「四十にして惑わず」の意味や読み方は?使い方や「不惑」の意味も

「四十にして惑わず」とは、中国の思想家である孔子の残した漢文の一部としても知られています。「五十にして天命を知る」と続きますが、その前後も知っていますか?
この記事は「四十にして惑わず」の意味や読み方、由来や使い方についての解説です。よく耳にする「不惑」についてや英語表現も紹介します。

「四十にして惑わず」の意味と読み方とは?

意味は「物事の道理を理解し迷いがなくなること」

「四十にして惑わず」の意味は、“40歳になり物事の道理を理解することで迷いがなくなること”です。「物事の道理」とは、”物事に対する筋が通っている状態”のことで、「正しい道筋」や「正当な考え方」などをさしています。また、「惑う」とは”判断に悩む・道や方向がわからない”という意味の言葉。「惑わず」と否定することで、判断にまよったり煩悩に負けたりしないというニュアンスです。

ここから、「四十にして惑わず」は、40歳になり物事に対する正しい道筋や考え方を理解することで、進むべき方向に迷わなくなるという意味の言葉と言えます。

読み方は「しじゅうにしてまどわず」

「四十にして惑わず」の読み方は“しじゅうにしてまどわず”です。「四十」は”よんじゅう”とも読みますが、ここでは「しじゅう」ですので、間違えないように注意しましょう。

「四十にして惑わず」の由来とは?

由来は「論語」に記載されている漢文

「四十にして惑わず」の由来は、孔子(こうし)の言葉を記録した書物「論語(ろんご)」に記載されている言葉です。孔子は古代中国の思想家で儒教の創始者でもあります。孔子の死後、弟子たちがその言葉を記録した書物のひとつが「論語」です。

「四十にして惑わず」は、孔子が自分の人生について語った言葉の一部とされています。

続きに「五十にして天命を知る」などがある

「四十にして惑わず」は、「五十にして天命を知る」と続きます。その前後の文脈と、書き下し文・現代語訳を紹介します。

論語の一節

子曰 吾十有五而志乎学 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而従心所欲不踰矩

書き下し文

子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う(したがう)。七十にして心の欲するところに従えども矩(のり)をこえず。

現代語訳

先生はおっしゃった。「私は十五歳のときに学問を志した。三十歳で精神的に独立し、四十歳で迷うことがなくなった。五十歳で与えられた天命を理解し、六十歳になれば人の意見を耳を傾けるようになった。七十歳で、心で思うままに行動しても道徳的な道を踏み外すことがなくなった。」

「四十にして惑わず」から40歳を「不惑」と呼ぶ

論語に記載されている孔子の言葉は、それぞれの年齢を表す呼称としても使われています。

  • 15歳:志学(しがく)
  • 30歳:而立(じりつ)
  • 40歳:不惑(ふわく)
  • 50歳:知命(ちめい)
  • 60歳:耳順(じじゅん)
  • 70歳:従心(じゅうしん)

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「四十にして惑わず」の使い方と例文とは?

自分の行動を反省するときに使う

「四十にして惑わず」という言葉は、自分の行動を反省するときに使えます。

例えば、四十歳を過ぎている人が、落ち着いた行動ができず人生について迷っているとき。「「四十にして惑わず」というが、私は迷ってばかりですよ。」などと使います。自分の迷いや落ち着きのなさを反省したり、自虐的に話したりするときに使う表現です。

相手の行動をたしなめるときに使う

「四十にして惑わず」という言葉は、いつまでも落ち着かない行動をしていたり迷ってばかりだったりする人に注意や助言をするときにも使える言葉です。

例えば、40歳を過ぎて仕事を転々をしている人に対して、「次の仕事は「四十にして惑わず」という気持ちで頑張ってね」などと助言をします。相手を奮起させる気持ちを伝えたいときに使える言い回しです。

スピーチの言葉として使う

スピーチやあいさつの場でも「四十にして惑わず」という言葉は聞くことがあります。

例えば、新しいプロジェックを任されたとき。「私は先月40歳を超えました。このプロジェクトは「四十にして惑わず」の精神でやりぬきます!」と、決意表明の言葉として使うことで、頑張る気持ちを強くアピールできます。

「四十にして惑わず」を使った例文

「四十にして惑わず」を使った例文をご紹介しましょう。

  • 「四十にして惑わず」というのに、彼は40歳を超えても全く落ち着かない。
  • 君も40歳を超えたのだから「四十にして惑わず」の気持ちでがんばりなさい。
  • 「四十にして惑わず」だなんて、とても出来そうにありません。

「四十にして惑わず」の英語表記とは?

英語表記は「At forty, I had no delusions」

「四十にして惑わず」は英語で“At forty, I had no delusions”“At forty, I had no doubts”と表現します。

「delusions」は”妄想・迷い・惑い”を意味し、「doubts」は”疑う”という意味の「doubt」の複数形です。どちらも「no」がつくことで、”迷わない・疑わない”という意味を表現します。

まとめ

「四十にして惑わず」とは、40歳になり物事の道理を理解することで迷いがなくなるという言葉です。古代中国の思想家である孔子が、自分の人生について語った言葉が由来です。

孔子のような境地になるのは並大抵のことではありませんが、自分らしく生きることの教えとして心にとどめたい言葉のひとつでしょう。