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「豚に真珠」の由来は聖書?意味や類語「猫に小判」と対義語も解説

「豚に真珠」は、価値のわからないものに貴重なものを与えても無駄である、という意味で「聖書」に記されたキリストの言葉が由来のことわざです。類語のことわざには、「猫に小判」や「馬の耳に念仏」などがあります。

ここでは「豚に真珠」の意味や使い方を例文とともに解説しています。類語や対義語との違いと、英語表現についても紹介しましょう。

「豚に真珠」の意味と由来は?

「豚に真珠」の意味は「意味がなく無駄なこと」

「豚に真珠(ぶたにしんじゅ)」とは、価値の分からない相手に貴重なものを与えても意味がないということ。

豚は動物のため、真珠が持つ高価で美しいという価値がわかりません。価値を理解していない豚に真珠を与えたところで、何の意味もなく無駄になってしまいます。ここから転じて、価値を理解できない者に貴重なものや価値のあるものを持たせても無駄である、という意味につながっています。

「豚に真珠」の由来・語源は「新約聖書」

「豚に真珠」という言葉の由来は「新約聖書」にあります。新約聖書はキリスト教の正典で、イエス・キリストの生涯や言葉が記された書物です。その中のひとつ「マタイによる福音書(ふくいんしょ)」の7章6節に「神聖なものを犬に与えてはならず、また真珠を豚に投げてはならない」とあります。さらに「彼らはそれを踏みつけ、あなた方を攻撃してくるだろう」と続いています。

当時、豚は不浄でありけがれたものとして扱われていました。イエス・キリストは、けがれた動物である豚に真珠を与えてもその価値や意味がわからないばかりか、平気で踏みつけ攻撃するだろうと説いています。人間にとっては高価で価値のある真珠も、その素晴らしさがわからない豚にとっては無駄でしかないということです。この教えが「豚に真珠」ということわざとなって伝わっています。

「豚に真珠」は英語で「peals before swine」

「豚に真珠」を英語で表現するには「peals before swine」というフレーズを使います。「swine」は「豚」という意味の古い単語。そのまま「豚に真珠」と訳します。

新約聖書の一節に出てくるフレーズで「豚の前に真珠を投げる」というニュアンスの「cast peals before swine」が語源となっている言葉です。

「豚に真珠」の使い方と例文

「豚に真珠」は無駄であることを表すときに使う

「豚に真珠」という言葉は、たとえ価値のある物でも、それを理解できない人にとっては無駄であること表すときに使います。

高価な骨とう品やブランド物であっても、その価値がわからない人にとっては無駄なものでしかありません。「高価なブランド物のバッグをいただいたけど、私には豚に真珠だ」などと表現することで、その人にとっては価値がなく無駄であるというニュアンスが伝わります。「豚に真珠」を自分に対して使う場合には、謙遜や自虐のニュアンスも含むことが多いでしょう。

似合わないという意味で使うのは誤用

「豚に真珠」という言葉を「似合わない」や「分不相応」「身の程知らず」という意味で使う人も多くいます。しかし、相手にとって価値がないため無駄であるというのが本来の意味のため、誤用にあたります。似合っていないことを表すのに「彼にブランドスーツを着させても豚に真珠だな」などと表現するのは間違いです。

また「その人が物の価値をわかっていない」というネガティブなニュアンスを含むため、相手に対して失礼になりかねません。他人に面と向かって「あなたにブランドバッグをプレゼントしても豚に真珠ですね」などと言うのは避けた方が良いでしょう。

「豚に真珠」を使った例文

  • サッカー少年の彼にバットやグローブをプレゼントしても豚に真珠ですよ。
  • 祖父から高価な骨とう品をもらったけど、興味のない僕には豚に真珠だ。
  • ブランドバッグをプレゼントしたが、彼女は興味がなかったらしく豚に真珠だった。

「豚に真珠」の類語・類義語は?

「豚に真珠」の類語は「猫に小判」

「猫に小判(ねこにこばん)」とは、猫に小判を与えてもその価値を理解していないため役に立たないこと。転じて、価値のわからない者に高価なものや貴重なものを与えても、何の役にも立たず無駄であるという意味のことわざです。

たとえば「高価なワインをいただいたが、私には違いがわからず猫に小判でした」などと表現します。価値がわからず無駄だったというニュアンスで、自分に対して使う場合には謙遜の意味合いもあります。しかし他人に使う場合には、相手に対して「価値がわからない」や「役に立たない」というニュアンスになるため、失礼にあたる場合も多く注意が必要です。

「豚に真珠」とほぼ同じ意味のことわざで、言い換えとしても使えるでしょう。

「馬の耳に念仏」も「豚に真珠」の類語

「馬の耳に念仏(うまのみみにねんぶつ)」とは、馬に念仏を聞かせても理解できないこと。転じて、どんなによい意見や話を聞かせてもありがたみがわからず効き目がないという意味のことわざです。

価値がわからない人やありがたみのわからない人というニュアンスを含むため、他人に使う場合には注意が必要です。

「豚に真珠」は物を与えても無駄であるというニュアンスですが、「馬の耳に念仏」はありがたい話や意見を聞かせても無駄であるというニュアンスです。

「豚に真珠」に似たことわざには「犬に論語」も

「犬に論語(いぬにろんご)」とは、犬に「論語」を話して聞かせても理解できないということ。「論語」とは古代中国の思想家「孔子」の教えを記した書物で、弟子に説いた言葉がつづられています。つまり「犬に論語」とは、どんなにすばらしい教えであっても理解ができない者に語るのは意味がなく無駄であるという意味の言葉です。

理解ができない者というニュアンスを含むため、自分に対して謙遜や自虐の意味として使える言葉です。しかし、他人に対して使用するには注意した方が良いでしょう。

「豚に真珠」の対義語・反対語は?

対義語1「鬼に金棒」は強い者がさらに強くなること

「鬼に金棒(おににかなぼう)」とは、強い鬼に武器となる金棒を持たせることでさらに強くなること。もともと実力のある強い人が何か知識を得たり助けを得たりすることで、さらに強くなるという意味のことわざです。ここでの「鬼」は強いものの象徴であり、「金棒」は役に立つものや助けとなるもののことをさしています。

価値のあるものを持たせても無駄であるという意味の「豚に真珠」に対し、「鬼に金棒」は助けになるものを持たせることでさらに強くなるというニュアンスで、反対の意味といえます。

対義語2「弁慶に薙刀」は強い者がさらに強くなること

「弁慶に薙刀(べんけいになぎなた)」とは、強い弁慶が薙刀を持つことでさらに強くなることを表します。「弁慶」とは、源義経に仕えたとされる平安時代の僧兵「武蔵坊弁慶」のことです。

怪力で薙刀の名手としても知られる強い弁慶に薙刀を持たせることでさらに強くなるということから、すでに強い者が強力な武器を得ることで今以上に強くなるという意味のことわざです。

「鬼に金棒」とほぼ同じ意味であり「豚に真珠」の対義語と言えます。

まとめ

「豚に真珠(ぶたにしんじゅ)」とは、豚に真珠を与えても価値がわからず無駄であることから、高価で貴重なものであっても、価値がわからない者に与えるのは無駄という意味のことわざです。

「新作聖書」にあるイエス・キリストが弟子たちに説いたとされる言葉が由来となっています。「無駄である」というニュアンスのため、「似合わない」の意味で使うのは誤用です。他人に面と向かって言うのは避けたほうがよいでしょう。