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たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。(前編)

今回インタビューを行うのは、合同会社こっから代表、一般社団法人ALIVE専務理事、株式会社プレイフォー代表取締役、一般社団法人フォー普及協会代表理事を務める、マルチプレイヤーの墨健二さん。

大企業に勤める同級生とともに独立し、2016年3月に人材・組織開発をメイン事業とする「合同会社こっから」を設立すると、翌年に「一般社団法人ALIVE」を立ち上げ。その後は飲食未経験にも関わらず、東京・池袋にフォー専門店「PHO THIN Tokyo(フォーティントーキョー)」をオープンしました。波乱万丈な人生について伺い、全てのビジネスに一貫する想いやビジョンについて語ってもらいました。

大学生の時に仲間と立ち上げた学生団体が始まり

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。

ー墨さんは2016年3月9日に同級生5人で「合同会社こっから」を設立したと伺いましたが、仲間と独立することになった経緯を教えてください。

実は、「合同会社こっから」の前身に、僕たちが学生時代に立ち上げた「学生団体こっから」という団体があります。この団体の立ち上げメンバーが「合同会社こっから」の創業メンバーです。

この学生団体を立ち上げたきっかけは、僕が大学時代にアメリカに1年間留学することになり、ちょうど同じタイミングでアメリカへ留学する友人がいて、帰国したら一緒に何かやろうと話していたのです。

帰国してから「何かしたい、何かしたい」と思いながらも、その頃の僕らにはおもろいアイディアや具体的なビジネスプランもありませんでした。

ただ、「自分たちのように何かしたいけど、くすぶっているような学生が動き出したら、世の中の学生がもっとイキイキするのではないか」という思いがありました。

イキイキしている人ってどんな人かと想像した時に、やりたいことにピュアに向き合っている人だという考えに至り、やりたいことへ動き出すきっかけ作りを趣旨に「学生団体こっから」をこの仲間と立ち上げたのです。

「学生団体こっから」は、イキイキと活躍している人に話を聞き、その話を記事にしてWebサイト内でシェアしたり、やりたいことがあるけれども一歩踏み出せていない学生たちをサポートしたりしました。

例えば、写真が好きで個展を開いてみたいけれども一人で全てをやるほどの行動力はない子がいたら、同様に写真が好きな学生を募り、カフェを借りて合同写真展を開催するなど、やりたいことを持つ学生をつなげて一緒に動き出す場をデザインしていました。

その中で僕たち自身に湧いてきたがやりたいことをイベントにしたりもしていて、例えば自転車で日本を回ってみようとか、おもしろいなと思ったアイディアを実際にやってみていました。

学生たちが動き出すきっかけを作ることがめちゃめちゃ面白くて。そんな原体験を持ちながら、僕たちは社会人になりました。僕は同様に、何か動き出すきっかけを作ることに携わりたいとリクルートに入社しました。

ー墨さんたちはもともと、独立や起業を考えていたのですか?

僕はリクルートを辞める気や起業する気は全くありませんでした。リクルートでは周りの人に恵まれ、環境も良く、仕事が楽しくて仕方がなかった。辞めたいなんて思ったこともありませんでした。

「こっから」の仲間たちとは社会人になってもちょくちょく集まっていて、実は3年に一度くらい、みんなで起業しようぜという話が出たりもしましたが、実際に行動したりはしませんでした。

ですが、社会人になって7〜8年を過ぎた30歳の頃に、起業の話が出てはたち消える自分たちを省みて、「かっこ悪ない?本当に何かやらへん?」となったのです。

その当時、僕たちには具体的なビジネスプランはありませんでしたが、その頃仲間の一人が、都会と田舎、日本と海外のデュアルライフを実現するために福岡県糸島市に一軒家を購入していたこともあり、じゃあその糸島の一軒家を拠点として1年後に何か始めようと約束しました。

会社を設立するまでに準備期間は1年。最初の9カ月程度は「何のためにこれをするのか」という自分たちのビジョンづくりに時間を費やしました。当時はそれぞれ、リクルートやインテリジェンス(現パーソナルキャリア)に勤めていて働き盛りだったので、平日の早朝に集まったりしていました。

そしてできたのが、”人生を、Playfulに。”というビジョン。Playfulとは、自分が本当にしたいことをしているからこそ生まれるワクワクする心の状態のことで、同志社女子大学の上田教授による『プレイフル・シンキング』という本が出版されていました。そこには、「学生団体こっから」と通じるものがありました。

その後、3カ月かけてビジネスプランを練り、人材開発・組織開発を柱とする事業方針が定まりました。僕らがリクルートやインテリジェンスで培ってきたスキルを生かして、Playfulな人材を育て、Playfulな組織を作っていくと。

そして、僕ら自身がPlayfulを体現するために、5人のうち僕だけ東京に残り、4人は縁もゆかりもない福岡に移住することにしました。渋谷にかっこいいオフィスを作るより、あえて都会から離れて田舎に移住して起業する方がおもろいやんと。本社は福岡にしました。

そして一斉に会社を辞めて、2016年3月9日に「合同会社こっから」を設立しました。

福岡と東京でPlayfulを体現

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。

ーみなさんそれぞれ東京の大手企業に勤めていて独立したわけですが、それも無縁の福岡で起業することになり、最初は大変だったのではないでしょうか?初めから仕事はあったのですか?

