「ルビコン川を渡る」とは「重大な決断や行動」を意味する言葉です。「賽は投げられた」とともに知られることわざですが、「ルビコン川を渡る」がどういう意味か今一つ分からない人もいるでしょう。
この記事では「ルビコン川を渡る」と「シュタイナー教育」との関係や類義語を解説します。加えて英語表現も解説しましょう。
「ルビコン川を渡る」ってどういう意味?
「ルビコン川を渡る」の意味は「重大な決断」
「ルビコン川を渡る」とは「重大な決断や行動をとることの例え」を意味することわざです。後戻りができなくなったり、生死を分けたりするよう大きな決断・行動に対して使用されるため、日常的にある小さな出来事へは使用されません。
語源は古代ローマにある
「ルビコン川を渡る」の語源は古代ローマにあります。ルビコン川とは、古代ローマ時代のガリア(現在のフランスやオランダ)とイタリアを区切る川で、軍を率いて川を超えることを禁じていました。
しかし、ローマ帝国の軍人であるカエサルは命令に背き、ローマへ向かうために軍を率いてルビコン川を渡ります。上記のできごとから、「後戻りできないほど重要な決断・行動」を「ルビコン川を渡る」と表すようになったのです。
カエサルの「賽は投げられた」も有名
カエサルが残した名言の1つに「賽(さい)は投げられた」もあります。「賽は投げられた」はルビコン川を渡るとき、自身が率いた兵に向けて放った言葉です。
「賽は投げられた」とは「事は進む出したため、最後までやりきる他ない」を意味することわざであるため、「ルビコン川を渡る」の類語としても使用できます。
「ルビコン川を渡る」の使い方
大きな決断をする状況で使う
「ルビコン川を渡る」は大きな決断や行動をとる状況で使用されます。たとえば、会社の存続がかかるような決断や、今後の人生を左右するような行動など、その決断や行動をとることによって大きな変化が訪れる状況で使用しましょう。
シュタイナー教育では自我の目覚めを表す
哲学者であるルドルフ・シュタイナーが提唱した「シュタイナー教育」では、子どもが自我に目覚めることを「ルビコン川を渡る」と表します。シュタイナー教育では9歳を境に、自我の目覚めを迎えることで自立へと一歩近づくとされています。
子どもから大人へと成長しはじめたら、二度と引き返すことはできないため「自我の目覚め」を「ルビコン川を渡る」と表現しているのです。
「ルビコン川を渡る」の例文
- ルビコン川を渡る彼にとっては、思わぬ追い風だっただろう。
- ついにルビコン川を渡ったということだ。
- ルビコン川を渡ったからには、もう後戻りはできない。
- 彼女はルビコン川を渡る覚悟だから、誰にも止められないだろう。
「ルビコン川を渡る」の類義語
「ルビコン川を渡る」の類義語は「背水の陣」
「ルビコン川を渡る」と似た意味をもつ言葉(類義語)には「背水の陣(はいすいのじん)」が当てはまります。「背水の陣」とは「一歩も後には引けない状況で、全力を尽くすことの例え」を意味することわざです。
「ルビコン川を渡る」と「背水の陣」は「後戻りができないような、重要な行動」という意味が共通しているため、類語に適しています。
「清水の舞台から飛び降りる」への言い換えも可
「ルビコン川を渡る」は「清水(きよみず)の舞台から飛び降りる」へ言い換えることもできます。「清水の舞台から飛び降りる」とは「覚悟をきめて大きな決断をすることの例え」を意味することわざです。
「ルビコン川を渡る覚悟で○○する」という例文の場合、「清水の舞台から飛び降りる覚悟で○○する」へと言い換えてみましょう。
・清水の舞台から飛び降りる覚悟で、事の真相を打ち明けた。
・清水の舞台から飛び降りるつもりでいたのに、いざとなったら怖気づいてしまった。
「ルビコン川を渡る」の英語表現
英語では「Cross the Rubicon」
「ルビコン川を渡る」の英語表現には「Cross the Rubicon」が当てはまります。「Cross the Rubicon」は「ルビコン川を渡る」を直訳した文章ですが、実際に海外で使用されている表現です。
また、「Cross the Rubicon」以外にも、「Burn one’s bridges」と表現することもできます。「Burn one’s bridges」は「橋を燃やす」を意味しており、橋を燃やしてしまって道がなくなることから「後に引けない状況」であることを表します。
まとめ
「ルビコン川を渡る」とは「重大な決断や行動をとることの例え」を意味することわざです。古代ローマ時代、カエサルが命令に背いてルビコン川を渡ったことが由来しており、その時に放った「賽は投げられた」ということわざも広く知られています。
「ルビコン川を渡る」の類義語には「背水の陣」や「清水の舞台から飛び降りる」が当てはまるため、言い換えてみましょう。
・失敗すれば命はないと思い、背水の陣で挑んだ。
・自ら背水の陣を敷いたところを見ると、本気なのだと分かる。