「知らぬが仏とはこのことだ」などと使われる「知らぬが仏」。本当のことは知らない方がよいという意味で使うこともあれば、真実を知らずにのんびりしている人を揶揄する使い方もあります。
この記事では、身近なことわざでありながら意外に知らない「知らぬが仏」の意味や使い方を紹介します。
「知らぬが仏」の意味と由来とは?
「知らぬが仏」の意味は「知らなければ平静でいられる」
「知らぬが仏(しらぬがほとけ)」とは、「知れば腹が立つようなことも、知らないでいれば平静でいられる」という意味のことわざです。
たとえばある人に不利益となる情報を知ってしまったときなどに、「本人が知れば動揺するから知らない方がよいだろう」と考えることを「知らぬが仏だ」と一言で表します。
本人だけが知らないことを揶揄する意味もある
「知らぬが仏」は、「知らなければ腹も立たず平静でいられる」という意味が転じて、ある出来事についてその当人だけが知らないで平気でのほほんとしていることをあざける意味でも使われます。
たとえば、周囲から悪口を言われていることに気がつかない人に対して「知らぬが仏」だと言って揶揄するような使い方をします。
「知らぬが仏」の「仏」に仏教的な意味はない
「知らぬが仏」の「仏」とは、「仏のように心が穏やかでいられる」という意味のたとえとして使われています。単に心が穏やかな状態の象徴として「仏」が使われているものであり、「知らぬが仏」に仏教的な意味はありません。
同じように仏教的な意味は特になく、優しい存在のたとえとして「仏」が使われることわざに「鬼にもなれば仏にもなる」があります。「鬼のようにこわいこともあれば、仏のように優しくもなる」という意味です。
「知らぬが仏」の由来は「江戸いろはかるた」
「知らぬが仏」の由来は「江戸いろはかるた」です。「江戸いろはかるた」とは江戸時代後期に成立した「かるた」の一種で、ことわざの内容を絵解きした絵札で構成されています。
「いろは」とは、平安中期に作られた47字の仮名を全て用いた七五調の「いろは歌」のことです。「いろはにほへと」から始まり「あさきゆめみし ゑひもせす」で終わります。「知らぬが仏」は「あさきゆめみし」のおわりの語「し」にあてられています。
「知らぬが仏」の使い方と例文
「知らない方が幸せだ」という意味の使い方と例文
「知らぬが仏」は、真実を知らないほうが幸せだという意味を一言で言い表す使い方があります。真実を知ってしまうと、気持ちが動揺したりする場合や、真実を知ったとしても対処できないような事態のときにあきらめの気持ちも込めて使われます。
- 夫に間違って賞味期限切れの缶詰を食べさせてしまったが、知らぬが仏だ
- 高値で買ったマンションの価格が暴落しているが、あえて知らぬが仏でいようと思う
「中途半端な知識で不安になるのはよくない」の意味で使う
中途半端な知識の詰め込みは不安を生じさせることがあることから、積極的に情報を遮断しようという意図で「知らぬが仏」を引用する使い方があります。
- 中途半端な情報によって不安になるくらいなら、知らぬが仏を選択することも大切だ
- 知らぬが仏というから、世界の終わりについて考えるのはやめておこう
「秘密にすることで穏便にすませる」ということを表す
「知らぬが仏」は、「真実を秘密にすることによって穏便にすませる」ことのたとえとして引用されることがあります。「知らぬが仏というから、これ以上追求しないでほしい」といった使い方です。
この場合、真実が明らかになると無用な騒動や混乱が生じるおそれがあるため、そのような事態を避けるためにあえて「知らぬが仏(知らなければ平静でいられる)」の状態を望んでいるわけです。
真実を知らずにのんびりしている人をからかう
周囲の人には既知の事実でありながら、当の本人がそのことを知らずに平気でいるという状況をからかうときに、「知らぬが仏」を使うことがあります。
会社の出来事でたとえるなら、リストラの対象となっていることを知らずにいる人に対して「知らぬが仏だ」などと発言します。この例でいえば、対象となる人をからかう気持ちに加えて、知れば気持ちが動揺して平静ではいられないだろうという憶測も含んで使われています。
「他人の嫌な部分をあえて見ない」という意味で使う
