「光陰矢の如し」のことわざは月日が過ぎることの速さをたとえるときや格言としてよく使われます。しかし月日が過ぎることの意味だけでは格言にはならないので、他に意味がないのか気になることはありませんか?
「光陰矢の如し」について、原文の漢文を確認しながら、格言としての意味と使い方を例文や類語とともに解説します。
「光陰矢の如し」の意味とは?
「光陰矢の如し」の意味は「月日が過ぎるのは矢のように速い」
「光陰矢の如し」の読み方は「こういんやのごとし」です。意味は「月日が過ぎるのは矢のように速いこと」で、たとえとして使われます。「光陰」とは月日や歳月または時間という意味です。「光陰を惜しむ」と使われることもあります。
格言としては「放った矢のように時間は戻ってこないこと」
「光陰」に続く「矢の如し」とは、「矢のように」という意味です。月日の過ぎるのは放たれた矢のように早く、また二度と戻ってこないものだ、と取り戻せない時間を大切にしたいという教訓として使われます。
「光陰矢の如し」の漢文と由来は?
「光陰矢の如し」の漢文は「光陰如箭」
「光陰矢の如し」は漢文で「光陰如箭」と書きます。「箭(や)」とは「矢」と同じ意味です。唐の時代の書物に「光陰如箭」が使われている例が多くあるようですが、日本のことわざの出典がどれであるのかは明らかになっていません。
出典は不明だが古くから用いられてきた表現
「光陰矢の如し」の出典は不明ですが、日本の古い文献などにみられる例としては、鎌倉時代の曽我物語や江戸時代の浮世草子、仏教の経典などに「光陰矢の如し」の記述があるようです。また、平安時代の古今和歌集に収められた歌には「弓」を射るように時間が早く過ぎるとの思いをうたったものがあります。
近代では、福沢諭吉が書いた『旧藩情』の中に、「光陰矢の如く」の表現で時が早く過ぎることをたとえた一文があります。
「光陰矢の如し」の使い方と例文
時間の速さを憂うときや格言として使う
「光陰矢の如し」はあっという間に過ぎ去る時間の速さを憂うときなどに、心情を伝えるたとえとして使われたり、時間は取り戻すことができないという格言として使われたりします。ここで言う「時間」とは、何分何秒というときの流れだけでなく、私たち人間にとっての時間=人生も、比喩的に表現することがあります。
「光陰矢の如し」を使った例文
- 入社して10年が経った。まさに光陰矢の如しだ。
- 光陰矢の如しだから、今を精一杯生きたいものだ。
- 光陰矢の如しというから、時間を無駄にせず大切に使いたい。
- 光陰矢の如しだから、優先順位をつけて人生を有意義に生きたい。
「光陰矢の如し」の類語
「白駒の隙を過ぐるが如し」は人の一生は短いものだという格言
「白駒の隙を過ぐるが如し(はっくのげきをすぐるがごとし)」とは、馬が通り過ぎるのを隙間から一瞬見るかのように人の一生は短いものだという格言です。「人生は白駒の隙を過ぐるが如し」という場合もあります。「光陰矢の如し」と同じ意味で用いられます。
出典は『荘子』で原文は次の通りです。
人生天地之間、若白駒之過郤、忽然而已
「人間が生きるのは、白馬が戸のすき間を走りすぎるのを一瞬見るように、ほんの束の間に過ぎない」ということが書かれています。
「一寸の光陰軽んずべからず」はわずかな時間も無駄にしてはならないこと
「一寸の光陰軽んずべからず(いっすんのこういんかろんずべからず)」とは、「一寸の光陰」すなわち「わずかな時間」も無駄にしてはならないという戒めのことわざです。
「少年老い易く学成り難し」も時間を無駄にしてはならないの意味
「少年老い易く学成り難し(しょうねんおいやすくがくなりがたし)」とは、若いときは短いが、学問は容易に修めがたいという意味のことわざとしてよく知られています。
「少年老い易く学成り難し」と「一寸の光陰軽んずべからず」は南宋の儒者である朱熹の詩句が出典の故事成語です。
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」が一文で、「若いときは短いのに学問は容易に修めがたいのだから、わずかな時間も無駄にしてはならない」という意味でつながっています。
「光陰矢の如し」の英語表現
「Time flies」がよく使われる
「光陰矢の如し」の英語表現を紹介します。英語でよく使われる言い回しで「Time flies(時は飛ぶ)」がありますが、特にここには格言としての意味はありません。
また、「光陰矢の如し」の対訳として「Time flies like an arrow」が使われることが多いようですが、これも格言としては使われません。格言的な表現としては次のようなものがあります。
- Time and tide wait for no man
- Life is short
まとめ
「光陰矢の如し」は放たれた矢の速さを時間をたとえて「月日が過ぎるのは矢のように速いこと」という意味と、放たれた矢は戻ってこないことから「過ぎ去った時間は戻ってこないこと」という意味で使われる格言です。
「光陰矢の如し」の出典は明らかではありませんが、古代中国や平安時代以降の日本の文献などにたびたびその表現がみられます。いつの時代にも過ぎ去る日々を惜しむ気持ちは変わらないのです。