「そうは問屋が卸さない」の意味や語源は?例文と類語も紹介

「そうは問屋が卸さない」は「物事は都合よく進まない」という意味のことわざです。時代劇などで耳にすることもあり、現代では死語だと思っている人もいるかもしれません。また「問屋」の意味が分からない人も多いのではないでしょうか。

ここでは意味や由来、使い方を解説します。似た意味の英語フレーズも紹介しましょう。

「そうは問屋が卸さない」の語源と意味は?

意味は「都合よく物事は進まない」

「そうは問屋が卸さない」とは、そのような簡単に物事が都合よくいくものではないという意味のことわざです。「そう」は「そのように」という意味の言葉で、「問屋」とは、商品を買い入れ小売業におろす仕事のこと。生産者と小売業の仲介をする業者であり、現代においては卸売業者をさしています。

由来・語源は「安い価格では問屋は卸さない」こと

「そうは問屋が卸さない」ということわざの由来・語源は、江戸時代の卸売業者のシステムからきています。江戸時代の問屋は、利益を守るために商品を卸す価格を仲間うちで決めることがありました。そのため、安くするようお願いしても、小売業者側の望む価格では卸してくれなかったのです。

こちらの思うような価格では卸してくれないことから、そのような都合よく物事が進むものではないという意味につながっています。

「そうは問屋が許さない」は間違い

「そうは問屋が卸さない」と同じ意味で「そうは問屋が許さない」という言葉を聞くことがあります。しかし、これはよくある間違いのため注意しましょう。「許さない」でも似たような印象をうけそうですが、語源を考えると意味が通りません。

「そうは問屋が卸さない」は現代では死語?

「そうは問屋が卸さない」という言葉は死語ではないかという声も多いようです。その理由のひとつとして、「問屋」という言葉が現代では通じにくいことが挙げられます。現代では卸売業者と呼ばれる業種ですが、「問屋」という呼び方は古い印象です。

また、「そうは問屋が卸さない」は時代劇でも良く耳にするフレーズです。そのためか昭和生まれの人には違和感なく使う人もおり、意味もスムーズに伝わります。しかし、現代はむしろ古臭く感じる人も多く、「死語」と捉えられることもあるようです。

「そうは問屋が卸さない」の使い方と例文

相手の魂胆がわかった時に使う

「そうは問屋が卸さない」は、相手が良からぬことをたくらんでいる場合やその魂胆がわかった時に使います。また、何かを隠して自分に近づいてきているときにも、それをとがめるために使える言葉です。

たとえば、友人が自分をだまそうとしていることに気がついていると伝えるとき、「だまそうとしたって、そうは問屋が卸さないよ」という風に使うことができます。

簡単と思ったことを失敗したときに使う

「そうは問屋が卸さない」は、簡単にできると思っていたことが、実は大変な労力が必要だった場合になど、自分自身に向けて使うこともできます。

高い報酬につられて引き受けた仕事が、思っていた以上に多くの時間や労力が必要だった場合、「そうは問屋が卸さないよね」などと使います。

「そうは問屋が卸さない」を使った例文

  • 甘い言葉でだまそうとしても、そうは問屋が卸さないよ。
  • 仕事を人に押し付けておいて自分も報酬を得ようだなんて、そうは問屋が卸さない。
  • 格下のチームだから簡単に勝てると思っていたが、そうは問屋が卸さないようだ。
  • 安くて性能の良いパソコンを探しているけど、そうは問屋が卸さないみたいでなかなか見つからない。

「そうは問屋が卸さない」の類語・類義語は?

「花発いて風雨多し」とは「物事には邪魔が入りやすい」

「花発いて風雨多し(はなひらいてふううおおし)」とは、思うようにならないという意味の言葉。花の咲く時期には強い風や雨が多いことから、物事には邪魔が入りやすく思うように進まないことを意味します。

「そうは問屋が卸さない」は物事が思っているように進まないという意味ですが、「花発いて風雨多し」は、物事は邪魔が入りやすくて思うようにならないというニュアンスです。

「好事魔多し」とは「良いときほど悪いことが起こる」

「好事魔多し(こうじまおおし)」とは、良いときほどアクシデントが起こりやすいということ。良いことが続くときは、つい気分も緩みがちです。そのため、そういうときほど悪いことが起きたり邪魔が入ったりするので気をつけよ、という戒めの意味もあります。

「そうは問屋が卸さない」は物事が思っているようには進まないという意味ですが、「好事魔多し」は良いときほど悪いことが起きるという意味で、意味合いが異なります。

「寸善尺魔」とは「良いことより悪いことが多い」

「寸善尺魔(すんぜんしゃくま)」とは、良いことは少なく悪いことは多いという意味の四字熟語です。「寸善」は一寸の良いことで、「尺魔」は一尺の悪いことという意味。尺と寸は長さの単位で一尺は一寸の十倍の長さをさすことから、「寸善」よりも「尺魔」の方が多いことを表しています。

物事は思うようにならないという意味の「そうは問屋が卸さない」に対し、「寸善尺魔」は、世の中は良いことよりも悪いことが多いというニュアンスです。

「そうは問屋が卸さない」の英語表現は?

「そうは問屋が卸さない」は英語で「That’s expecting too much」

「そうは問屋が卸さない」を英語で表現すると「That’s expecting too much」が当てはまります。「思うようにならない」や「期待しすぎである」という意味があり、「そうは問屋が卸さない」のニュアンスを伝えることができるフレーズです。

また、「そうは問屋が卸さない」と似た意味を持つ英語フレーズに「Roast geese don’t come flying into the mouth」があります。直訳すると「焼き鳥は口の中に飛び込んでこない」となり、物事は都合よく思うようには進まない、と解釈できます。「そうは問屋が卸さない」と似たニュアンスとして使えるフレーズです。

まとめ

「そうは問屋が卸さない」とは「物事は思うようには進まない」ことを意味することわざです。問屋という言葉が古く感じさせることから、日常会話ではあまり使わない言葉かもしれません。

しかし、「そうは問屋が卸さない」の意味や使い方を知っておけば、ドラマなどで出てきてもそのニュアンスを感じることができます。また、思っていたように物事が進まなかったときに、「そうは問屋が卸さないというし、そういうこともあるさ」と気持ちを切り替えるきっかけにも使ってみましょう。