教えに由来することわざです。「多生」には「輪廻転生」の考え方が、「縁」には「因縁生起」の考え方が根底にあります。

つまり、「袖振り合うも多生の縁」とは、生まれ変わる前の前世からのめぐり合わせでここにふれあった、ということを表す仏教の世界観を持つ表現なのです。

仏教の教えを特に意識しなくとも、人と人は見えない縁で結ばれているという考え方を、自然に日本人は持っているのではないでしょうか。だからこそ、「袖振り合う」という現代ではあまりイメージできない表現であっても、ある種の実感のもとに使い続けられていることわざが「袖振り合うも多生の縁」だと思われます。