「井の中の蛙」の意味と例文とは?続きの言葉と類語・対義語も解説

「井の中の蛙」は、そのイメージが浮かびやすいこともあり、親しまれていることわざですが、その由来についてはあまり知られていないといえます。この記事では、「井の中の蛙」の意味や由来について詳しく解説します。

あわせて、あとから加えられた続きの文や、使い方と例文も紹介します。加えて、類語・対義語や英語表現も紹介していますので参考にしてください。

「井の中の蛙」の意味と使い方

「井の中の蛙」の意味は「経験や知識が狭く正しい判断ができないこと」

「井の中の蛙(いのなかのかわず)」とは、井戸の中の蛙は、自分の住む井戸のほかに大きな海があることを知らないという意から、経験や知識が狭い者のことや、狭い知識にとらわれて正しい判断ができない様子を表します。

「井の中」とは「井戸の中」を表します。「蛙」とは「カエル」のことで、カエルの古い呼び名を「かわず」といいます。

「井の中の蛙」は見聞の狭さに警笛を鳴らす意味も

「井の中の蛙」は、自分が世間知らずであることを表現したり、考え方が狭くなっていることに注意をうながす意味で用いることが多いといえます。肯定的な意味ではなく、否定的な意味で一般的に使われます。

「井の中の蛙大海を知らず」「井底の蛙」「井蛙」とも書く

「井の中の蛙」は「井の中の蛙大海を知らず」「井底の蛙(せいていのあ)」「井蛙(せいあ)」とも書き、すべて同じ意味を表します。

「井の中の蛙」を使った例文と続きの言葉

「井の中の蛙」を使った例文

  • 自分は田舎しか知らない井の中の蛙だから、大舞台では緊張してしまう。
  • 井の中の蛙と言われないように、積極的に行動して見聞を広めたい。
  • 自分は井の中の蛙だと自覚したので、海外留学を決意した。
  • ルーティンの仕事ばかりしていると、考えが狭くなり井の中の蛙になってしまう。
  • 日本は井の中の蛙なのかもしれない。日本の常識は世界の非常識と言われることが多いからだ。

日本で加えられた「井の中の蛙」の続き

「井の中の蛙」は、『荘子』の逸話からできたことわざでしたが、日本においてさまざまな言葉が付け足され、メディアを通じて広まったり、「日本のことわざ」として本に掲載されたりしています。作者は明らかではありませんが、次のような続きがあります。

「井の中の蛙」の続き
  • 井の中の蛙大海を知らず、されど天の高さを知る
  • 井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る
  • 井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る
  • 井の中の蛙、天の蒼さを知る

付け加えられた言葉はそれぞれですが、その意味としては、狭い世界に生きているけれど、だからこそ見えるものがある、ということを表しているといえます。

広い世界を肯定して狭い世界を否定するようなニュアンスを感じ取れてしまう「井の中の蛙」は、一定の枠の中でこつこつと改善を重ねたり、小さなことにも意味を見出すことが得意な日本人の世界観に少々なじまないニュアンスが感じられるのかもしれません。後半を付け足したことわざに共感する人も多いようです。

「井の中の蛙」の類語と対義語表現

井の中の蛙の類語①「田舎の学問より京の昼寝」

「田舎の学問より京の昼寝」とは、田舎で学問するよりも、昼寝していたとしても都にいる方が良いという意で、大勢の人と接する都では、おのずと見聞が広がり学問が向上するということです。「田舎の利口より京の馬鹿」ともいいます。

井の中の蛙の類語②「ガラパゴス化」

「ガラパゴス化」とは、大陸と隔絶されていたため、独自の進化を遂げた固有種が多く存在する、ガラパゴス諸島の生態系にたとえて日本で生まれたビジネス用語です。

孤立した市場の中でのみ発展していくと、外の市場との互換性や競争力がなくなり、最終的に淘汰されるという警句の意味を持っています。とくに日本独自に機能が進化した携帯電話のことを「ガラパゴス・ケータイ」の略語としてガラケーと呼びます。

ガラパゴス化は、大海を見ようとしない井の中の蛙のその先を表しているともいえます。

井の中の蛙の対義語①「俯瞰的に見る」

「俯瞰的(ふかんてき)に見る」とは、広い視野でものごとを見るという意味です。「大局的な視野に立つ」も同じ意味です。「井の中の蛙」が表す狭い視野の反対の意味であるといえます。

井の中の蛙の対義語②「流れる水は腐らず」

「流れる水は腐らず」とは、流れている水は腐ることはないという意から、活発に活動している者は活躍して駄目になることがないということです。狭い井戸の中にいる蛙とは反対の状態であるといえます。

「井の中の蛙」の由来

「井の中の蛙」の出典は、『荘子(そうし)』に収められた「秋水(しゅうすい)」にある逸話です。

出典は『荘子』に書かれた故事

『荘子』とは、中国戦国時代の道家思想が書かれた「荘子」の著書とされる文献です。荘子は、あるがままの無為自然を基本とし、万物を支配する根源の原理である「道」を探求しました。『荘子』には、たくみなたとえ話や不思議な寓話が多く語られています。

「井の中の蛙」のもととなった逸話

黄河の水神である河伯(かはく)が北海にやってきたとき、その海の大きさに驚き、北海の神である若(じゃく)に、「北海を知らなければ、独りよがりになるところだった」と言います。すると若は次のように言います。

「井の中の蛙と海のことを語り合えないのは、虚(居所のこと)しか知らないからだ。夏の虫と冬の氷のことを語り合えないのは、夏のことしか知らないからだ。あることだけに詳しい人と「道」について語り合えないのは、ひとつの教えにとらわれているからだ。」

「あなたは大きな海を目の当たりにして、自分の小ささに気づいたのだ。これで、「道」、すなわち万物を司る大いなる摂理について、語り合えるようになった。」

このように、北海の神が黄河の神に言った言葉が故事成語「井の中の蛙」となり、狭い世界しか知らず、見識が狭いことを表すようになりました。

「井の中の蛙」の英語表現は?

「井の中の蛙大海を知らず」は英語で「The frog in the well knows nothing of the great ocean」

「井の中の蛙大海を知らず」は英語で「The frog in the well knows nothing of the great ocean」と書きます。「frog in the well」は「井戸の中の蛙」という意味です。直訳的な表現ですが、由来の逸話を知らなくても、意味は通じるといえます。

「蛙」を人にあてはめてさらにわかりやすくすると、「Person who is ignorant of the real world」(現実世界を知らない人)と表現できます。

また、「井の中の蛙」に近い意味の英語のことわざに「He that stays in the valley shall never get over the hill」(谷の中にとどまる者は、決して山を越えることはない)があります。

他にもシェイクスピアの言葉に「Home-keeping youth have ever homely wits」(外国を知らぬ若者の知恵はいつも狭い)があり、「井の中の蛙」と近い意味を持ちます。

まとめ

「井の中の蛙」は、「経験や知識が狭く正しい判断ができないこと」という意味の比喩として、一般的な会話や雑誌の記事などでもよく使われています。見識が狭いことを自嘲したり、警笛を鳴らす意味で使われることが一般的です。

また、狭い世界に生きることを否定するようなニュアンスのある「井の中の蛙」に、ポジティブなひとひねりを加えた短文も知られています。「ガラパゴス化」とも揶揄されるように、細かいことを発展させてゆくことが得意な日本人のメンタルとしては、井の中の蛙を救いたいと感じる人が多いのかもしれません。