たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。(後編)

今回インタビューを行うのは、合同会社こっから代表、一般社団法人ALIVE専務理事、株式会社プレイフォー代表取締役、一般社団法人フォー普及協会代表理事を務めるマルチプレイヤーの墨健二さん。

大企業に勤める同級生とともに独立し、2016年3月に人材・組織開発をメイン事業とする「合同会社こっから」を設立すると、翌年に「一般社団法人ALIVE」を立ち上げ。その後は飲食未経験にも関わらず、東京・池袋にフォー専門店「PHO THIN Tokyo(フォーティントーキョー)」をオープンしました。波乱万丈な人生について伺い、全てのビジネスに一貫する想いやビジョンについて語ってもらいました。

前編では、墨さんが同級生と立ち上げた人材・組織開発の会社について、設立経緯やこれまでの歩みについて伺いました。前編はこちらから。

新しい挑戦は、ベトナムハノイのフォー専門店

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。(後編)

ー新しい領域にチャレンジしたいとなった時、なぜフォー専門店だったのですか?

リクルート時代、最後の方は新規事業開発を担当していて、海外出張が多くなっていたのですが、ベトナム出張で出会ったフォーが忘れられないくらい美味しくて。それから2〜3カ月に一回のベトナム出張時は、毎回そのフォー専門店「PHO THIN(フォーティン)」に行っていました。

出会った頃から、このフォー店を日本でやったら爆発的にヒットすると周りにも話していたのです。新しい領域にチャレンジしたいと思った時、その想いがよみがえってきて、このベトナムハノイのフォー専門店を日本でオープンさせたいと決めました。

こっからの仲間に「フォー専門店をやりたい」と話すと大反対を受けました。皆会社員時代も含めて今までずっとB to Bをやってきたわけで、B to Cの経験はなく、もちろん皆が飲食未経験で、競争の激しい飲食事業は大変だと。それでもやりたくて仕方がなかった。

よくよく話し合い、最終的にハノイのフォー店にのれん分けしてもらえるのならやってみようかと仲間の了承を得られました。

ーそれでベトナムハノイに交渉に行ったのですか?ベトナム語は話せたのですか?

2018年2月に、何のツテもなく、ハノイに飛びました。英語は全く通じず、僕はベトナム語が話せないので、自分の想いを記した紙芝居を作ってフォーティンに飛び込み、お店のスタッフにオーナーに会わせて欲しいと毎日お願いしました。

4日間の滞在予定でしたが、帰国直前の4日目にやっとオーナーのティンさんに会えることになって。「日本からきました。あなたのフォーに感動しました。大ファンです。この味を日本で広めたいのです」といった内容の紙芝居をめくってプレゼンしたのですが、ティンさんがその紙芝居にとても感動してくれました。その結果、今までさまざまなオファーを断ってきたそうですが、僕のオファーを受けてくれました。

実はその日はオーナーに会えるとのことで通訳さんを雇っていたのですが、その通訳さんが交通渋滞で遅れていて、言葉が通じないティンさんに僕が紙芝居のみでプレゼンし、通訳さんが来るまでには握手を交わして「やろう」となっていました。

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。(後編)

ー「やりたい」という墨さんの熱意に動かされたのですね。

オーナーのティンさんに受諾してもらい、2018年3月9日に「株式会社プレイフォー」を登記し、2019年3月9日に「PHO THIN Tokyo(フォーティントーキョー)」をオープンしました。

「合同会社こっから」は2016年3月9日、「一般社団法人ALIVE」は2017年3月9日に設立と、毎年3月9日、サンキューの日に何かしら行っているのはこだわりです(笑)

ー「フォーティントーキョー」の物件やスタッフはどのように見つけたのですか?特に、飲食店は働く人がとても重要だと思うのですが、何を軸に採用を行ったのですか?

実は、物件もスタッフもSNSで見つけました。すべて人のつながりです。

まずは物件ですが、出店場所は当初から池袋駅東口エリアの一等地と決めていました。朝から夜まで人がいて、平日・休日を問わず人が流れている町で、都が指定する再開発エリアでもあってさらなる人口増加が見込まれる。

僕のお店はフォー一品と決めていたので、とにかくたくさんの人がフォーを食べに来るという状態を作らなければならず、常に人が流れているのが重要でした。また、僕はその周辺に住んでいて地の利も分かるというのも大きかったです。

しかし、エリアを限定しているから、物件が決まるまでに8カ月もかかりました。SNSで物件探しをしていることを拡散していたのですが、たまたまそれを知ってくれていた幼稚園のパパ友の方が仲介に入ってくれて今の場所を紹介してくれたのです。

この場所は人通りの多い大変良い立地で、借りたい店も多く、名乗り上げているのはオーナーからすると安心感のある大手チェーン店が中心と厳しい状況でしたが、物件のオーナーが若い方で新しい挑戦を応援したいという思いがある方でした。僕の知り合いの知り合いだったりもして、面談時から僕のことやSNSでシェアしちたお店の企画を知ってくれていたのが救いでした。