それこそ、福岡に移住した4人の最初の仕事はオフィスのDIYをすることでした。敷地内には畑があるので、畑仕事も大事な仕事でした。僕は当時子どもが2人いて、しかも起業を検討し始めた頃に第3子の妊娠が発覚したので東京に残ることになったのですが、東京で僕が研修のファシリテーターをするのも、4人が糸島で畑仕事をするのも、ともに「こっから」の仕事で、Playfulを体現する一つの手段でした。

2016年頃は働き方改革が提言されるちょっと前で、「新しい働き方」が注目され始めた頃。会社設立時から「東京でそれなりのビジネスパーソンだったやつらが、ど田舎で一念発起しているなんておもしろい」と、大手企業の方々が糸島のオフィスを視察に来る機会がありました。

そこで好感を持ってくれた企業の方が「君らに仕事を発注してみたい」と、視察後に研修の依頼をくださるようになって。その研修の満足度が大変ありがたいことに好評だったこともあり、特段営業活動はしていないのですが、仕事は次第に増えていきました。

ーそれでは、独立後、あまり大きな困難はなかったのでしょうか?

そうですね。あまりないですが、強いて言えば当初はやはりお金になるか不安で。皆それぞれ大手企業に勤めてそれなりにお給料ももらっていたわけですし。最初はすぐにお金になるような、いわゆるライスワークを取りにいくということもしていました。

前職で人事経験のある仲間がいたこともあり、面接代行とか評価システムの設計といったような、これまでの知見でこなせてしまう業務を受けたりもしました。それがたとえPlayfulでなくても。

でもやっていると、「僕ら何のために独立したんや?」「なんでPlayfulってビジョンを決めたんやっけ?」と悶々と考え始め、ライスワークはもう手放そうということになったのです。

それがおもろいことに、そういった仕事を手放してからの方が売り上げは伸びていきました。Playfulにいこうぜと決めた瞬間から、Playfulな仕事が増えてきましたね。

ーやりたいことに集中して、Playfulを追求するようになったからこそ、求める仕事が増えていったのですね。現在の「こっから」の状況はいかがですか?

ありがたいことに、設立から売り上げは右肩上がりでした。ただ現在は、新型コロナウイルスの影響で研修やワークショップなどはストップしている状態です。しかしこういった状況でもおもろいことを考えていこうかと話しており、今はまだ詳細をお伝えできませんが、次のステップは既にたくらみ始めています。

自分も、踏み出したことのない領域に挑戦してみたい

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。

ーその後、2017年3月に一般社団法人ALIVEを設立していますが、これはどのような経緯があったのですか?

「合同会社こっから」を設立して3カ月後に、ある方との出会いがありました。サントリーの人事の方なのですが、その頃彼は大手企業の次世代リーダー人材開発を目的とする異業種混合型の研修を自社で開発していました。

その研修とは、大手企業のエース級人材だけれども、井の中の蛙となって今ひとつ開花できていない次世代リーダー候補たちを集めた、社会課題解決をテーマにした3カ月に渡る研修です。

僕はその研修がとてもおもろいなと思い、研修の事務局をボランティアで手伝わせてもらいました。当時、山形県の人口300人ぐらいの小さな村の活性がテーマで、あくまでボランティアだったので「こっから」としては売り上げにもならず、時間は取られるし、山形への出張費はかかると、普通の経営判断的にはNoだったと思います。

しかし、「おもろそう」「ワクワクする」という僕のPlayfulな感覚からするとありという意思決定でこっからの仲間に認めてもらい、この山形での研修を手伝っていました。最終的に、研修参加者は刺激を得て、解決案を提案された地方自治体には喜ばれ、事務局の各社人事担当の方々も横のつながりができて喜ぶという、三方良しの研修でした。

研修が終わった時に、サントリーの彼が「独立してでもこの研修を継続して実施する会社をやりたい」と僕に相談してきました。僕は「あなたはサントリーに残った方がいい。サントリーの人事という肩書きが、いろんなことを生むから。研修を運営する側としては、僕が作るから」と言い、同様の研修を実施する一般社団法人ALIVEを設立することになります。

当時は一度だけの暫定的な研修でしたが、ALIVE設立一年目は研修を年に二回転してみようと。これが大反響を呼び、二年目は三回転してみようと拡大していきました。

「合同会社こっから」の案件も増えてきて、「ALIVE」の型もできてきて、そんなことをしているうちに、僕自身も何か新しい領域にチャレンジしてみたいという思いが強くなってきたのです。

Playfulになっていくこと、自分の軸を持って成長していくこと。これは「こっから」にも「ALIVE」にも共通していることで、自分自身も踏み出したことのない領域に行ってみたい、未体験の領域を味わってみたいと思うようになったのです。

後編では、墨さんの新しい挑戦となるフォー専門店のオープンまでの軌跡や墨さんが大切にする価値観などについて伺いました。後編はこちらから。

墨健二さんプロフィール

墨健二さん

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。米国での留学生活後、”世の中の学生をもっとイキイキさせたい”という想いを抱き、「学生団体こっから」を創設。社会に出ても”人の動き出すきっかけをつくる”を軸に、株式会社リクルートコミュニケーションズに入社。広告制作ディレクターを経た後、新サービス・新ビジネス開発に従事。現在は、東京をベースに「人材開発&組織開発」と「ベトナムフォー専門店」を生業としながら、“Playfulな人生”をモットーに過ごす。

<合同会社こっから> www.kokkara01.com
<一般社団法人ALIVE> www.alive0309.org
<PHO THIN Tokyo> http://phothin.co.jp

この記事を書いた人

岡山祥子

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。新卒で入社したリクルートSUUMOの広告制作を経て、ロンドン遊学を挟み、2014年にフリーのディレクター・ライターとして独立。広告・PRの企画立案やデザインディレクション、各種記事執筆を、住宅・インテリア業界中心にアパレルなど色々。たまにクラフトビールのバーでビールを運んだり、ヨガを教えたりしています。スーパーフリーランスです。