日本には意味深いな四字熟語がたくさんありますが、中でも「行雲流水」はそれぞれの漢字のから意味がつかめる一つではないでしょうか?「行雲流水」は人生の歩み方について、自然でいることが一番であることを教えてくれる言葉でもあります。早速「行雲流水」の意味を中心にご紹介します。
「行雲流水」の意味と語源とは?
「行雲流水」の意味は”成行き任せで自然に移り変わること”
「行雲流水(こううんりゅうすい)」の意味は、“空に浮かび行く雲のように、川を流れる水のように、逆らうことなく自然に移り変わること”です。
空をわたる雲は、ものごとに左右されることなく自由に行き渡っています。風の無い日はゆっくりと進み、風が強い日には動きが機敏になるでしょう。同じように、川はいつも上流から下流へと流れ、自然な形で流れを定めていきますが、雨の日は流れが早くなり、天気の良い日はサラサラと心地よい音を立てながら穏やかに流れ過ぎていきます。いつ何時も空や川はによどみなく常に流れています。
このように、自然の代表格である「雲」と「川」の流れが、世間の事情やことの成行きに左右されず、ものごとに執着していないことをたとえたのが「行雲流水」です。また、一定のカタチやスタイルを持たず、ごくナチュラルでいることも意味しています。
「行雲流水」の語源は中国の文章家・蘇軾の書物
「行雲流水」は中国からの伝わった数多くある四字熟語の中の一つです。語源は中国で11世紀後半に活躍した「蘇軾(そしょく)」」という文章家が残した「謝民師推官与書(しゃみんしすいかんにあたうるのしょ)」の中で見つけることができます。
この中で蘇軾は、推官の地位にある謝民師という人物に「良い文章を書く時は、空を行く雲のように、川を流れる水のように、ごく自然に任せて筆を走らせることが大切」だと伝えています。つまり、ものごとに執着したり、一定のカタチに縛られていては、相手の心を打つ素晴らしい文章が生まれない、ということを文章書きの心得として贈ったのです。
「行雲流水」の使い方と例文とは?
「行雲流水」は物事がうまくいかない時の励ましの言葉
「行雲流水」は堅苦しい言葉の響きから、使い方が難儀であると考えがちです。しかし、意外と日常生活やビジネスシーンで用いることができる便利な四字熟語でもあります。
たとえば、完璧主義の人が何から何まで準備万端に整え、ものごとの成功やゴールに向けて働か気かけているとしましょう。「これで失敗することはない」と余裕綽々、自信満々でも、ふとしたことが原因で上手くいかないことも多々あります。一方で、概念やカタチなどにとらわれるあまり、逆に物事がうまく行かないこともあるでしょう。
このように「行雲流水」は、「人生うまく行かない時もある。自然に行くのが良い」と相手を励ます目的で使うことができます。落ち込んでる友達や同僚に「行雲流水というじゃないか」と肩を叩いて励ましてあげましょう。
「行雲流水」を使った例文
「行雲流水」を使った例文をいくつかご紹介しましょう。
- 行雲流水、人生は常に旅なり。
- 意見が合わないこともあるさ。行雲流水で、しばらく様子を見たらどうかな?
- 行雲流水とも言うべき、彼は一定のカタチを持たず、実に自然に営業をしている。
- 高級志向でブランドものしか持たない娘に、行雲流水の意味を知ってもらいたい。
- 行雲流水。ものごとが上手くいかない時は、何かに縛られている証拠かもしれない。
「行雲流水」の類語とは?
類語①「天衣無縫」とは自然でありのまま
「天衣無縫(てんいむほう)」とは、自然でありのままの姿を意味します。自分を飾らず自由に振舞ういながら、も完全に美しいさまを表す時に使われます。また、同義語に「天真爛漫(てんしんらんまん)」があります。
- 彼女の生き方こそ、天衣無縫である。
- 天衣無縫に振舞うことが最も美しく自然であることを、多くの人が知らない。
類語②「虚心坦懐」とは先入観を持たず取り組む姿勢
「虚心坦懐(きょしんたんかい)」とは先入観を持たずものごとに取り込む姿勢や心を意味します。ものごとの概念にとらわれず、広く平たい心で望む態度を表す言葉です。
- 私はお偉い方を目の前に、虚心坦懐で自分の意見を述べた。
- 虚心坦懐でライバルに立ち向かえば、恐怖心も吹っ飛ぶだろう。
類語③「雲煙過眼」とはものごとに執着しない
「雲煙過眼(うんえんかがん)」とは、ものごとに長く執着しないことを意味します。雲や煙が過ぎ去りすぐに消えてしまうように、ものごとを心に留めないことを意味します。トラブルや悩み事、過去をズルズルと引きずらない、またそうする必要はない、というニュアンスで使われます。
- 元カレのことは忘れなよ。雲烟過眼というじゃない。
- 雲烟過眼で、上司が感情的にどなったことは水に流そうと思う。
まとめ
「行雲流水」とは”空に雲が流れるように川に水が流れるように、自然に移り変わること”そして”ものごとに執着せず一定の形を持たず、ごくナチュラルに旅することや生きること”を意味しています。
「行雲流水、人生はまさに旅なり」とは、人生とはカタチにとらわれず自然に気の向くままに歩むもの、つまり旅路のようなものである、という意味です。なるほど、人生には確固たる予定やマストな事柄などなく、自分が心地よい足取りで自然に舵を取っていくべきだ、ということなのでしょう。
ルールだらけの人生をいかに自然に流していくか?「行雲流水」は生き方を楽にするヒントなのかもしれません。