物件が決まってから、店舗経営のパートナーとなる店長を募集しました。できれば人のつながりで出会えたらいいなと思い、求人広告は使わずにこれもSNSで。「伝説の店長、求む」と告知しました。これがバズって、何人もの応募がありました。

今の店長も、「知り合いの知り合いの知り合い」といった感じで遠いながらもつながりのある方でした。料理をされている方は、自分の個性を出したい、自分の味を出したいという方が多いかと思いますが、僕が求めていたのはティンさんのレシピを忠実に再現してくれる人でした。

彼はそれまでラーメン屋さんで働いていたのですが、面接時に「僕はラーメンを5年作っていますが、自分の創作料理は一切できません。ただ、決められたレシピを作るのは得意です」と話してくれ、すぐに採用を決めました。

さらに彼はベトナムが大好きで。ベトナムを好きになった理由は、当時働いていたラーメン屋さんのスタッフだったようです。ラーメン屋さんには外国人のスタッフが何人もいたのですが、ベトナムの方はとても勤勉で真面目で、その国民性を好きになったのだとか。

彼は人生で2回、海外旅行に行ったことがあって、その2回がベトナムハノイでした。言われたことをしっかり守ることが特技で、何よりベトナムが好き。まさに求めていた人に出会えました。

本当に、たくさんの人に支えられています。

人のつながりに支えられ、念願のオープン

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。(後編)

ー ベトナムと日本は気候も違えば、原材料も異なると思います。ティンさんのレシピを、本場の味を再現するのは難しいことかと思いますが。

まず、「株式会社プレイフォー」登記後の春にティンさんに来日してもらい、日本中の市場を回って食材探しをしました。日本の食材で思っている味が作れるのか、検証を実施したのです。

その時、突然ティンさんが集めた日本の食材を使って試食会を開催して「この味の反応を確かめたい」と言い、ティンさんが帰るまでの期間内に急きょ、1日限定の試食会を開催することになりました。

ラーメン屋さんを駆け回って何とか借りられる場所を見つけ、SNSで「ベトナムハノイの人気老舗フォー専門店の試食会を実施」と日時と場所のみ記載し、値段も書かずに試食会参加者募集の告知をしました。実は無料で提供することにしていたのですが、無料と記載すると正しい反応が見られないかなと思い、タイトルだけで集客をしてみました。数日後に開催という直前の告知にも関わらず、50名の枠はすぐに埋まりました。

この試食会で、小さな子どもたちが汁まで飲み干して美味しそうに食べきった姿を見て、「これはいける」と確信しました。こういった時、子どもたちはウソをつきませんから。

店長の採用が決まってからは、一緒にベトナムハノイに研修にも行き、2週間、ティンさんのお店でみっちり修行してもらいました。

オープン前の2019年3月1日には、ティンさんに再来日してもらい、最終的な味のチェックも行いました。食材一つ一つ、細かくチェックしてもらい、最終OKをもらって無事にオープンを迎えました。

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。(後編)

ーその間も「こっから」や「ALIVE」の案件も動いているわけですよね。とても大変でしたでしょうね。

やりたいことをやっているので、全く大変だとは思いませんでした。ロールプレイングゲームしている感じです。仲間を集めて、レベルアップして、一緒に課題を解決して進んでいく。

ーオープンしてちょうど1年が経ちましたが、お店の状況はいかがですか?

売り上げは右肩上がりで、成長を続けています。オープンして最初の半年は赤字でしたが、これは計画的に営業時間を限定していたので。最初はランチのみの営業とし、夏以降営業時間を段階的に増やして、現在は定休日を設けずに昼から夜まで通し営業を行っています。席数は20ですが、この1年間で8万人もの方が来店してくれました。次の一年は10万人を超える見込みです。

現在は新型コロナウイルスの影響でお客さんの数が少し減っていますが、こればかりは仕方がありません。こういった状況をただ悲観するのではなく、明日にはスタッフの研修を実施することにしています。

僕は、飲食業界は素人ですが、組織開発や人材育成の領域ではプロフェッショナルですので、「フォーティントーキョー」の組織開発にコミットし、スタッフがイキイキ働ける環境づくりをしていきます。店を徐々に成長させていきたいと思っています。

ー自分がやりたいことに挑戦している墨さんですが、今まで不安を感じたり、やっぱりやめようかななどと思うことはあるのですか?

