ドイツの歴史をざっくりと解説!ヒトラーとドイツの歴史教育も解説

EUで存在感を表しているドイツは、一度は統一されたものの分割されて再統一を果たすという稀有な歴史を持つ国です。この記事ではドイツの歴史の大まかな流れを解説して、ドイツ史で特に気になる人物ヒトラーと、ドイツで行われている歴史教育についてもご紹介します。

※この記事の担当:Light1(ドイツ在住歴12年。ドイツの長い夏とドイツワインが好き)

ドイツの歴史とは?

【中世】フランク王国、神聖ローマ帝国が成立

ドイツ人の祖先と言われるゲルマン人の部族フランク人により、5世紀から9世紀末にかけてフランク王国が建立されます。王国の最盛期にカール大帝はローマ皇帝としても戴冠されて、キリスト教との結束を固めた西ヨーロッパ全体の皇帝となりました。

神聖ローマ帝国(9世紀-1806年)が成立すると各地域の有力者による統治が強くなり、13世紀にブランデンブルク・プロイセン公国が建立。北ドイツの商業都市間でハンザ同盟が結成して、商業上の利益保全や交通の安全などが保障されました。

【近世】宗教改革と三十年戦争

1517年に贖宥状(しょくゆうじょう)の販売への反対をきっかけに宗教改革が始まります。購入しさえすれば罪が許される贖宥状に反対したマルティン・ルターは95か条の論題を示して、カトリック教会およびローマ教皇を糾弾し、ルター派(プロテスタント)とカトリック派が対立します。

1600年代に入るとカトリック派が強硬姿勢を取ったため、プロテスタントの貴族が反乱を起こし三十年戦争(1618-48年)が始まります。デンマーク、スウェーデン、フランスも加勢して国際紛争の様相を呈しドイツ全土が荒廃しました。戦争が終わると、皇帝による全体支配が終わり各地の諸侯が主権国家の建設に力を注ぎこんでいきます。

【近世】プロイセン王国の成立

三十年戦争が勃発した同時期1618年、ドイツの北東部でブランデンブルク選帝侯国はプロイセン公国を継承して、1701年には「プロイセン王国」が成立します。小国ながらも強力な軍隊を整備した絶対主義体制の王国と成長して、7年戦争後、神聖ローマ帝国内ではプロイセン王国と神聖ローマ帝国を継承するオーストリアの2大勢力が対立することになります。

経済的には重商主義政策により農業生産や経済活動が活発化して、都市部では啓蒙思想が広まります。哲学者カントやドイツ古典主義文学のゲーテやシラーが活躍したのはこの時代です。

【近代】フランス革命からドイツ連邦成立

フランス革命(1789年)が起こるとプロイセンとオーストリアは武力干渉をしますが失敗し、西南ドイツ諸領邦がフランス皇帝ナポレオンの配下に下ることになり、ライン同盟が形成されて神聖ローマ帝国は崩壊します。

一度は領土を拡大するもののフランスに敗戦したプロイセンは、ティルジット講和条約(1807年)により領土をほぼ半分失うなど窮地に立たされます。そこでプロイセン改革により関税廃止などの経済改革を行って経済活動の自由化を進める一方で、ナポレオン支配からの脱却を目指します。ロシアとオーストリアとともにフランスに勝利(ライプチッヒの戦い)して、ウィーン会議(1814-15)でオーストリアを盟主として35領邦と4自由都市からなる国家連合「ドイツ連邦」(1815-66年)が成立します。

ドイツ連邦の成立を機に国家統一と市民の自由を求める気運がさらに高まり、経済・社会危機が背景となって農民蜂起(3月革命)をはじめとする様々な市民の抗議活動が功を奏して、連邦制度や普通選挙の導入などのドイツ民主主義の基礎ができあがります。

【近代】ドイツ帝国成立から世界大戦へ

1862年にオットー・フォン・ビスマルクがプロイセン首相になると普墺戦争(1866年)でオーストリアに勝利し「北ドイツ連邦」が成立すると、普仏戦争(1870-71年)ではフランスに勝利してプロイセン主導の連邦制国家「ドイツ帝国」(1871-1918年)が誕生します。

