「イギリスの歴史」とは?統一の過程・イギリスでの歴史教育も解説

「イギリス」はイングランド、スコットランド、ウェールズと北アイルランドから成る国ですが、この4つの地域が一つの国家として成立するまでには長く、そして激しい変化の歴史がありました。

今回は、イギリスが統一されていくまでの歴史を解説し、さらにイギリスでの歴史教育の在り方についても紹介します。

※この記事の担当:Light1(海外在住20年。イギリス在住経験あり。イギリスのビネガー味のフライドポテトが好き)

「イギリス」とはどんな国?

「イギリス」は4つの地域から構成される国

「イギリス」はヨーロッパの西部に位置するブリテン諸島にあり、「イングランド」「スコットランド」「ウェールズ」「北アイルランド」の4つの地域で構成されています。それぞれの地域に歴史と独自の文化があって、イングランドを中心に合併を繰り返しながら一つの国家として成立しました。

「イギリスの歴史」とは?

イギリスの歴史をさかのぼれば、ネアンデルタール人などの旧人が住んでいた約1万年以上まで立ち返ることができるのですが、それほどの長い歴史をたどるには大変な時間が必要です。そこでこの章では、現代のイギリスを築いた4つの地域が合併していく歴史を中心にイギリス史をまとめてみます。

1536年にイングランドとウェールズが併合

30年にわたる王権争いのために繰り広げられたバラ戦争(1455-1485年)が終わり、チューダー家のヘンリーがヘンリー7世としてイングランド王に即位します。

チューダー朝となり約50年後の1536年、その息子ヘンリー8世がイングランドのイギリス統一という長きにわたる野望からウェールズを傘下にします(ウェールズ併合令)。

17世紀はイギリスの革命期

宗教改革が断行されて国王を頂点とするイギリス国教会が誕生するなどチューダー朝の絶対王政が進められるのですが、17世紀のはじめ、エリザベス1世が亡くなるとその後継ぎとしてスコットランドからジェームス1世を迎えたことでスチュアート朝になります。

毛織物を中心とした重商主義の経済政策が盛んとなり、東インド会社に代表される経済的にも確固たる地盤を築き、大国スペインやポルトガルを抜いてヨーロッパの主権国家と発展します。

しかしピューリタン革命をはじめとする内乱が勃発して、王制倒れてクロムウェルを中心とする和制(コモンウェルス)が成立します。しかしクロムウェルの独裁政治に嫌気を指した民衆に後押しされて王政復古します。

ところが名誉革命(1688-1689)により立憲君主制となると、国王の権力が憲法によって制限される政治体制になります。

政治的に激動の時代ではありましたが、イギリスの海外進出はより活発化してフランスやオランダとの抗争が激しくなっていきます。

1707年に「グレートブリテン王国」が成立

1707年、イングランド王国のアン女王のもとでイングランドとスコットランドが併合されて、グレートブリテン王国が成立します。アン女王には後継ぎがいなかったことから、ドイツのジョージ1世が迎えられてハノーヴァー朝となり議会政治が確立されます。

産業革命により資本主義経済が発展していくのと同じころ、海外の植民地化が進んでいきます。

「グレートプリテンおよびアイルランド連合王国」の成立

1801年にイギリスはアイルランドを併合してグレートプリテンおよびアイルランド連合王国を成立させます。その後、19世紀の初めにはナポレオン戦争に勝利しウィーン会議でケープ植民地などの植民地を広げていきます。

国内では産業での工業化に成功して世界の工場と言われるほどの高い供給力を誇り産業資本家がのし上がっていきます。そうした社会的は状況を背景にして、奴隷制の廃止やカトリック教徒の開放など自由主義的な改革が進められていきます。

「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」の成立

アイルランドはイギリスに併合されるものの対立する姿勢を崩さず、20世紀に入り1921年、イギリス=アイルランド条約を締結します。これを機に1922年にカトリックの多いアイルランドの南部はアイルランド自由国として独立します。一方、プロテスタントの多い北部はイギリスに残留する形になり、イギリスの正式国号としてグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国が成立し、現在のイギリスになりました。

イギリスと香港の関係とは?

