「嗜虐心」はあまり聞きなれない言葉ではないでしょうか。その読み方に戸惑ってしまう方もいるでしょう。今回はこの「嗜虐心」という言葉の意味と読み方のほかに、使い方や類語を解説します。「嗜虐心」の本来の意味とは違う応用的な使われ方もしているので、まずはその正しい意味を知ることから始めましょう。
「嗜虐心」の意味と読み方とは?
「嗜虐心」の意味は”痛めつけることを好む心理のこと”
「嗜虐心」の意味は、“傷めつけたり虐げたりすることを好む傾向や心理”のことです。
「嗜虐」の意味は、人や動物に痛めつけて苦痛を与えることを好むという意味で、またそうしたことを好む性癖のことを指すこともあります。しかし「嗜虐」に「心」を付けることで、性的嗜好は含まれず、痛めつけたりすることを好む心情を意味します。
また「嗜虐心」での痛めつける対象は人や動物などの生きているもので、生きていない無機質なものは対象にはなりません。
「嗜虐心」の読み方は”しぎゃくしん”
「嗜虐心」の読み方は“しぎゃくしん”です。それぞれの漢字を音読して読まれます。
「嗜虐」の「嗜」という漢字は音読みが「シ」で訓読みは「たしな(む)」です。好むや親しむという意味がありますが、他にも慎むや気を付けるなどの意味もある漢字です。
「虐」は音読みが「ギャク」で訓読みは「しいた(げる)」で、その意味はむごい扱いをして痛めつけたり苦しめたりすることで「虐待」や「虐殺」などの言葉に使われています。
「嗜虐心」の使い方とは?
人や動物を痛めつけることを好む人を説明するとき
「嗜虐心」は人や動物を痛めつけたり虐げたりすることを好んでいるような心情のある人のことを説明するときに使われています。この場合、性的嗜好として虐待することを好むケースは含まれません。
例えば人を傷つけるような言葉を使ったり冷たい態度を取ったりして、精神的に相手を追い込む行為を好んでいる心理の人を「嗜虐心がある」といった言い方で表現します。
- 「Aさんは嗜虐心がある」
- 「嗜虐心があるAさんは、Bさんのことをターゲットにして冷たい態度をとっている」
- 「嗜虐心を満たすために、相手に冷たい言葉を放った」
「人をからかうことを好む」という意味で使われることも
「嗜虐心」の新しい使い方として、人をからかうことを好む傾向という意味で使われることもあります。本来の「嗜虐心」の意味よりも軽い意味合いで、人を傷つけるほどではなく、相手をもてあそんだり困らせたりすると程度の場合で「嗜虐心」を使います。そしてこの意味合いで「嗜虐心」が使われるときには、好奇心が旺盛だとか積極的な態度を取るなど、「嗜虐心」があることを人の長所として捉えられることもあります。
「気になる子を見ると、嗜虐心があるのでからかいたくなる」
「嗜虐心」は精神異常の一種と見られることもある
嗜虐心がある人とは、人を傷つけない程度のからかっていることをユーモアとして捉えられることもありますが、人や動物を痛めつけることを好むという心理状態のため、精神異常の一種ではないのかと疑われることもあります。そのため「嗜虐心」という言葉を使うときには相手をよく見て、その意味合いを誤解されないように使う必要があるでしょう。
「嗜虐心」の類語とは?
類語①「加虐心」は人に苦痛や屈辱を与えたいという心情
「加虐心(かぎゃくしん)」とは、人に苦痛や屈辱を与えたいという心情や心理のことを指します。「嗜虐心」と似ていますが、「加虐心」の対象は人であることと、相手を屈服させて恥ずかしい思いをさせられるという意味の屈辱を与えたいという意味合いも含んでいる点が違います。
「弱っている人を見ていて加虐心が煽られそうになった自分に驚かされた」
類語②「暴虐」とはむごいことをして人を苦しめること
「暴虐(ぼうぎゃく)」とは、むごいことをして人を苦しめることという意味の言葉です。凶暴性があり、そして残虐でもあるようなさまに対して使われます。肉体的に人を傷つけなくても、精神的にひどく人を傷つけた場合でも使われます。
「暴虐」は「嗜虐心」とは違い、むごいことを好む心理を表すのではなく、人を苦しめること事態を言い表す言葉です。
- 「暴虐を尽くして相手を傷つけた」
- 「暴虐な政治」
類語③「サディスティック」は加虐的なさまという意味のカタカナ語
「サディスティック」とはサディズムの性的傾向を意味する形容動詞ですが、残酷なことを好むことや嗜虐的なさま、加虐的なさまという意味もあります。相手に苦痛を与える性的傾向を意味することが多いものの、性的な意味合いを含まないで使われることもあります。
- 「彼はサディスティックな人格を持ち合わせている」
- 「サディスティックな一面が垣間見られたので彼女からは距離を置いた」
まとめ
「嗜虐心」とは、人や動物を痛めつけることを好む心理のことですが、悪意があるほどではなく人をからかうという意味で使われることもあるようです。しかしそれは本来の意味ではないことから、からかうといった軽い意味ではないと捉える人もいることを知ったうえで使うようにするべきでしょう。