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「お里が知れる」の意味とは?語源や使い方・類語についても解説

「その口のきき方は何だ、お里が知れるぞ」と言われたことがある、叱られたことがある、という人は多いかもしれません。しかし「お里が知れる」とはどういう意味なのでしょうか?今回は「お里が知れる」の意味や語源、使い方や類語などについて解説します。「お里が知れる」を使うときの注意点や英語表現もご紹介します。

「お里が知れる」とは?

「お里が知れる」の意味は”育ちがわかる”

「お里が知れる」の意味は、“育ちがわかる”です。人のちょっとした言動や振る舞いから、「どんなところで育ったのかがわかる」「育った環境や受けた教育が想像できる」ということを表すことわざです。見かけだけではわからない、その人の背景や意外な人柄などを表すこともあります。

「お里が知れる」は”御里が知れる”とも書きます。読み方は同じで「おさとがしれる」です。

「お里が知れる」はネガティブな表現

「お里が知れる」ということわざは、人の言動や振る舞いに不快な感情を持ったときに使われます。

たとえば、見かけや日頃の言動には問題がないように見える人が、ふとしたときに乱暴な言葉を使ったり、食事のマナーが悪かったり、常識を外れたことをしたりした場合に「お里が知れる」ということわざを使って、自分が受けたネガティブな印象を表します。

由来・語源は「嫁の振る舞い」

「お里が知れる」の「お里(御里)」とは、嫁の実家のことです。よそから来た嫁と一緒に暮らす内に、嫁のふとした振る舞いによって、姑や舅が嫁に対して持つ不快な感情を「お里が知れる」という言葉で表したことが由来と言われています。

「見かけではわからなかったけれど、そんなことを言ったりしたりするなんて、どんな育ち方をしたのか、ろくな里(実家)ではないことが良くわかった」という、非難を「お里が知れる」ということわざにしています。

「お里が知れる」の使い方と例文とは?

「お里が知れる」で人の失礼な言葉や行動を非難

人と接していて、相手の非常識な一面を見たときに「お里が知れる」ということわざを使います。非常識な言動とは、主には一般的には考えがたいことや、明らかに自分が不快と感じる言動のことです。

  • 「彼女は挨拶もできないし、礼儀も知らない、あれではお里が知れるというものだ」
  • 「あなたのそういうところにみんなが気分を悪くしている、それではお里が知れるよ」
  • 「お里が知れると言っては悪いけど、彼の食事のマナーは本当にひどい」

「お里が知れる」を自分について使う

「お里が知れる」はネガティブな意味のことわざです。その「お里が知れる」を自分の振るまいに使うと、常識を知らない自分を自虐する表現になります。

  • 「こんな高級料理は初めてでマナーも何もわかりません、お里が知れてしまいますね」
  • 「私はこういう環境に慣れておらず、お里が知れてしまいますがいろいろと教えてください」
  • 「こんなことも知らないなんてお里が知れるとお思いでしょう」

「お里が知れる」を使うときの注意点とは?

「お里が知れる」は出身地と関係がない

「お里が知れる」ということわざは、相手がどんな国のどんな県の人に対しても使うことができます。「お里が知れる」の「お里」は、その人の出身地とは関係がなく、特定の国や地域の出身だから使える、使えないということではありません。

この場合の「お里」は、その人の育ちや人柄を揶揄するものであって、実際の出身地を指すものではありません。

相手を嫌いというだけで使うことわざではない

「お里が知れる」ということわざは、単なる悪口として使うには意味がずれています。嫌いな相手が、「お里が知れる」の意味に該当していなければ、ことわざとして機能しないためです。

相手の非常識さを嫌っている場合や、見かけによらない性質などについて疑問を持っている場合に「お里が知れる」を使います。

放送禁止用語・差別用語の可能性も

「お里が知れる」ということわざは、その人本人ではなく、その人の両親や育った環境などを非難します。自分の親のことや親しんだ環境を悪く言われることわざであるため、「お里が知れる」ということわざ自体に嫌悪感を持っている人も多くいます。

そのためテレビやニュース、新聞などで「お里が知れる」ということわざが使われることはほぼありません。現時点では明確な放送禁止用語や差別用語として決められているわけではありませんが、人を不快にする可能性が高い言葉として使用が控えられているようです。

「お里が知れる」の類語とは?

「親の顔が見たい」は呆れる気持ちが強い

「お里が知れる」と同じ意味で使われることわざに「親の顔が見たい」があります。「親の顔が見たい」とは、「いったいどんな親に育てられたらこうなるのか」という意味を含んだことわざです。

「お里が知れる」と同じで、その人が育った環境や受けた教育について疑問を持つ様子を表しますが、「お里が知れる」に比べると、「親の顔が見たい」の方が、その非常識さに嫌悪感よりも呆れる気持ちが強くなります。

「馬脚を現す」は正体がばれるという意味

「お里が知れる」も、普段は取り繕っていても何かのきっかけで育ちがわかる、という意味では、その人の正体がわかる、という意味になります。この「正体がわかる」という意味を直接的に表すことわざが「馬脚を表す(ばきゃくをあらわす)」です。

「馬脚を表す」とは、一見馬に見えても、足元を見ると人間の足が出ており、それが張りぼての馬であるとわかってしまうということわざです。「お里が知れる」と同じように、ぱっと見ではわからないことが露呈してしまうことを表しています。

「お里が知れる」の英語表現とは?

「お里が知れる」は英語で”reveal one’s upbringing”

「お里が知れる」ということわざは、日本独自のものなのでまったく同じ意味を持つ英語表現はありません。しかし、「お里が知れる」ということわざが持つ意味を英語にすることはできます。

「upbringing」とは、日本語で「生い立ち」です。「Her off-color remarks reveal her upbringing」とすれば、「彼女の下品な言動を見ればお里が知れる」という意味になります。

まとめ

「お里が知れる」は、その人の実家や両親、ご近所の人を含む地域性など、その人が持つルーツごと非難することわざと言えます。メディアで使われることがほとんどなく、意味やニュアンスの理解が難しいかもしれませんが、あまり安易に使って良いことわざでないことは確かです。「お里が知れる」を使う場合は、相手の気持ちに十分配慮しましょう。その配慮こそが、自分のお里の格を上げることにも繋がるかもしれません。