「究竟」の意味と読み方とは?使い方や類語・究極との違いも解説

あまり見慣れない「究竟」という言葉はどのように読むのでしょうか。またどのような意味があるのでしょうか。

今回は「究竟」の読み方と意味を解説し、使い方や例文を紹介します。「究竟」を用いた「究竟頂」「色究竟天」「究竟涅槃」の意味に加えて、最後に「究竟」に似た言葉である「究極」との違いも説明します。

「究竟」の3つの読み方と意味

「究竟」には3つの読み方があり、読み方ごとに意味が共通しているところもあれば、違う意味もあります。読み方ごとに、それぞれの意味をご紹介します。

「究竟(くきょう)」の意味は「究極に達すること」

「究竟」を「くきょう」は読むときは仏教用語で、主な意味は「究極に達すること」です。物事が最高の、または極めつけの状態に達することで、お経などにも使われている言葉です。

「究極に達すること」という意味が転じて、特に武芸において「力や技術が非常に優れていること」、または「たいへん都合がいいこと」という意味もあります。

「究竟(くっきょう)」の意味は「究極の境地」

「究竟」の「くっきょう」という読み方は、「くきょう」に促音化させて読むことで意味を強調しています。そのため「くっきょう」と読ませるときの「究竟」の意味は、「究極的な状態に達した究極の境地」になり、極めて優れた状態を指します。

「くっきょう」の場合にも「武芸に大変に優れていること」という意味とともに、「たいへん都合がいいこと」という意味もあります。

「究竟(きゅうきょう)」の意味は「究極」と「結局」

「究竟」を「きゅうきょう」と読むときは「究極」や「最高の状態」という意味があります。また副詞的に使い、「結局」や「つまるところ」という意味もあります。

「究竟」の使い方と例文

「究竟」は日常会話であまり使われない

「究竟」は「きわめつけ」や「究極」または「最終的」といった意味で使われる言葉で、「究竟の意味」や「究竟の目的」のように使われます。

ただし「究竟」は日常会話にはあまり使われない難しい言葉のひとつです。語源が仏教用語というだけでなく、古典や初期現代文学などで使われているのを目にすることがありますが、現代ではあまり使われなくなった語であるため、友人との会話やビジネス上で使われることはあまりないでしょう。

「究竟」を使った例文

  • 「実技試験に合格したものの、究竟の意味ではまだプロになったとは言えない」
  • 「究竟の目的は、新しい会社を起こすこと」
  • 「空気もきれいで温泉もよく、食事もおいしい。あの温泉旅館は私にとっての究竟の場所だ」
  • 「秘儀を用いれば、究竟の境地に達することができる」
  • 「究竟的目的は、知識の実践である」

 

「究竟」と「究極」との意味の違い

「究竟」と「究極」の意味はほぼ同義

「究竟」と「究極」はほぼ同じ意味で「極めている状態に達すること」ですが、「究竟」は仏教用語として使われることから、仏教に関して最高の地位や最高の状態に達するときに使われます。また「究竟」は太平記などの古典の軍記物語では「芸や武芸に優れていること」という意味でも使われています。

一方「究極」は物事を極めている過程と極めた状態の両方の意味があり、仏教や武芸など使われる領域が限定されていません。

「究竟」の関連語とその意味

「究竟頂」は金閣寺の上層階のこと

「究竟頂」とは「くっきょういただき」と読み、京都にある金閣寺の上層階のことを指します。

金閣寺は全部で3階あり、各階には意味があります。阿弥陀堂と呼ばれる1階は公家を、2階は潮音洞と呼ばれ武士を表しています。

最上階である究竟頂は、金閣寺の所有者であった足利義満自身を象徴しています。義満自信を最上階に据えることで、日本の頂点に立っていることを表しています。

「色究竟天」とは輪廻転生の世界のひとつ

「色究竟天(しきくきょうてん)」とは仏教用語で、衆生が輪廻転生する世界は三つに分かれており、その中のひとつ「色界」(しきかい)の最上天のことです。

衆生が生死を繰り返す輪廻転生は、欲界(よくかい)と色界と無色界(むしきかい)の三界(さんがい)があり、なかでも色界は物質的な世界で、衆生の欲望はそれほど強くないものの肉体や物質に関する欲はまだ残っているという状態です。この色界には、大乗仏教によると18天の階層があり、その一番上に位置するのが「色究竟天」です。

「究竟涅槃」とは最高の悟りの境地

三蔵法師が中国から持ち帰り訳したとされるお経のひとつ「般若心経(はんにゃしんぎょう)」にも「究竟涅槃」という言葉が出てきます。「般若心経」は悟りを得られるためには何が必要かを説いた、たった300文字でできたお経で、仏教の各宗派によって読まれています。

「究竟涅槃」の意味は「悩みや苦しみがない安楽の地に達すること」です。「究竟」は仏教用語で「極める」という意味で、「涅槃」とは「自己中心的な欲望や執着から離れて、心落ち着けることのできる平和で、最高に幸せな状態」という意味です。つまり「究竟涅槃」とは涅槃が極まっている状態ですから、究極的に幸せな状態、安楽できる状態といえるでしょう。

まとめ

「究竟」とは仏教用語として「究極に達すること」という意味で使われたのを機に、「技術や力が勝っていること」などの意味に転化した言葉です。あまり一般的に使われる言葉ではありませんが、究極という言葉と類似していると覚えれば理解しやすいでしょう。