イギリスが香港を統治していた時代

香港はアヘン戦争中の1841年1月26日から1997年6月3日までイギリスに統治されました。香港はイギリス領でしたが、1941年12月から1945年8月までは日本に占領されています。

歴史的及び文化的にも中国の影響が色濃く残る香港は、イギリス領でありながらイギリスからは遠い存在でした。しかし第二次世界大戦後に香港は中国系の企業が多いながらも、イギリスと中国またはその周辺のアジア諸国との懸け橋的な位置づけ、中継貿易港として発展します。特に金融面では、金融センターランキングでNY、ロンドン、上海、東京に続く5位(2020年9月)にランキングされるまでになりました。

1997年に香港は中国に返還される

イギリスは香港を統治下に置き続けたかったのですが、中国はこれに反発します。そして1984年に中英共同宣言により香港の主権は中国に移り香港は特別行政区になることが宣言されて、1997年7月1日に香港は中国に返還されました。

香港には行政、立法、司法で自治権があり、従来通りの生活が2047年まではできるように保障されています。

香港人がイギリスの市民権獲得へ

香港で民主と自由を訴えるデモが活発化すると、香港の独立を阻止したい中国政府は202年に香港国家安全維持法(国安法)を施行します。施行初日から逮捕者が出るほどに緊迫した事態となりました。

この事態を受けてイギリス政府は国安法への抗議として、2020年7月、香港人がイギリスの市民権や永久権を申請できるように条件を提示します。また2021年1月31日からは特別ビザの申請の受付も始める予定で、イギリス政府は約30万人の香港人がイギリスに移住するのではないかと予測しています。

イギリスでの歴史教育とは?

歴史の授業は5歳から始まる

5歳から始まる初等教育の6年間の間に、歴史の授業の基礎として古代からアングロ=サクソン七大王国が成立する中世までを学びます。同時に、古代ギリシャや古代エジプトなどのイギリス以外の世界史にも目を向けます。

本格的な歴史の授業は11歳から

初等教育を終えて中等教育になってから歴史の授業が本格的に始まります。Key Stage3と呼ばれる11歳~14歳の生徒にとって歴史は必須科目のひとつで、次のステップであるKey Stage4(14歳~16歳)では歴史は選択科目になります。

歴史の授業でのポイントは、歴史的に要所となる出来事の特徴を理解してどのように影響を与えていったのかを文化的、経済的、政治的、または宗教的な要素などにも着目しながら歴史的な観点を獲得することを目的としています。

授業の取り組み方の特徴として、特に日本の歴史の授業との違いは、現代史に時間を割き、例えば第一次および第二次世界大戦について学習する機会が多いことです。

英国病からの脱皮

イギリスの歴史教育は1960年代まで自国の歴史を自虐的に捉えて悪い国だと解釈させるような教授法、いわゆる「英国病」が深刻化していました。しかし80年代にサッチャー政権は教育改革を推し進め、ナポレオン戦争の功績などイギリスの良かった歴史に着目して英国病からの脱皮を試みました。

その結果、自虐的偏向を取り除き、全国共通の教育内容の共通化をするためのガイドラインが定めました。またGCSEと呼ばれる中等教育修了一般資格試験が導入されました。

まとめ

イギリスは4つの地域が併合されて成り立っている国家ですが、国家として成立するまでに200年以上の時間がかかりました。その間に内紛や国外のヨーロッパ諸国との対立、経済的な成長を遂げつつ植民地を広げていくといった変化の激しい時代を乗り越えてきました。

ここに記されていないイギリスの歴史はまだまだありますから、もしも興味があればイギリスの歴史に関する書籍などを手に取って読んでみてください。