ドイツ帝国を率いるビスマルクは欧州列強政策を取りましたが、次に政権を取ったヴィルヘルム二世は世界一強を目指し軍備を強化と領土をアジア、アフリカへと拡充していきます。このヴィルヘルム二世の政策がイギリス、ロシア、フランス諸国との関係悪化を招き、ついに中央同盟国(ドイツとオーストリアを主軸)対、協商国(イギリス、ロシア、フランスを主軸)での第一次世界大戦が勃発(1914-1918年)します。

ドイツ帝国は敗戦し「ヴァイマール共和国」(1919-33年)として再出発を試みますが、そこにナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)が台頭します。ナチ党は1934年に自国を「第三帝国」と称し、第二次世界大戦(1939-45年)が開戦します。日独伊三国同盟を主軸とする枢軸国と米英仏ソ中を中心とする連合国との間で起こった世界的規模の戦争になりました。

【現代】分割占領から再統一、メルケル長期政権

第二次世界大戦で敗戦したドイツは東部の一部をポーランドの行政下にして国境を引き、残りの現ドイツとなる領土はアメリカ、イギリス、フランス、ソ連によって分割占領されます。米英仏両地域に「ドイツ連邦共和国」(通称「西ドイツ」)、ソ連領域には「ドイツ民主共和国」(通称東ドイツ)が成立します。また4分割された首都ベルリンも西側と東側に分断されて、国境にはベルリンの壁が建設されます。

1989年11月9日にベルリンの壁の崩壊を皮切りに、1990年10月3日にドイツ連邦共和国として再統一されます。

NATO加盟後、EU発足では中核国として存在を示します。2005年にはドイツ史上初の女性首相となるアンゲラ・メルケル政権が誕生して、2020年10月現在において4期目となる長期政権が継続しています。

ドイツの歴史で気になることとは?

ヒトラーとは人種的偏見をもつ独裁者

アドルフ・ヒトラー(1889-1945)はナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)の党首で、後に独裁的指導者となる政治家です。

第一次世界大戦の敗戦で、多くの領土を失い賠償責任を問われたドイツは世界恐慌にも襲われて壊滅的な経済状況に陥ります。この社会的混乱によりドイツ国民の不満を受けて、保守派や軍部などの支援によって頭角を現したのがヒトラー率いるナチ党でした。

1933年に首相となったヒトラーは翌年には総統となり独裁体制を確立します。軍備力を増強して侵略主義を推進し、第二次世界大戦(1939-1945)を引き起こしましたが、ヒトラーは敗戦直前のベルリンの総統地下壕で青酸カリとピストルにより自殺しました。

ヒトラー政権で忘れてはならないことは、人種主義と反ユダヤ主義でしょう。この背景にはアーリア人を良種として育成し、それ以外を悪種として排除(人種衛生学)することでナチ体制が強化されるというユートピア論がありました。迫害の対象の最たるものがユダヤ人でしたが、それ以外にもロマ族(ジプシー)や身体障害者、反社会的として政治犯や同性愛者なども迫害の対象でした。移住政策、ゲットー、ホロコースト(絶滅収容所)などにより迫害されたユダヤ人の犠牲者数は数百万人にも上ると言われています。

ドイツの歴史教育はドイツを中心に深く学ぶ

ドイツでの歴史教育は、ドイツという国がどのように成立したのかが中心に進められます。それ以外の事項としてギリシャ・ローマやフランス革命、アメリカ独立などにも触れられますが、ドイツに影響を与えたことが前提になります。

歴史教育は5年生以降に始まり12年生(大学入学前の最終学年)までに現代まで学びますが、一つのテーマについて深く学ぶような学習の仕方が特徴的です。様々な文献からの引用を用いて一つのテーマを掘り下げられるように工夫されていて、生徒たちが熟考できるようになっています。

またドイツの歴史教育のもう一つの特徴として、現代史で特にナチズムについて重点が置かれていて、繰り返し学習することが挙げられます。現代においてドイツが他国との関係を捉える意味でも避けられないテーマのため、特に力が入れられています。

まとめ

ドイツは統一されるまでに時間がかかっただけなく、ドイツ史の汚点ともされるナチ政権を経て分割、そして再統一を果たすという人類史でも稀にみる国だと言えます。そのためドイツ教育では現代史が重要とされていて、日本の教育での現代史の扱い方とは異なっているようです。