「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」ということわざをご存じでしょうか?「安んぞ」や「知らんや」などの言い回しがあるため、独特な響きがあると思います。ここでは「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の意味と由来をはじめ、中国語と現代語訳、英語フレーズを紹介します。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の意味と由来とは?
意味は「小さな人間は大物の志は理解できない」
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とは、「小さな人間には大物の志はわからない」という意味があります。考えや視野などが狭い人や心持ちがちっぽけな人は、大物が抱く偉大な野心や願望を理解できるはずがないということを表しています。
ちなみに「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の読み方は「えんじゃくいずくんぞ こうこくのこころざしをしらん」です。
「燕雀」と「鴻鵠」を人にたとえたことわざ
そもそも「燕雀」はツバメや雀などの小さな鳥を指し、「鴻鵠」はコウノトリや白鳥などの鳳を象徴しています。そして「安んぞ」は、副詞的に「どうやって」「どうして」を意味し、また「知らんや」は推量の「や」を付けて「知ることができるだろうか」となります。
直訳すると「ツバメや雀などの小鳥たちに、コウノトリや白鳥のような鳳の志を知ることができるだろうか(いやそんなはずはない)」という反語を使った表現です。
つまり、小鳥を視野の狭い小さな人、大鳥を大物や偉大な人物にたとえたことわざが「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」となります。
由来は「史記」に書かれた陳勝の話
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は、紀元前の歴史家として知られる「司馬遷」が編集をした「史記・陳渉世家」に由来します。中国の名家に関する記述や、それぞれの家系をまとめた記録などが記されていますが、その中の一説が由来となる部分です。
もともと「陳渉(陳勝)」は雇われ農夫という低い身分でした。ある日、同じ農夫仲間である一人に「たとえ私が将来出世しても、お前のことを忘れない」と言ったそうです。雇われ農夫という同等の身分でありながら、人を見降ろしたような口の利き方に、その農夫は嘲笑いました。
ここで陳渉(陳勝)が仲間の農夫に放った言葉が「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」です。血筋も家系も良くない陳渉(陳勝)でしたが、指導者になるべく将来への展望と志は強いものでした。そして上手に農民たちを率い、自身を王位とする「張楚」を構築したのです。
中国語(漢文)の原文と現代語訳
陳渉(陳勝)が呟いた漢文の原文とその現代語訳を紹介します。ここでは「小鳥などに大鳥の気持ちが理解できるはずがない」という否定の感情を強く示す姿勢がうかがわれます。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の使い方とは?
視野の狭い相手をなぶる意図で使われる
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は、視野の狭い人に対してなぶるような意図で使われることがあります。たとえば、将来への夢を持ち目標に向かって努力を続ける人が、自堕落な生活をしている人に対し「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と言って相手をなぶったり、嘲笑うことがあります。
もちろん、人間性の小さい人に対し、見下したような行為を取るのは良いとは言えません。しかし「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という表現を使うことによって、「大物である私の気持ちが分かってたまるか」という否定的な感情を比喩的に表すことができます。
親のすねをかじっている君に、苦労をして会社を立ち上げた僕の気持ちがわるはずがない。「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉を知っているかい?
大物になるために尻を叩く意図で使われる
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という表現を使って、大物になるためのモチベーションを高めることもできるでしょう。つまり、所詮、人間の小さい人は大物に気持ちがわからないのだから、と嫌味的な言い回しで相手の尻を叩くという戦略です。
もちろん、すべての人に効果的であると言えば嘘になりますが、皮肉めいた言い回しは相手の感情を逆立て、むしろ「大物になってみせる」と意気込みを新たにさせるかもしれません。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」というように、世界の成功者の志を理解したければ、努力をして大物を目指せ。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語と対義語
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語「鷽鳩大鵬を笑う」
「鷽鳩大鵬を笑う(がくきゅうたいほうをわらう)」は「つまらない者には大物の考えを理解しようがない」という意味です。直訳すると「小鳥が天高く飛ぶ大鳥を嘲笑う」となりますが、転じて「小さな者には大物の志などわかるはずがない」という意味で使われます。
「鷽鳩」とは呼んで字のごとく「ウグイスとハト」のことで「小さな鳥」を総称しています。また「大鵬」は「大きな鳥」のことです。おおむね「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とほぼ同じニュアンスで使われます。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の対義語「英雄は英雄を知る」
「英雄は英雄を知る」の意味は「優れた人間は、同等に優れた人間を見抜く」です。つまり、「能力や実力、志などが高い人というのは、同じような人を見抜き理解するものである」ことをしています。
「英雄は英雄を知る」は三国志を由来とすることわざで、「優れた人は同等の能力を持つ人を理解するだけではなく、他人の隠れた能力をも簡単に見抜く」というニュアンスで使われることが多いです。「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とは逆の意味として使える言葉でしょう。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」を英語で言うと?
英語は「Ask not the sparrow how the eagle soars」
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」を意味する英語のことわざに「Ask not the sparrow how the eagle soars」があります。
もともと「志が低かったり能力が未熟なものに、ものごとを聞くな(聞いても仕方がない)」という意味があり、英語圏では「高い知識や能力を習得したければ、優れた人に聞くべし」という、教えのような位置にあることわざとなります。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」を使った英語例文
Ask my father not me if you are keen to learn the construction technique.
You know people say “Ask not the sparrow how the eagle soars”.
建築技術を学びたいなら、私じゃなくて父に聞くべきだよ。
あなたも知っているでしょう「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」ということを。
まとめ
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は「心が小さく視野の狭い人には、大人物の志や気持ちなどわかるはずがない」という意味があり、「どうして、理解できようか?」という反語を使った表現です。
使い方によっては相手を見下すニュアンスで伝わることがありますが、逆に部下や新人の意欲をかきたてるための言葉として使うこともできます。
【原文】嗟呼、燕雀安知鴻鵠之志哉。
【現代語訳】ああ、どうやって小鳥などに大鳥の気持ちが分かるだろうか。