「大和魂」の意味とは何か?戦争との関係や使い方の注意点も解説

「大和魂」は時代とともに意味が変わってきた言葉です。現在では、名言のようにTシャツにデザインされたり、歌詞に採用されたりとポジティブに使われます。また、スポーツの世界大会でも聞くことがあるでしょう。しかし、戦争を連想して悲しい気持ちになる人もいます。「大和魂」の本来の意味や使い方の注意点を解説します。

「大和魂」の本来の意味とは何か

「大和魂」の意味は「日本人らしい勇敢で潔い精神」

現在使われる「大和魂(やまとだましい)」の意味は「日本人らしい勇敢で潔い精神」です。基本的にはポジティブな意味合いの言葉です。

戦時中には「国への忠誠心」や「戦争への士気向上」のスローガンのように使われていました。侵略戦争を美化し、国のために命を捨てることを「勇敢で潔い大和魂」と言っていたようです。そのため、人によっては「大和魂」という言葉に悲しい思いや不快感を持つ場合があります。

「大和」は「日本」の意味

「大和」は「日本」の意味で使われています。

由来は、3世紀~4世紀ごろに成立したとされるヤマト王権の本拠地が、大和と呼ばれる地域(現在の奈良県)にあったことです。ヤマト王権は最終的に日本列島の大半を支配したため、日本の別名として「大和」が使われるようになりました。

ヤマト王権についてはまだ研究途中であり、名称も統一されていません。「大和朝廷」「ヤマト政権」など、研究者によって呼び方が異なっています。

「大和魂」の本来の意味は「古代から続く日本人の精神」

「大和魂」の本来の意味は「古代から続いている日本人の精神」だと言われています。具体的には自然の美しさや神々しさを素直に受け入れる豊かな感受性や、他人を思いやる心のことです。

平安時代には、漢(当時の中国)の知識と対になる言葉として「大和魂」が使われました。「論理的な漢学をそのままマネするのではなく、豊かな感受性や思いやりを忘れないようにしよう」という意味です。それが転じて、学問と対になる「実務的な能力」という意味で使われることもあったそうです。

「大和魂」の使い方と注意点

「大和魂」はスポーツなどで「日本人の意地」として使われる

「大和魂」はスポーツなどの世界大会で、外国の選手と競う場合に使用されます。正々堂々と試合に挑むことや、「日本人の意地」「日本代表としての誇り」という意味で使われています。

例文
  • 世界ランクに差がある相手だが、大和魂を貫き、臆することなく試合に挑もう。
  • 左足にケガをしたのに棄権しなかったA選手も、左足を一切狙わなかったB選手も、どちらも大和魂を見せた素晴らしい勝負だった。

「大和魂」は戦争を連想させるため避けた方がよい場合もある

「大和魂」は、相手の年代や話題によっては使用を避けた方が良い場合があります。「戦争」をイメージさせる言葉のためです。意図する意味そのものに言い換えるとよいでしょう。

言い換え例
大和魂をもって試合に挑む。
→日本代表の誇りを持ち、正々堂々と試合に挑む。

先ほどご説明したように「大和魂」は戦争や、無謀な作戦を美化する言葉として使われていました。特に、第二次世界大戦の神風特別攻撃隊の名前を「大和魂」を使った和歌から名付けたことから、死を前提とした特攻をイメージする人もいます。

「大和魂」の類語

「大和魂」の類語は「武士道」

「大和魂」の類語は「武士道(ぶしどう)」です。武士の生き方を表す言葉で、鎌倉時代に生まれ、江戸時代に完成したと言われています。主君への忠誠心、信義、勇敢さや礼儀正しさなどを重んじる考えです。

また、江戸時代の書物「葉隠(はがくれ)」には「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」というフレーズがあります。言葉だけ見ると戦で死ぬことを第一としている印象がありますが、それは誤解です。

葉隠は、戦のない江戸時代に書かれた「奉公人としてのマナー」をまとめた書物です。そのため、無謀な生き方を推奨する言葉とは考えづらいのです。そのため、「主君の危機を命がけで救えるよう、普段から命を大切にして精進しましょう」という意味合いだとする説もあります。

本来の意味の「大和魂」の類語は「人間味」

「豊かな感受性」「思いやり」といった意味の「大和魂」の類語は「人間味(にんげんみ)」です。「大和魂」を本来の意味で使う人は現在ではあまりいませんので、類語に言い換えないと意味が通じない可能性が高いでしょう。また、「大和魂」と違って国籍を問わず使用できます。

例文

人間味(にんげんみ)
【意味】温かみのある優しさや、豊かな感受性。

  • 新しく開発するAI(人工知能)の目標は、人間味のある自然な会話を実現することだ。
  • 彼は表情をあまり変えないので、人間味に欠けていると誤解されやすい。

まとめ

現在の「大和魂」は「日本人らしい勇敢で潔い精神」の意味で使われています。

ポジティブな意味で使われることが多い言葉です。しかし、過去に戦争美化のスローガンとして使われていたため、今でも悲しい思いを持つ人がいる言葉でもあります。配慮が必要であることを把握しておきましょう。