「牛に引かれて善光寺参り」の意味と由来とは?例文と類語も紹介

「牛に引かれて善光寺参り」ということわざがあります。初めて見た方は、牛に引かれてお寺にお参りに行くとはどういうことなのか、疑問に思ったのではないでしょうか。今回は「牛に引かれて善光寺参り」の意味と、由来になった昔話を紹介します。例文や類語なども紹介していますので、参考にしてください。

ことわざ「牛に引かれて善光寺参り」とは?

「牛に引かれて善光寺参り」の意味は”思わぬ他人の誘いで良い方に”

「牛に引かれて善光寺参り」の意味は、“思わぬ他人の誘いで良い方に向かうこと”です。牛に布を引かれて善光寺に行ったことがきっかけで、信心深くなり極楽往生を遂げられたというお話です。このことから、現代では「思わぬ他人の誘いで、物事が良い方に向かうこと」を表すことわざとして使われています。

ポイントは「他人の誘い」であることと、「物事が良い方に向かうこと」です。意図せずにした行動では足りず、他人から誘いがあって、したいと思っていなかった行動をとった場合に使う言葉です。また、物事が悪い方に向かってしまった場合には使うことができません。

「牛に引かれて善光寺参り」の由来になった昔話

「牛に引かれて善光寺参り」の意味を理解するには、由来になっている善光寺に伝わった昔話を知るとよいでしょう。

主人公は、信濃国の小諸という地域に住んでいる欲深い老婆です。老婆が軒下で布をさらしていると、どこからか現れた牛が布を角に引っかけて走り去っていきました。欲深い老婆は、かなり怒って牛を追いかけましたが、牛の足が速くて追いつくことができず、とうとう善光寺まで来てしまいました。

善光寺の金堂前で、ふと足元を見ると、牛のよだれが垂れており、そのよだれが文字のように見えます。書かれていたのは「うしとのみ、おもひはなちそ、この道に、なれをみちびく、おのが心を(牛とのみ、思い過ごすな、仏の道に、汝をみちびく、己が心を)」という文字でした。

これを見た老婆は、欲を捨てて信仰の道に入ることができ、その日は善光寺の如来様の前で念仏を唱えて過ごしました。布を探すことは辞めて家に帰り、信心深く過ごしていたところ、たまたまお参りした観音堂で、観音様の足元に牛に奪われた布が置いてあるのを見つけました。老婆は、牛と思ったのは観音様の化身だったと思い、さらに信心深くなり、極楽往生を遂げることができました。

「牛に引かれて善光寺参り」には仏教的な意味も

善光寺はもともと、女性の信仰の対象でした。このお話は、如来様の使いとして、観音様が牛に姿を変えて老婆を導いたと解釈されており、信心深くなく欲深い老婆であっても、如来様は慈悲深い心で救ってくれるということを伝えていました。

「一生に一度は善光寺参り」と言われている

「牛に引かれて善光寺参り」のお話で、善光寺に行った老婆が信心深くなったように、善光寺は、「一生に一度お参りするだけで極楽往生が遂げることができる」と言われています。

そのため江戸時代末期には「一生に一度は善光寺参り」という言葉も生まれました。「牛に引かれて善光寺参り」と一緒に覚えておくとよいでしょう。

「牛に引かれて善光寺参り」の使い方とは?

「牛に引かれて善光寺参り」を使った例文

「牛に引かれて善光寺参り」を使った例文をご紹介しましょう。

  • 体調がすぐれなかったが、友人に誘われて行ったパーティで知り合った医師に相談したら、体調がかなり良くなった。牛に引かれて善光寺参りだ。
  • 牛に引かれて善光寺参りで、母に誘われてミュージカルに行ったら、その素晴らしさに魅了された。今では毎月見に行っている。
  • 先輩に誘われた美術館に行きたくはないが、牛に引かれて善光寺参りという言葉もあるし、我慢して行こうと思う。

「牛に引かれて善光寺参り」の類語とは?

「牛に引かれて善光寺参り」の類語は”棚からぼた餅”

「牛に引かれて善光寺参り」のように、思わぬ他人の誘いで、物事が良い方に向かうという意味の言葉があるのかは不明です。しかし、思いもせずに、物事が良い方向に進むという言葉には「棚からぼた餅」があります。

「棚からぼた餅」は、思いがけない幸運を得ることを表す言葉で、棚からぼた餅が落ちてきて、下で寝ている人の口に入ることから生まれました。自分が意図していないことで、物事がいい方向に進むという点が共通しています。

「牛に引かれて善光寺参り」の英語表現とは?

「牛に引かれて善光寺参り」は英語で”Goslings lead the geese to water.”

「牛に引かれて善光寺参り」に似たことわざが英語にもあります。それが「Goslings lead the geese to water.」です。「Goslings」とは、ガチョウの子のことで、「geese」はガチョウです。直訳すると「ガチョウの子は、ガチョウを水辺まで導く。」となります。

まとめ

「牛に引かれて善光寺参り」とは、思わぬ他人からの誘いで、物事がいい方に向かうことを表すことわざです。欲深い老婆が牛に布を取られて追いかけ、善光寺に到着し、信心深く変わって極楽往生を遂げたという、善光寺に伝わった昔話が由来となっています。社会人であれば、断りにくい誘いがある人も多いでしょう。「牛に引かれて善光寺参り」という言葉を思い出してみてはいかがでしょうか。