「三顧の礼を尽くす」という表現はビジネスでもよく使われます。「三顧の礼」とは具体的にどのような意味なのでしょうか?
この記事では「三顧の礼」の意味と由来を解説し、ビジネスでの使い方と例文を紹介します。あわせて類語や、誤用しやすい故事と英語表現も紹介していますので参考にしてください。
「三顧の礼」の意味と由来とは?
「三顧の礼」の意味は”礼を尽くして仕事をたのむこと”
「三顧の礼」の意味は、“仕事などを受けてもらうために、礼を尽くして何度も訪問すること”です。もとの意味では、目上あるいは年上の人が、目下あるいは年下の人に対して礼を尽くすことを指します。しかし現在では、上下関係にかかわらず、ある人を特別に信任したり、優遇する条件で仕事を依頼することを表します。
また本来は、何度も訪問してお願いする意味でしたが、現代においてはとくに訪問しなくとも、優遇条件を提示するなどによって礼を尽くすことの意味で使われます。
「三顧の礼を尽くす」「三顧の礼を尽くして迎える」などの言い回しで使われます。
「三顧の礼」の由来は『三国志』に書かれた故事
「三顧の礼」は、古代中国の歴史書『三国志』の『蜀書』の中の「諸葛亮伝」に書かれた故事が由来となっています。
三国時代の蜀(しょく)の皇帝である劉備(りゅうび)が、無官の諸葛亮(しょかつりょう)の能力を見込んで、参謀長に招くためにみずから出向きますが、一度目と二度目は会えず、三度目にやっと会えて懇願し、口説き落としたという故事が「諸葛亮伝」に書かれています。
このことから、目上の人が目下の人を見込んで、仕事を引き受けてほしいと礼を尽くして頼むことを「三顧の礼」または「三顧」と言うようになりました。
「三顧の礼」の使い方と例文とは?
「三顧の礼」の使い方と例文を紹介します。
「三顧の礼」のビジネスでの使い方
「三顧の礼」は仕事を頼むという意味から、ビジネスでもよく使われる慣用句です。優秀な人材が引き抜かれたときや、スポーツ界において著名な監督が厚遇された際の報道などでも使われます。
また、「三顧の礼で迎える」と「三顧の礼を尽くして迎える」にはニュアンスの違いがあります。「尽くして」が加わることにより、より熱心な働きかけが行われた様子が加味されます。
「三顧の礼」「三顧の礼を尽くして」を使う例文
「三顧の礼」や「三顧の礼を尽くして」を使う例文をご紹介しましょう。
- A氏は実績を評価され、ライバル会社に三顧の礼で迎えられた
- 日本食ブームによって、日本人の料理人が世界に三顧の礼で迎えられている
- 実績を買われ、三顧の礼を尽くして迎えられた新監督だったが、結果は振るわなかった
- 三顧の礼を尽くして迎えられた社長は破格の年俸を約束された
「三顧の礼」の類語と誤用されやすい類似の故事とは?
「三顧の礼」の類語と、イメージが似ているため、誤用されやすい故事を紹介します。
「三顧の礼」の類語は”招聘する”
「三顧の礼」と同じような意味の故事成語やことわざはありませんが、「招聘する」という表現に言い換えることができます。「招聘(しょうへい)」とは、礼を尽くして人を招くという意味です。厚い待遇で優れた人に来てもらうこと、という意味でも使われます。現在は「招へい」と書くことが一般的です。
「監督は新メンバーを海外から招へいした」「委員会の招へいに応じてメンバーに加わった」などと使います。
「三顧の礼」に誤用されやすい故事は”カノッサの屈辱”
目上の人が目下の人に礼を尽くすという意味で似ている故事に、ヨーロッパの「カノッサの屈辱」があります。
神聖ローマ帝国皇帝は、キリスト教会に対して権力を持ち、司教の任命権なども持っていました。1073年からローマ法王となったグレゴリ七世は、教会改革を行い神聖ローマ皇帝ハインリヒ四世と争います。皇帝が法王の廃位を宣言すると、皇帝は法王より教会からの破門を宣言されてしまいます。皇帝は破門の窮地を脱するため、やむなく北イタリアのカノッサに出向き、雪の中を三日三晩立ち続けて法王からの許しを請うたという故事が「カノッサの屈辱」です。ローマ教皇の権威が強大化することを示す事件として知られています。
「三顧の礼」は小説などでは、昼寝をする諸葛亮を劉備がじっと待つという場面が描かれることもあり、「カノッサの屈辱」のイメージと重なる部分もあります。そのため、「三顧の礼」の意味を、「屈辱をもって目下の人を迎えること」という意味で記憶し、誤用する人もいるようです。
「三顧の礼」は、優れた人に仕事を依頼するために、目上の人が目下の人にも礼を尽くすことですが、「カノッサの屈辱」は、許してもらうために権威に屈服して礼を尽くすという意味であり、両者は異なります。
「三顧の礼」の英語表現とは?
「三顧の礼」は英語で”showing special confidence and courtesy”
「三顧の礼」は、由来となった故事の「目上の人が目下の人に礼を尽くす」という意味から転じて、「優れた人を良い待遇で迎える」という意味で使われています。その意味での「三顧の礼」は「showing special confidence and courtesy」と表現できます。
- 例文「監督は選手を海外から三顧の礼で迎えた」
The coach has won services of a player from overseas by showing special confidence and courtesy.
まとめ
「三顧の礼」とは、『三国志』の「諸葛亮伝」に書かれた故事が由来の故事成語です。皇帝の劉備が、無官の諸葛亮をスカウトするため、自ら何度も出向いて説得したことがその説話のポイントでしたが、現在は転じて、優れた人材を招へいするという意味で使われています。
「カノッサの屈辱」のように、屈辱の思いや権力に屈服する思いを持って礼を尽くすのではなく、優れた人材への敬意の気持ちや高い報酬を表す表現が「三顧の礼」です。