「灰燼」と「灰塵」の違いとは?「灰燼に帰す」の使い方や類語も

「灰燼」は灰と燃え残りという意味ですが、慣用句として使われることが多い言葉です。同音異字語に「灰塵」がありますが、意味の違いや使い分けの基準はあるのでしょうか。この記事は、「灰燼」の意味と使い方、類語にも触れながら「灰塵」との使い分けについても紹介したものです。

「灰燼」の意味とは?

「灰燼」の意味とは「灰や燃え殻」

「灰燼」とは、「灰や燃え殻」のことです。物が燃え尽きたあとに残る「灰」と、「燃え残り」「焼け跡」という意味の「燼」で構成された熟語で、漢字の意味がそのまま熟語に反映されています。

「灰燼」の読み方は「かいじん」

読み方は「かいじん」ですが、古くは「かいしん」と読まれていました。

「灰」を「はい」と読み誤っている事例がときおり見受けられますが、同じく「かい」と読む「石灰(せっかい)」を覚えておくと間違いを避けることができるでしょう。

「灰燼」は跡形もなく灰になってしまうこと

「灰燼」は、建物などが跡形もなく焼け落ちて灰になってしまうさまを表しても用いられる言葉です。日本の建造物は主に木でできているため、たとえ栄華を極めた壮大な建造物であっても、ひとたび火災が発生すると跡形もなく燃え落ちてしまうことはめずらしくありませんでした。

鎌倉時代初期、鴨長明(かものちょうめい)によって書かれた「方丈記(ほうじょうき)」には、都の三分の一を焼き尽くした安元の大火の描写に「灰燼」が使われています。日本人の無常観をよく表したものだといえるでしょう。

「灰燼」の使い方と例文

「灰燼に帰す」とは完全に焼けて跡形もないこと

「灰燼に帰す(かいじんにきす)」とは、完全に焼けてしまい跡形もなくなってしまうことを表した慣用句です。

「帰す」は、元の状態に戻ることや最後に行き着くところを指した言葉で、労力と時間を掛けた建造物などが跡形もなく焼け落ち、何もなかった元の状態に戻ってしまうさまを指した慣用句として用いられています。

例文

絢爛豪華を極めた安土城は、本能寺の変によりたった3年で灰燼に帰すことになった。

「灰燼と化す」は苦労や努力が無になること

「灰燼」を使った慣用句として、「灰燼と化す(かいじんとかす)」もあげることができます。「化す」は形や状態などが別のものになることを表した言葉で、元の建造物などが灰や燃え跡に変わってしまったことを意味する慣用句です。

「灰燼に帰す」と同じ意味合いの慣用句ですが、苦労や努力や成果や結果に至ることなく無駄になってしまうようなことを比喩的に言い表したいときに、「灰燼と化す」が多用されています。

例文

突然の中止命令によって、これまで積み上げてきた研究成果は灰燼と化すことになった。

「灰燼となる」とは燃えて灰になってしまうこと

「灰燼」は、あとに「~となる」を続けて、燃えて灰になってしまうことを表す用法が多くみられる言葉です。「灰燼」そのものは「灰と燃え残り」を指した言葉ですが、もともとは立派なものがあったけれど燃え落ちて、あとには灰のみが残ったというニュアンスがあります。

例文

徳川三代の帰依を受けた寛永寺の大伽藍は、戊辰戦争によって灰燼となってしまった。

「灰燼となす」とは焼失させるということ

「灰燼」に「~となす」を続けると、「灰にする」という意味になります。漢字で書くと「成す」「為す」となる「なす」は、そのような状態にする・変えることを指した言葉です。つまり「灰燼となす」は、もとにあったものを焼き尽くして消滅させるという意味を表します。

例文

洛中を灰燼となした応仁の乱は、国中を巻き込む戦国時代の幕開けでもあった。

「灰燼」と「灰塵」の違いとは?