「知らぬが仏」は良好な人間関係を保つために、あえて他人の嫌な部分を見ないという意味で使われることもあります。他人のプライバシーに踏み込まず、適度な距離を保つための方法論として「知らぬが仏」と表現するのです。
良好な人間関係を保つために、「知らぬが仏」も時には有効だ
「知らぬが仏」の類語(類義語)・似たことわざ
「言わぬが花」とは黙っていることに値打ちがある
「知らぬが仏」の類語に「言わぬが花」があります。「言わぬが花」とは、物事の本質を露骨に言うことを避け、黙っていることに趣や値打ちがあるとする考え方を花にたとえた表現です。日本における古くからの美意識である「粋」の美意識が根底にあります。
「知らぬが仏」にもあれこれ詮索せず、知らないで穏便に済ませることが粋であるとの考え方も含まれています。
「嘘も方便」は場合によって嘘が必要なことを表す
「嘘も方便(うそもほうべん)」とは、目的を果たすためには本来は罪悪である嘘も必要な手段となるという意味です。真実を伝えるよりも、嘘を伝えたほうが相手のためになったり、場を収めることができたりするときにその考え方の根拠として示されることがあります。
「知らぬが仏」も知らない方がその人のためになる、という意味で使われることがあります。これはあえて真実を伝えない方がよい結果を招くとの考え方であり、「嘘も方便」と共通する意味を持ちます。
「沈黙は金、雄弁は銀」は雄弁よりも沈黙に価値がある
「沈黙は金、雄弁は銀(ちんもくはきん、ゆうべんはぎん)」とは、沈黙は雄弁よりも大切であるという意味です。多くを雄弁に語るよりも何も語らずに黙っていることに意味を見出す考え方です。
「知らぬが仏」は知らないことに価値があるとする考え方として使われることもあることから、共通した意味を持つといえます。
「見猿・聞か猿・言わ猿」は都合の悪いことは遮断する
「見猿・聞か猿・言わ猿(みざる・きかざる・いわざる)」とは、両目・両耳・口をそれぞれ両手でふさいだ三匹の猿の像をさしています。日光・東照宮にある像が有名です。
その意味とは、他人の欠点や自分に都合の悪いことなどは「見ない・聞かない・言わない」ことにより平和に暮らせるというもの。「知れば腹の立つようなことも知らなければ平静でいられる」という意味の「知らぬが仏」と共通する意味があるといえます。
ただし、「見猿・聞か猿・言わ猿」の意味には諸説あり、「子供のころは、悪事を見ない言わない、聞かないことで素直に成長する」という意味もあるとされます。また、「礼にかなわなければ見ない、言わない、聞かない」という意味の言葉が起源だとする説もあります。
「世間知らずの高枕」は世間知らずの人への揶揄
「世間知らずの高枕(せけんしらずのたかまくら)」とは、世間知らずで見聞の狭い人が、それを気にせずにのんびりとしている様子を皮肉る表現です。
高枕とは枕を高くして眠ることで、転じて安心して眠ることを意味します。世間しらずなのに危機感もなく安心している様子を高枕にたとえているわけです。
真実を知らない当人のみがのほほんとしている様子をあざける意味で使う「知らぬが仏」は、「世間知らずの高枕」と同じ意味で使われることがあります。
「知らぬが仏」の対義語とは?
逆の意味を補った「知らぬが仏、知るが煩悩」
「知らぬが仏」の対義語となることわざはありませんが、逆の意味を補った形の「知らぬが仏、知るが煩悩」という成句があります。
「知るが煩悩」とは、その字義通り「知ることによって煩悩が生じる」ということです。「仏」という仏教語に対応する言葉として同じく仏教の概念である「煩悩(ぼんのう)」を対峙させた表現です。「煩悩」とは、仏教において人の苦しみの原因となるものとされ、心を乱す欲望や心の汚れのことをいいます。
「知らぬが仏」と逆の意味「知は力なり」
「知らぬが仏」と逆の意味がある言葉として「知は力なり」があります。知識があることは力になるということを言い表しているため、知らないほうが幸せだという「知らぬが仏」の対義的な意味で使える言葉でしょう。
まとめ
「知らぬが仏」は、「知れば腹が立つようなことも、知らないでいれば仏のように穏やかで平静でいられる」という意味のことわざです。真実を知らない当人がのんびりしている様子を嘲笑う意味合いや、人間関係を良好に保つための方法論として「知らぬが仏」が示されることもあります。類語のことわざは「言わぬが花」や「嘘も方便」などです。