「義を見てせざるは勇なきなり」は誰の言葉?意味や例文・対義語も

「義を見てせざるは勇なきなり」とは”何が正しいのかを分かって行動しないのは、勇気がないからだ”を意味する言葉です。「論語」の一節が語源となっており、漢文では「見義不爲、無勇也」と表します。

この記事では「義を見てせざるは勇無きなり」が誰の言葉なのか、例文や類語・対義語も解説します。くわえて英語表現も解説しましょう。

「義を見てせざるは勇なきなり」は誰の言葉?

「義を見てせざるは勇なきなり」の語源は孔子の『論語』

「義を見てせざるは勇なきなり」の語源は『論語(ろんご)』にあります。『論語』とは中国の思想家である孔子(こうし)とその弟子とのやり取りを記録した書物です。

「義を見てせざるは勇なきなり」は『論語』の「為政第二の二十四」に記載されている一節からきています。つまり、「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったのは孔子です。

漢文では「見義不爲、無勇也」

「義を見てせざるは勇なきなり」は漢文で”見義不爲、無勇也”と表します。「見義不爲、無勇也」は”為政第二の二十四”の一節を切り抜いたもので、実際の原文では以下のように記されています。

漢文

子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不爲、無勇也。

現代語訳

先師がいわれた。「自分の祭るべき霊でもないものを祭るのは、へつらいだ。行うべき正義を眼前にしながら、それを行わないのは勇気がないのだ。」

「義を見てせざるは勇なきなり」の意味とは?

「義を見てせざるは勇なきなり」の意味は”勇気がないこと”

「義を見てせざるは勇なきなり」の意味は、“人として何が正しい行動かを理解していながら実行しないのは、勇気がないからだ”ということです。損得勘定や羞恥心などが行動の邪魔をし、勇気をもって踏み出せていないことを表します。

「義」には”利益を生もうとする欲望に捉われず、なすべきことをすること”という意味があります。

「義を見てせざるは勇無きなり」とも表す

「義を見てせざるは勇なきなり」は”義を見てせざるは勇無きなり”や”義を見て為ざるは勇なきなり”とも表します。「為ざる」を”なさざる”と読まないよう注意しましょう。

「義を見てせざるは勇なきなり」の使い方と例文とは?

損得を考えず正しい事をする状況で使う

「義を見てせざるは勇なきなり」は行動を起こすことで負う損失や羞恥心などに捉われず、正しことを行う状況で使われます。たとえば、仕事で急いでいるときに落とし物を見つけたとします。

交番に届けることが正義だと分かっていますが、それをすることで仕事に遅れるかもしれません。上記の状況で交番に届けることができる人には勇気があり、自分の損失を回避するために見過ごす人には勇気が無いという事になります。

交番に届けた人への称賛の言葉として「義を見てせざるは勇なきなり」を使うこともあれば、届けなかった人が同じことを繰り返さないよう、戒めとして「義を見てせざるは勇なきなり」を使うこともあります。

「覇を見てせざるは勇なきなり」は誤用

「覇を見てせざるは勇なきなり」は誤用であるため注意しましょう。「覇を見てせざるは勇なきなり」とは”義を見てせざるは勇なきなり”を元に作られた言い回しです。他にも「機を見てせざるは勇なきなり」や「血を見てせざるは勇なきなり」などがありますが、誤用しないようにしましょう。

「義を見てせざるは勇なきなり」を使った例文

  • 義を見てせざるは勇なきなりとは言うが、周囲の目が気になって人助けをできなかった。
  • 義を見てせざるは勇なきなりという言葉が思い浮かび、すぐさま落とし物を交番へ届けた。
  • 巻き込まれるのが嫌だからと見て見ぬふりをするのはやめなさい。義を見てせざるは勇なきなりだよ。
  • 義を見てせざるは勇なきなり。あの場ですぐに動けた君は、勇気ある立派な若者だ。

「義を見てせざるは勇なきなり」の類語・対義語とは?

「義を見てせざるは勇なきなり」の類語は”勇者は懼れず”

「義を見てせざるは勇なきなり」と似た表現(類語)には“勇者は懼れず(ゆうしゃはおそれず)”が当てはまります。「勇者は懼れず」とは”本当に勇気がある人は行動することを恐れない”を意味する言葉です。

「義を見てせざるは勇なきなり」と同じく”論語”の一節が語源となっており、「知者は惑わず(ちしゃはまどわず)、勇者は懼れず」や「仁者は憂えず(じんしゃはうれえず)、知者は惑わず、勇者は恐れず」とも表します。

  • 勇者は懼れず…本当に勇気がある人は行動することを恐れないこと。
  • 知者は惑わず…知識のある人は道理を弁えているため、行動に迷いがないこと。
  • 仁者は憂えず…他者を思いやれる人(仁者)の行動に、心配はないこと。

「義を見てせざるは勇なきなり」の対義語は”触らぬ神に祟りなし”

「義を見てせざるは勇なきなり」の対義語には“触らぬ神に祟りなし”が当てはまります。「触らぬ神に祟りなし」とは”余計な物事に関わらなければ、災いを招くことはない”を意味することわざです。「余計なことに手を出すな」という例えとして使われます。

「義を見てせざるは勇なきなり」は”行動を起こさないのは勇気がないこと”だとして、正しい行動を起こすよう促す故事ですが、「触らぬ神に祟りなし」は”行動を起こすことで災いを招く”として、余計な行動は控えるよう戒める意味が含まれます。

例文
  • 触らぬ神に祟りなしだと、社内の揉め事には全く関与しなかった。
  • 触らぬ神に祟りなしと、家族ですら近づこうともしないのだ。

「義を見てせざるは勇なきなり」の英語表現とは?

英語では「If you see what is right and fail to act on it, you lack courage」

「義を見てせざるは勇なきなり」は英語で“If you see what is right and fail to act on it, you lack courage”と表します。

「If you see what is right and fail to act on it」が”何が正しいのかを分かっていながら、それに基づいて行動できないのは”を意味し、「you lack courage」が”勇気が足りない”を意味しています。

まとめ

「義を見てせざるは勇なきなり」とは”人として何が正しい行動かを理解していながら実行しないのは、勇気がないからだ”を意味する言葉です。「論語」に記された一節が語源となっており、自分の損失や羞恥心などに捉われず正しい行動をする状況で使われます。

類語には「勇者は懼れず」が当てはまるため、「義を見てせざるは勇なきなり」以外の表現を使いたい場合は言い換えてみましょう。

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hana
大阪在住の新人ライターです。学生時代にビジネスマナーや医療事務・秘書などの検定を取得し、前職は医療秘書として医院勤めでした。料理とスポーツが得意なので、いつか記事にできたらなと思っています。よろしくお願いします。