「灰塵」とは「灰と塵」

「灰燼」の同音異字語である「灰塵」は、灰と塵(ちり)のことを指した言葉です。「塵」には土埃や紙くず、跡形もなく砕け散るという意味がありますが、とるに足らない些細なものや価値のないものの例えとして用いられています。

「灰塵」という熟語においては、この「塵」の意味が強く表れており、値打ちのないものごとを比喩的に表したいときによく使われているものです。たとえば「巨大竜巻の来襲を受けた街は、一面に灰塵と瓦礫が広がっているだけだった」のように使います。

「灰塵」は燃えていなくても使える言葉

「灰塵」は、「灰燼」と似た意味合いで用いられているものです。しかし、燃えてなくなることを指す「灰燼」に対し、「灰塵」は燃えていない場合にも使われることに違いがあります。

たとえば戦火によって燃え落ちた場合には「灰燼」が、地震などによって崩れ落ちた場合には「灰塵」が適切です。また、取るに足らないものという意味合いを強調したい場合には、「灰塵」が使われています。

慣用句では「灰燼」を用いる

文芸作品においては、「灰塵に帰す」のように表記されている事例もみうけられます。しかし通常、「カイジンに帰す」や「カイジンと化す」のように慣用句として用いる場合には「灰塵」ではなく「灰燼」が正解とされているため、一般的な用法においては「灰燼」の使用がおすすめです。

「灰燼」の類語・類義語とは?

「灰燼」の類語は「灰殻」

ものが燃えてできる灰や燃え残りのことを表す「灰燼」の類語は、「灰殻(はいがら)」です。たとえば、「貴重な古文書だったが書き損じとともに焼却され、すべて灰殻になってしまった」のように使います。「灰殻」を「はいから」と読んだ場合、西洋風の暮らしぶりや服装を指すハイカラ(high collarが由来)を皮肉ったものとなります。

なお「余燼(よじん)」も同じ意味合いの言葉ですが、一件落着後になお残る影響のことを指しても用いられます。

「烏有に帰す」とは火事ですっかり焼けてしまうこと

「烏有に帰す(うゆうにきす)」は、火事ですっかり焼けてなくなってしまうことを指した慣用句です。「灰燼に帰す」の類語として使うことができるもので、鳥類のカラスとは関係ありません。

「烏有」を訓読すると「いずくんそあらんや」で、意訳すると「どうしてあるだろうか、いやない」となります。「何もない」ことを意味し、ここに「帰す」がつくと火災で全焼して何もかもなくなってしまうことを指して用いられるようになりました。

使い方の例としては、「空襲で烏有に帰してしまったが、日本にはもう一枚「ゴッホのひまわり」があった」のようになります。

「水泡に帰す」とは苦労や努力が無駄に終わること

「水泡に帰す(すいほうにきす)」は、これまでの苦労や努力が無駄に終わってしまうことを表した慣用句です。水に浮かぶ泡はもろくて壊れやすいもので、跡形もなく消え去ってしまうことが由来となっています。

「水の泡」という表現も同じ意味合いで、いずれも「灰燼と化す」の類義語として使うことができ、「もう少しで完成だったのに、まさかの凡ミスによってこれまでの努力が水泡に帰してしまった」のように表現します。

「焦土と化す」とは焼け野原になること

「焦土と化す(しょうどとかす)」は、市街地などが焼け焦げた土地になることを指します。「相次ぐ空爆で焦土と化した街を復興するためには、長い年月が必要だろう」のように使われ、爆撃や災害などで一面焼け野原になった様子を表しています。

「焦土と化す」には、苦労が無になることや価値を失うというように比喩的な用法はなく、実際に土地が焼けてしまったことのみを表した言葉です。

まとめ

「灰燼」と「灰塵」との違いについて、意味と使い方や類語などもふくめて紹介しました。漢字だけでなく読み方も難しい「灰燼」と「灰塵」は、日常生活で使う機会が少ない言葉です。使い慣れない言葉は誤った使い方をしてしまうことや、相手に理解されないことが多いため、わかりやすい言葉で言い換えることも検討したいものです。