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「仇討ち」の意味とは?ルールや「敵討ち」との違い・類語も解説

「仇討ち」とは「仕返しとして加害者を殺すこと」を意味する言葉です。現代では法律違反になる「仇討ち」ですが、江戸時代ではルールを設けて幕府公認で行われていました。

この記事では「仇討ち」の読み方や使い方、日本三大仇討ちを解説します。くわえて「仇討ち」の類語や「敵討ち」との違い、英語表現も解説しましょう。

「仇討ち」の意味とルールとは?

「仇討ち」の意味は「仕返しに殺すこと」

「仇討ち(あだうち)」とは「主君や親を殺された仕返しとして、加害者を殺すこと」を意味する言葉です。「仕返しとして加害者を殺す」という意味が広がり、単に「仕返しをすること」という意味でも使用されます。

「仇討ち」の読み方は「あだうち」

「仇討ち」の読み方は「あだうち」です。「仇」は「あだ」の他に「かたき」とも読みますが、「仇討ち」を「かたきうち」とは読まないため注意しましょう。「かたきうち」と表す場合は「仇」ではなく「敵」を使用して「敵討ち」と表します。

江戸時代の仇討ちにはルールがある

長い歴史をもつ仇討ちは江戸時代になり制度化され、多く見られるようになります。誰でも仇討ちができる訳でなく、江戸幕府が定めたルールに従って行わなければなりませんでした。まず、仇討ちを行う人は武士であり、目上の人が殺された仕返しとして目下の人が仇を討つ必要があります。

町人であったり、目下の人の仇を討ったりすることは仇討ちのルールから外れるため、禁止されていました。他にも仇討ちをスムーズに行うために、届け出を出す必要があったり、仇討ちされる側が防衛として返り討ちすることが認められていたりと、いくつものルールがあります。

「仇討ち」の現代での使い方

主に「仕返し」という意味で使う

「仕返しとして殺すこと」を意味する「仇討ち」ですが、現代では主に「仕返し」という意味で使用されます。「仕返し」という意味で使用する場合、殺されたり殺したりすることはなく、自分がされたことに見合う害を相手に与えることを表します。

例文
  • 侮辱されたことに対する仇討ちだ。

意味:侮辱されたことに対する仕返しだ。

現代での「仇討ち」は法律違反

江戸時代に幕府公認で行われていた「仇討ち」は明治6年に禁止令が出され、現在も禁止されています。仮に現代の日本で「仇討ち」を行った場合、どのような理由があっても殺人の罪に問われます。

「仇討ち」を使った例文

  • なにがなんでも、父の仇討ちを果たさなければならない。
  • 当時、仇討ちは武士の美徳とされていたのだ。
  • 主君を殺した犯人を、仇討ちのために追った。

「仇討ち」の類語と「敵討ち」との違い

「仇討ち」の類語は「報復」

「仇討ち」の類語には「報復」や「復讐」が当てはまります。「報復」は「仕返しをすること」を、「復讐」は「仇を返すこと」をそれぞれ意味しており「与えられた害に対して、相応のことをやり返すこと」という意味が共通しています。

例文
  • 罪を忘れて、のうのうと生きている彼に報復する。
  • 復讐を果たすためであれば、なんだってできる。

「仇討ち」と「敵討ち」の意味に違いはない

「仇討ち」と「敵討ち」はどちらも「仕返しとして加害者を殺すこと」を表しており、意味に違いはありません。どちらを使用しても問題なく、明治6年に出された仇討ちを禁止する法律では「仇討ち禁止令」と「敵討ち禁止令」の両方の表し方があります。

「仇討ち」の英語表現とは?

「仇討ち」は英語で「Vengeance」

「仇討ち」の英語表現には「Vengeance」が適しています。「Vengeance」とは「復讐」や「仇討ち」を意味する単語です。「Take vengeance on ○○」のように使うことで、「○○に仇討ちする」と表すことができます。

例文
  • Played a vengeance.

意味:仇討ちを果たした。

実際にあった仇討ちを紹介

有名な「日本三大仇討ち」

「日本三大仇討ち」とは鎌倉時代から江戸時代にかけて行われた、3つの仇討ちを指します。

日本三大仇討ち

  1. 曽我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)/1193年
  2. 鍵屋の辻の決闘(かぎやのつじのけっとう)/1634年
  3. 元禄赤穂事件(げんろくあこうじけん)/1702年

1つ目の「曽我兄弟の仇討ち」は鎌倉時代の武士であった曽我兄弟が、父親の仇を討った事件です。見事仇討ちを成功させた曽我兄弟は「武士の模範」であるとされ、武士の仇討ち文化のきっかけを作りました。

「鍵屋の辻の決闘」と「元禄赤穂事件」も「曽我兄弟の仇討ち」と同じように、当時の日本や武士に大きな影響を与えています。

大阪にある「日本最後の仇討ち場」

大阪府と和歌山県の境目に位置する、阪南市には「日本最後の仇討ち場」があります。1855年、土佐藩の廣井大六(ひろいだいろく)は同じ土佐藩の棚橋三郎(たなはしさぶろう)に殺されます。

廣井大六の息子は父が殺された9年後に、大阪と和歌山の境目で仇討ちに成功するのです。「日本最後の仇討ち」と呼ばれるものは複数ありあすが、上記の仇討ちは許可証が発行された中の最後の仇討ちだと言われています。

まとめ

「仇討ち」とは「主君や親を殺された仕返しとして、加害者を殺すこと」を意味する言葉です。「敵討ち」とも表し、江戸時代では複数のルールを前提に正当化されていました。仇討ちが禁止されている現代では、単に「仕返しをする」という意味で使用されます。

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hana
大阪在住の新人ライターです。学生時代にビジネスマナーや医療事務・秘書などの検定を取得し、前職は医療秘書として医院勤めでした。料理とスポーツが得意なので、いつか記事にできたらなと思っています。よろしくお願いします。