「天上天下唯我独尊」の本来の意味とは?正しい読み方と使い方も

「天上天下唯我独尊」は「唯我独尊」の四文字熟語として日本でもよく知られている仏教の言葉です。「あの政治家は唯我独尊の独裁者だ」のように、独りよがりでワンマンな人物の言動を揶揄して使われることの多い「唯我独尊」ですが、実際の意味はすこし違うということをご存じでしょうか。ここでは、お釈迦さまが宣言したとされる「天上天下唯我独尊」の深い意味についてまとめます。

「天上天下唯我独尊」の意味や読み方とは?

「天上天下唯我独尊」の意味①「我こそが一番尊い」

「天上天下唯我独尊」の意味は、「我こそが一番尊い」です。

「唯我独尊(ただ我のみ独り尊し)」の文言を「我こそが尊き世界唯一の覚者である」と解釈し、生れたばかりの仏陀が早くもカリスマ宣言をしたという説が過去にありました。

近年では「天上天下唯我独尊」を「全世界で自分ほど偉い人はいない」ということを意味し、「唯我独尊な人」は、「うぬぼれている独りよがりな人」を意味する場合が多くあります。

自惚れが強く独善的な人を「唯我独尊」と表現するようになった所以は、この「我こそが一番尊い」という解釈に基づいています。

「天上天下唯我独尊」の意味②「すべての人がオンリーワン」

「天上天下唯我独尊」の2つ目の意味は、「すべての人がオンリーワン」です。

「我」をお釈迦さま個人ではなく、「全人類」ととらえて「人はだれでも唯一無二の存在」「そのままで尊いオンリーワン」とする説もあります。「天上天下唯我独尊」はタトゥー(刺青)のモチーフやスプレーペンキの落書き用フレーズとしても人気がありますが、この場合は俗世間から離れて「いつも己の心に従う」「信念を貫く」「わが道を往く」といったアウトロー的な生き方をアピールしているようにも見えます。

「天上天下唯我独尊」の意味③「人間は解脱できるから尊い」

「天上天下唯我独尊」の3つ目の意味は、「人間は解脱できるから尊い」です。

私たちが人として生まれたのは「なんらかの使命があるから」とする解釈です。仏教の理念である「輪廻転生(生まれ変わり)」が終わることを「解脱(悟り)」といいますが、「使命」とは、もちろん「解脱(悟りを得る)」ということです。

この世の中で仏の教えを聞いて解脱することができるのは人間だけであることから、「我々(人間という存在)は尊い」という意味が成立します。

読み方は「てんじょうてんが ゆいがどくそん」

「天上天下唯我独尊」の読み方は「てんじょうてんが、ゆいがどくそん」です。「天下」を「てんげ」と読んで「てんじょうてんげ」とすることもあります。

「天上天下」の意味は全世界

「天上天下」とは、全世界・全宇宙という意味です。

一方、「唯我独尊」については、様々な解釈があり、誤用されていることも多い言葉です。

「天上天下唯我独尊」の由来や英語表現

「天上天下唯我独尊」の正確な由来は不明

孔子やイエス・キリストと並んで世界三大聖人のひとりに数えられる仏教の開祖「仏陀(ブッダ・お釈迦さま)」が宣言したといわれている言葉ですが、正確な由来ははっきりしていません。

一説によると、紀元前5世紀頃の北インドで釈迦族の王子として生まれ、のちに「仏陀(仏の悟りを開いた人)」と呼ばれたゴータマ・シッダッタは、母親マーヤーの右脇から生まれるとすぐに自分の足で歩き、右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられています。

英語表現は「Heaven above, earth below, only I am holy.」

英語では、一般的に「Heaven above, earth below, only I am holy.」と表現されることが多いです。

「天上天下唯我独尊」の出典や原文とは?

「天上天下唯我独尊」の出典は「大唐西城記」

「天上天下唯我独尊」の出典元は、西遊記でおなじみ三蔵法師の著書「大唐西城記」だといわれています。それによれば、生れてすぐ東西南北に7歩ずつ歩いた菩薩(仏陀)は、「天上天下、ただ我のみ独り尊し」と言ったのち「三界皆苦我当安此(さんがいかいく、がとうあんし)」と語ったそうです。また、「天上天下唯我独尊、今茲而往生分已尽(こんじにおうじょうぶんいじん)」の言葉も残っています。

「天上天下唯我独尊」の原文における続き

「三界皆苦吾当安此(三界はみな苦なり、我まさにこれを安んずべし)」とは、「三界(さんがい)はすべて苦悩でしかないが、それでも私の心は安らかだ」という意味で、「三界」とは下から順に、人間の本能的な欲に支配されている「欲界」、美しい物質だけが存在する「色界」、あらゆる欲や物質を離れた精神世界「無色界」のことで、人は絶えず三界のいずれかに生まれ変わるとされています。

仏陀はそんな三界にあっても平安でいることはできるし、それこそが「解脱」だと言っています。「今茲而往生分已尽(わたしはもう二度と生まれることはない)」は、仏陀が使命を果たすために生まれてきたので、もう無限の転生を繰り返す必要がなくなったことを意味します。

このように原文やその続きを確認しても、「天上天下唯我独尊」をどのような意味と捉えるかが難しく、解釈が分かれてしまう原因となっています。

まとめ

「天上天下唯我独尊」という言葉は、その時代によってさまざまに解釈されています。実のところ、本当にお釈迦さまが言った言葉かどうかもよく分かりません。しかし、「三界皆苦吾当安此」を「世界がどれほど苦に満ちていても、わたしはそれに惑わされることはない」と解釈すると、時代がどのように変化しても恐れるものはないと思えるのではないでしょうか。