僕は、「失敗してもおもろいやん」と思っています。もし失敗したとしても、人生経験としてはおもろい。それより、「やりたいことをやらへん方がおもんないやん」と思っています。

僕にとって、お金を失うこと自体は痛手ではありません。たとえ事業が失敗して借金したとしても、また稼いで返せばいい。後悔が残る方が痛手です。人生は一度きりです。やりたいことをやって、おもろい人生を送りたい。

ー人材・組織開発から飲食業界と、業界や業種をまたいで活躍していますが、墨さんの軸は一貫していますね。

とにかく「おもろいかどうか、Playfulかどうか」ですね。

現在は、どの仕事においても「やらなきゃいけない」ということが一つもなくて、やりたいことを100%やれています。会社員時代は、例えば「評価されたい」「MVPを取りたい」「昇給したい」といったように外的要因からの動機づけが中心だったのですが、それだと本当に自分が大切にしたいことを見失ったりしてしまいます。

今でいうとそれは完全に手放せていて、自分の内から湧き上がる想いから動いています。新しいものを作りたい。興味がある場所に行ってみたい。「やりたい」を追い求められているのはすごく幸せなことだと思います。これが、僕らがいうPlayfulな状態ですね。

さらなる成長を続け、フォーという食文化を広めたい

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。(後編)

ー「フォーティントーキョー」の今後の展望を教えてください。

「フォーティントーキョー」をオープンさせた時に、目標が二つありまして。一つは”ティンさんのフォーをたくさん食べてもらいたい“ということです。2号店、3号店と店舗を増やしていく予定です。

二つ目は”フォーという食文化を広めたい”ということ。同じ麺類でもラーメンやうどんは、コンビニに行くとたくさん選択肢があるのに、フォーは一つあるかないかぐらいですよね。

フォーを、ラーメンやパスタのように日本でもっと身近なものにしたいと思っています。その食文化を作ったのって「フォーティントーキョー」だったよねって言われるようになれたらいいですね。

ー食文化を広めたいという文脈で、先日フォー普及協会を設立されたのですか?これまた3月9日に。

そうですね。「こっから」代表の一人と、無類のフォー好きでつながったリクルート卒業生の三人で「一般社団法人フォー普及協会」を立ち上げました。

飲食店としてできることだけでなく、フォーという食文化を日本に普及させる役割を担い、イベントをしたり、芸能人や著名人と組んでブランディング活動をしたりと、認知度や話題性を高める活動を予定しています。

その他、企業へのアプローチも考えています。麺類の食品メーカーやベトナム食材を扱う商社など、関連性のある企業と手を組んで、フォーをより普及させていきたいと考えています。

ー 最後に、墨さんは「こっから」や「フォーティントーキョー」を通して、社会をどんな風に変えていきたいと思っていますか?

Playfulに人生を選択する人が増えたら嬉しいなと思っています。社会を大きく変えたいと大それたことは思っていませんが、ただただ、周りの人にPlayfulであってほしいなと。やりたいことに向き合っていたら、結果としてビジネスにつながり、お金になった。「Playfulな選択ってありなんや」って少しでも多くの人に思ってもらいたいですね。

不安で足踏みする気持ちは脇において、軽々と動き出してみる。そこで「Playfulてええやん、ありやん」という人が増えていってくれたらなと。

取材を終えて ~やりたいことにピュアに向き合うから、ワクワクする~

取材を通して、「おもろい」「ワクワクする」という観点が、墨さんにとって大切なのだと強く感じました。自分がおもろいと思うことを、やりたいと思うことを、純粋に追求する。だからこそ、自分の人生にワクワクできる。たとえ失敗しても、また頑張ればいい。それより後悔する方が、やらなかった後悔を持ち続ける人生の方が辛い。

墨さんのように、おもろいことを追求してワクワクできるPlayfulな人生。こんなにも幸せなことはないのだろうと思いました。

皆さんもぜひ一度、自分のPlayfulな人生を考えてみてください。

墨健二さんプロフィール

墨健二さん

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。米国での留学生活後、”世の中の学生をもっとイキイキさせたい”という想いを抱き、「学生団体こっから」を創設。社会に出ても”人の動き出すきっかけをつくる”を軸に、株式会社リクルートコミュニケーションズに入社。広告制作ディレクターを経た後、新サービス・新ビジネス開発に従事。現在は、東京をベースに「人材開発&組織開発」と「ベトナムフォー専門店」を生業としながら、“Playfulな人生”をモットーに過ごす。

<合同会社こっから> www.kokkara01.com
<一般社団法人ALIVE> www.alive0309.org
<PHO THIN Tokyo> http://phothin.co.jp

この記事を書いた人

岡山祥子

たとえ失敗しても、おもろいやん。やりたいことに向き合って、Playfulな人生を。新卒で入社したリクルートSUUMOの広告制作を経て、ロンドン遊学を挟み、2014年にフリーのディレクター・ライターとして独立。広告・PRの企画立案やデザインディレクション、各種記事執筆を、住宅・インテリア業界中心にアパレルなど色々。たまにクラフトビールのバーでビールを運んだり、ヨガを教えたりしています。スーパーフリーランスです。