「冥府魔道」とは?激しい復讐を意味する言葉の使い方と類語を解説

「冥府魔道(めいふまどう)」は人生で修羅のような生き方をし、激しく復讐の心をあらわにすような世界を表す言葉です。「非道であり、もはや人ではない」といったニュアンスでも使われますが、どのようなシーンで使うことができるのでしょうか?

ここでは「冥府魔道」の意味をはじめ語源や使い方の注意点、また類語について例文を交えてご紹介します。

「冥府魔道」の意味とは?

「冥府魔道」の意味は「怒りと執念に駆られること」

「冥府魔道」とは復讐に満ちた感情を伴って、怒りと執念に溺れることを意味します。死後の世界における地獄のように相手を恨み、堕落した道のことを指す時に使われます。

真っ当な人間としての生き方を忘れ、倫理や道理を度外視したような生き方を貫く姿を指します。たとえ血を見ようとも、この先に待ち受けるのは地獄のみ、といった強烈な仇討ちの信念を表現する言葉です

「冥府」と「魔道」それぞれの意味

「冥府」とは死後の世界やあの世のことで、霊魂が辿り着く世界を意味します。中国では古来から使われていますが、実際は日本神話や神道、また訳語として旧約聖書にも用いられており、宗教の別なく幅広く使われています。

一方「魔道」とは堕落した道を意味し、従来は人が歩まないような異端な道を表す言葉となります。悪魔のような世界や、非道な手段や倫理観の存在しない生き方という意味があり、卑劣で人道に沿わないような世界観を表す言葉でもあります。

また、「魔道」は仏教用語では悪魔が住む世界、また邪道という意味で用いられます。つまり、日常でごく普通にみられる、笑顔の溢れた普通の世界では毛頭ないということです。

「冥府魔道」の語源と背景とは?

「冥府魔道」は漫画原作者「小池和夫」の造語

「冥府魔道」は漫画原作者の他、小説家、作詞家、脚本家と多くのタイトルを持つ「小池和夫」の造語です。「冥府魔道」という言葉が初めて登場したのは昭和の名作「子連れ狼」で、一族を殺害された主人公が復讐に燃えるというストーリーの中で使われました。

「子連れ狼」は日本でも大人気を博し、乳母車に乗った幼子が、父親に向かって言うセリフ「ちゃん」は瞬く間に有名となりました。

中でも「我ら親子は冥府魔道に生きる者。もはや人ではない」と放つシーンは、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。つまり、復讐に燃える二人が「人として持つべき倫理や道理などは、とうに捨てた人間である」という意味で使われています。

まず「冥府魔道」は物語の主旨を理解することが大切

「冥府魔道」は二つの熟語を組み合わせた造語です。この言葉を作った小池和夫が表現したかった、真の意図を尊重して使うのが最も相応しいと言えるかもしれません。

「子連れ狼」が繰り広げる世界は、陰謀と謀略によって一族を失い、残された家族さえも切腹にまで追いやられるという、過酷で血を見るような内容となっています。

幼子を連れて復讐に向かう父親は、相手を極刑に処すとばかりに憎悪の念を燃やしますが、「もう人として持つべきものは捨てた」という堕落した世界観こそが「冥府魔道」の意味するところなのでしょう。

「冥府魔道」の使い方の注意点と例文

純粋な怒りに対して使うのは適切ではない

「冥府魔道」は倫理観や道理、世の中の常識や理屈などを全て度外視するほど、煮え滾ったい憎しみを伴って使われます。つまり、復讐にメラメラと燃えながら、相手を地獄の底まで突き落とすというような、強い憎悪の念と仇討の感情を伴う言葉です。

もともと「冥府魔道」という言葉が意味するところは、自分の命を投げうってでも大切な家族の敵は打つ、という強固な執念があるのが特徴です。そのため、純粋に「腹が立つ」「憎たらしい」といった一般的なレベルでの憎しみに対して使うのは適切ではないと言えます。

不適切な使い方

x 財布を盗まれた。まったく冥府魔道である。(復讐的ではなく、純粋な怒り)

x 上司にこっぴどく怒鳴られた。冥府魔道に落ちた気持ちだ。(逆切れしただけ)

「冥府魔道」を使った例文

  • 彼は愛する家族を失い怒涛のごとく生きいていた。そして、冥府魔道に落ちるがごとく、復讐への旅に出た。
  • 単なる逆恨みが理由で、恋人を理不尽に亡くしてしまった。相手を奈落の底へと落とすべく、冥府魔道の世界へとまっしぐらである。
  • 誰が何と止めようと、また自分の身が犠牲になろうと、私は冥府魔道の世界で戦う覚悟である。
  • 冥府魔道に落ちた私は、人としての常識や倫理などもはや存在しない。最後の最後まで地獄まで付き合うつもりだ。

「冥府魔道」の類語とは?

「冥府魔道」は「修羅の道」と言い換えができる

「冥府魔道」の正式な類語は見当たりませんが、悪魔の住む世界という意味では「修羅の道」が類語として挙げられるでしょう。

「修羅の道」は「修羅道(しゅらどう)」とも言い、自尊心や疑心の強いものが行くとされる「争いの世界」を意味します。「修羅道」は仏教用語・六道の一つでもあり、悪魔を代表する阿修羅によって支配されています。

「冥府魔道」も「修羅の道」も似たようなニュアンスがありますが、「修羅の道」は、辛く過酷な道のりと意味で一般的に広く使われています。日常の会話では「冥府魔道」を「修羅の道」に言い換えた方が意味が伝わりやすいことがあるかもしれません。

「冥府魔道」の類語の言い換えの例文

  • 過酷な就職活動のまっただ中、まさに修羅の道へと迷い込んだような気さえする。
  • 修羅の道とは、一人前になるまで数十年とかかる職人の世界を意味する。
  • 一人孤独に修羅の道を歩むべく、遠く離れた異国の地で戦うことに決めた。

まとめ

「冥府魔道(めいふまどう」とは、劇漫画作家「小池和夫」の造語で、時代劇「子連れ狼」で初めて使われた言葉です。意味は「人生を投げうつほど酷く憎み、復讐心に燃えること」「相手を地獄に引きづり込む勢いで執念に燃える世界」となり、激しい憎悪と血を見るような復讐の世界を示す表現として使われます。

「冥府魔道」は、ごく一般的な憎しみや恨みなどに対しては使われず、倫理や人道を失うほどの激しい憎しみが心に宿る時に使うのが適切です。使い方には注意しましょう。