「身につまされる」の意味・類語表現とは?例文で使い方も解説

「身につまされる」そんな気持ちになった経験は誰にでもあると思います。まわりの人の身に起きた不幸な出来事を知ったり、考えたりしただけで、とても胸が痛くなったのではないでしょうか?

今回は辛い場面で使う「身につまされる」という言葉の意味、使い方や例文、類語と英語表現を紹介していきます。

「身につまされる」の意味とは?

「身につまされる」の意味は”自分のことのように辛く感じる”

「身につまされる」の意味は、“他人の不幸が我が事のように辛く感じること”です。「身につまされる」の「つまされる」は「心を動かされる」という意味になり、同情を覚えるという表現で使用されます。

ただし、自分のことのように辛い気持ちになったとしてもずっとその気持ちを引きづっているというわけではなく、その場だけの気持ちの表現で使用されることが多いでしょう。

「身につまされる」の使い方と例文とは?

「身につまされる」は他人の失敗や不幸に共感する場面で使う

「身につまされる」は「他人の不幸などが自分のことのように感じられる」という意味から、他人の失敗や不幸な出来事による辛い気持ちに共感を覚えるような場合に使われます。よく使う表現としては「身につまされる思いだ」といった言い方をします。

また自分にも同じような経験があることから、その時の辛い気持ちを思い出し、わが身に置き換えて辛く感じてしまう場合にも表現される言葉です。

「身につまされる」を使った例文

「身につまされる」を使った例文を挙げてみました。

  • 子供が事件に巻き込まれるニュースを聞いて身につまされる思いだった。
  • 年金だけでは暮らしていけないという話を聞くたび身につまされる思いになる。

「身につままれる」は誤用

「身につまされる」を、「身につままれる」というのは間違った言い方ですので注意しましょう。「つままれる」とは、「狐につままれる」といったように、狐にばかされることを指す表現です。音の印象が似ているため、誤って使う方もいますが、正しい意味を押さえておいてください。

「身につまされる」の類語とは?

類語①「ほだされる」は情にからまれ心や行動が縛られること

「身につまされる」の類語は「ほだされる」があります。「ほだされる」は漢字では「絆される」と書き、「情にからまれ心や行動が縛られる」という意味です。

「身につまされる」の自分も同じような気持ちになるという意味とは違い、「ほだされる」は自分の気持ちを表現しているわけではないというところに違いがあります。

例文
情にほだされお金を渡してしまった。

類語②「見るに忍びない」は見ていることが辛いこと

「見るに忍びない」も、辛い気持ちを表す類語です。これは「あまりに気の毒で見ていることがとても辛い」という気持ちを表現する言葉です。「見ていることが辛い」という意味になるので、他人の辛さを自分に重ねて表現しているわけではありません。

例文
自分のために頭を下げている両親の姿を見るに忍びなかった。

このように、「身につまされる」と類語の「ほだされる」「見るに忍びない」の意味には、自分も同じような気持ちになるという意味に違いがあります。他人の不幸や辛さを、我が身に置き換えて感情を表現する点が異なると言ってよいでしょう。

「身につまされる」の英語表現とは?

「身につまされる」は英語で”sympathize with”

「身につまされる」の英語表現には「sympathize with」「feel sympathy for」を使用します。

「sympathize with」は「共感する」「同情する」の意味があり、「気持ちを察する」の意味にも使用される英語表現です。「feel sympathy for」には「同情する」「心を寄せる」などの意味があり、「気の毒」の意味にも使用されます。

「身につまされる」の英語例文

「身につまされる」の英語例文を挙げてみました。先に紹介した「sympathized with(共感する)」と、「feel sympathy for(同情する)」の2パターンです。

sympathized withを使用した場合
  • I sympathized with her story(彼女の話しに身につまされる)
  • I sympathized with you in his hard life(彼の人生に身につまされる)
Feel sympathy forを使用した場合
  • Feel sympathy for the victims of the accident(事故の犠牲者に身につまされる)

まとめ

「身につまされる」は「他人の不幸が自分の事のようにいたたまれない気持ちになる」という意味の言葉です。日常生活やビジネスにおいても使用されることが多いですが、できることなら「身につまされる」思いはしたくありませんよね?私達のこれからの毎日が、平和に暮らせることを願わずにはいられません。