「石の上にも三年」の本当の意味は?使い方の例文や似たことわざも

「石の上にも三年」は、辛抱すればいつか成功できるということを表したことわざです。飽きっぽい人への忠告や、自らの座右の銘として使われています。この記事では、「石の上にも三年」の意味と使い方を例文とともに解説するとともに、類語・対義語などについても紹介していきます。

「石の上にも三年」の意味とは?

意味は「辛抱すればいつか成功できる」

「石の上にも三年」とは、忍耐強く辛抱すればいつか成功できるということを表したことわざです。

冷たくて硬い石であっても長く座り続けるとだんだん温まってくることから転じ、何かを成し遂げるためには忍耐強さが必要だということを表しています。

ことわざで「三年」は長期間という意味

「石の上にも三年」で提示されている「三年」は具体的な年数ではなく、長期間ということを指したものです。

ビジネスにおいても、資格取得の条件として「実務経験三年以上」があげられていたり、三年を目処に事業計画を作成したりするなど、一定の成果を得るために三年は必要とされています。また、ハイレベルのスキルを身につけるには約1万時間の修練が必要とされ、三年間ほぼ毎日10時間取り組めば実現できるものです。

ことわざで用いられている「三年」は具体的な期間を表したものではありませんが、ビジネスで通用するレベルを考えると「三年」は妥当な期間といえます。

「石の上にも三年」の由来は仏教の修行者

「石の上にも三年」の由来には諸説あります。代表的な由来は80歳の高齢で出家し、三年間休まずに石の上で座禅を組み続けたというインドのバリシバ尊者の逸話です。ほかにも、9年間壁に向かって座禅を続けて悟りを開いたとされる禅宗の開祖・達磨大師(だるまたいし)の逸話があげられます。

いずれも仏教発祥の地であるインドで仏道修行をしていた人物の逸話で、目的を達成するためには長期にわたる忍耐と努力が必要であるという教訓の元になっているものです。

「石の上にも三年」は意味ないという意見も

「石の上にも三年」は、成功への王道として語り継がれてきたことわざです。しかし、世の中の変化にともない、このことわざに懐疑的な意見も増えてきています。

現在では、三年もしないうちに勝ち筋が変わってしまうことはよくあることで、変化を見て時流に乗るというやり方のほうが成功できることも少なくありません。結論として「石の上にも三年」は、ケースバイケースで判断するのが正解といえそうです。

「石の上にも三年」の使い方と例文

「成功のためには我慢が必要」は間違い

「石の上にも三年」ということわざを、辛くてもとにかくやめずに続けなければならないというように解釈している事例をみかけることがありますが、これは間違いです。

「石の上にも三年」の真意は、何事かを達成するためには忍耐が必要ということを表すときに用いられるもので、成功のための我慢を求めるものではありません

「成功は一朝一夕に得られない」という意味で使う

「石の上にも三年」は、成功するためにはある程度の時間が必要であることを表すことわざです。素晴らしい成果を得るためには、それなりの時間や労力を投資することが必要なうえ、実を結ぶまで待たなければなりません。

つまり「石の上にも三年」とは、成功は一朝一夕に得られるものではないということを教えていることわざでもあるのです。

「石の上にも三年」を使った例文

  • 石の上に三年というのは真実で、上達するまでには継続的な努力が必要だ
  • 石の上にも三年というのだから、こんなに早くあきらめてはいけなと思う
  • 石の上にも三年というけれど、成功までに必要な期間は人それぞれだ

「石の上にも三年」の類語と似たことわざ

似た意味のことわざ「待てば海路の日和あり」

「待てば海路の日和(ひより)あり」とは、焦らずに待てばそのうち幸運がやってくることをたとえたことわざです。今荒れている海も待っていればいずれ船を出せるようになるもので、焦らずに待っていればいいということを表しています。

「待てば海路の日和あり」の場合、待っている間の忍耐は特に要求されておらず、この点が「石の上にも三年」との違いといえるものです。

例文

じたばたしても仕方ない、待てば海路の日和ありでここはじっくり構えよう

「継続は力なり」は続けることの威力を表す

「継続は力なり」とは、続けることの威力を指すことわざです。浄土宗の住友夜晃(すみおかやこう)氏が大正時代に創作した『讃嘆の詩(さんだんのうた)』に記された一文が由来となっています。

継続とはこれまでやっていたことを引き続いてやることを表したものです。したがって「継続は力なり」は、時間の長さだけではなくやり続けることによる蓄積に重きを置いたことわざといえます。

例文

朝の体操が日課の祖母は健康そのもので、継続は力なりを実証してくれている

「雨垂れ石を穿つ」も類語のひとつ

「雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)」とは、落ちてくる雨垂れが長い時間をかて石に穴をあけることから、わずかなことでも長く続ければ大きな成果が得られることをたとえたことわざです。

なお、「雨垂れ石を穿つ」の由来は、中国の歴史書である『漢書・枚乗伝』に記載されている「泰山之霤穿石」ですが、原典での意味合いは「悪い芽は小さいうちに摘み取るのがよい」というものです。

同じ意味として使える「牛の歩みも千里」

「牛の歩みも千里」とは、なまけずにやり続ければいつか成果が得られるものだという意味のことわざです。

足が遅い牛でも、歩き続ければいつしか千里に達していることから、地道な努力を続けることが大きな成果につながっていることを指すようになりました。

「積小為大」は似た意味の四字熟語

「積小為大(せきしょういだい)」は、積み重ねの大切さと小さなことをおろそかにすることへの戒めを表した四字熟語です。

二宮尊徳の伝記『報徳記』に記されている「小を積めば、即ち大と為る」が由来で、捨てられていたわずかな苗を植えて一俵の籾を収穫した尊徳の実体験に裏付けられています。

例文

積小為大の教えにしたがい小銭貯金を実践したら、車の頭金を貯めることができた

「石の上にも三年」の対義語

「一寸の光陰軽んずべからず」は時間を無駄することの戒め

「一寸の光陰(こういん)軽んずべからず」とは、たとえわずかな時間であっても無駄にしてはいけないという戒めです。「一寸」はわずかなもののことを、「光陰」とは時間のことを指しています。「少年老い易く学成り難し」に続く言葉として知られており、特に若い頃の時間を無駄にするなといっているものです。

「石の上にも三年」の実践が時間を無駄にしているものとは言い切れませんが、空白の三年にしない工夫は必須だといえます。

「時は金なり」はお金と同様に時間を大切にすること

「時は金なり」とは、時間はお金と同様に価値があり決して無駄にしてはいけないという意味です。由来はベンジャミン・フランクリンが語った「Time is money」ですが、米国では「機会損失」という意味合いで使われています。

失った機会はもう戻ってこないことを考えると、時間はお金より貴重なものとして扱わなければならないといえそうです。

「即時一杯」は今すぐ手に入るものがよいこと

「即時一杯(そくじいっぱい)」は「即時一杯の酒」がもとになった四字熟語で、後で大きなものを得るより小さくても今すぐ手に入るものがよいことを意味しています。

晋の時代、任官にこだわらず気ままに暮らしていた文人・張翰が語った「死んだあとの名誉より今飲める一杯の酒がよい」という言葉が由来です。

まとめ

「石の上にも三年」は、辛抱すればいつか成功できるという意味です。目標が大きければ大きいほど、その達成には時間が掛かります。途中で投げ出してしまいそうになったとき、「石の上にも三年」は自らを励ます言葉になります。ただし、決断の先送りや現実逃避の言い訳に使っている事例も見受けられるので注意しましょう。