文学になくてはならない「比喩」表現は、ビジネスのスピーチなどでもうまく使いこなしたい技法です。しかしそもそもの「比喩」の意味や効果、比喩法の種類や使い方についてはあまり知られていないのではないでしょうか。
この記事では、「比喩」について例文をまじえながら詳しく解説します。あわせて類語や、古典における隠喩(メタファー)の文章についても解説しています。
「比喩(ひゆ)」の意味と効果とは?
「比喩」の意味は”たとえる表現方法”
「比喩」の意味は、“たとえる表現方法”です。「比喩法」「比喩表現」とも言います。文学やエッセイなどにおいて、ある物事や心象を、別の類似した事柄に見立てて表現する手法です。会話でも使われます。
「比喩」の効果は「説明がわかりやすくなる」「強調できる」
「比喩」表現を用いることにより、伝えたいイメージをわかりやすくしたり、表現したい意味を強調できます。例えば性格の明るさを伝えたいとき、「明るい女の子」よりも「太陽のように明るい女の子」と、太陽にたとえることで、明るさとともに健全さのイメージなどが強調されます。
「比喩法」の種類とは?それぞれの使い方と例も紹介
「直喩(英語:simile)」と「隠喩・暗喩(英語:metaphor)」に大きく分けられる
「比喩法」は、「直喩(ちょくゆ)」と「隠喩(いんゆ)」(「暗喩(あんゆ)」とも言う)に大きく分類されます。
英語では直喩を「simile」、隠喩を「metaphor」と書きます。特に分類せず、比喩全体を意味する英語は「metaphor」です。
カタカナ語で「メタファー」と言うときは、「隠喩・暗喩」表現のことを指します。
「直喩」は「~みたいな…だ」と比喩であること明示する方式
「直喩」は、「まるで〇〇のような△△だ」「〇〇みたいな△△だ」などと、ある対象を別のものにはっきるとわかる形でたとえる方法です。
例文:
- 一筋の光が射したように、アイディアが浮かんだ
- 彼の心はガラスのように繊細だ
- 彼女の笑顔はまるで天使のようだった
- まるで清涼な水に洗われたように心がすっきりとした
「隠喩・暗喩(メタファー)」は「~は…だ」と比喩であることを明示しない方式
「隠喩・暗喩(メタファー)」は、たとえの表現だということをはっきり示さずにたとえる方法です。「まるで~のような」「~みたいな」という比喩だとわかる表現をせず、「~は…だ」という形で言葉を置き換えて表現します。
例文:
- 彼女は私の太陽だ
- 彼は裸の王様だ
- 恋は盲目である
- 人生とは旅である
「比喩」と似た技法や類語とは?
人間以外の対象を人間に例える「擬人法」「擬人化」
「擬人法」「擬人化(ぎじんか)」とは、人間以外の対象物を人間の性質にたとえて表現する比喩の方法の一つです。「空が泣いている」「花が楽し気に咲き誇る」などの表現です。
物事の性質や様子を表す「形容」
「形容(けいよう)」とは、物事の性質や様子などを言い表すことです。他のものにたとえて表す比喩表現も「形容」に含まれます。
想像を超える状況などにより、言葉で言い表せないときに「この素晴らしさはとても形容しきれない」「今回の事件は形容しがたい状況だ」などのようにも使われます。
抽象的なものを具象的なものにたとえる「象徴」
「象徴(しょうちょう)」とは、説明しにくい抽象的な概念などを、具体的なものや言葉によって表すことです。例えば純潔の象徴を白で、平和の象徴を鳩とするなどです。
象徴が抽象的なものを具象的なものにたとえるのに対して、比喩は具象的なものを類似した具象にたとえるものです。
「揶揄」は「比喩」の類語ではなく「からかう」という意味
「比喩」と似た発音の語に「揶揄(やゆ)」がありますが、両者の意味は全く異なります。「揶揄」とは、皮肉を言ってからかうという意味です。「気に入らない発言を揶揄する」「政治家を揶揄する漫画」などと用います。
「隠喩・メタファー」の宝庫である聖典から文章を紹介
イエス・キリストの言葉が記された『聖書』の「福音書」や、ブッダの言葉が記された仏教書の最も古い聖典『スッタニパータ(ブッダのことば)』は、「隠喩・メタファー」の宝庫であるといえます。普遍的な教えや教義は、わかりやすいたとえ話として伝えられました。
『聖書』の「福音書」におけるイエスの比喩表現
キリスト教の『聖書』に収められた「福音書」は、イエス・キリストの言行を記録したものです。イエスは、弟子や信徒たちに教えを述べるとき、比喩の中でもとくに暗喩(メタファー)を多用しました。わかりやすい暗喩とわかりにくい暗喩がありますので、それぞれを分けて紹介します。
わかりやすいメタファー
偽預言者に用心せよ。やさしい羊の皮をかぶって来るが、内側は強盗の狼である。
あなた達は地の塩である。世の腐敗を防ぐのが役目である。
体の明かりはあなたの目である。目が澄んでいる間は、体全体も明るいが、悪いとなると体も暗い。だからあなたの内の光である目、すなわち心が暗くならぬように注意せよ。
一見するとわかりにくいメタファー
狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。
→ことわざ「狭き門より入れ」のもとになった言葉で、困難なことこそ選択すべきだということを「狭い門から入れ」とたとえています。
真新しい布切れで古い着物に継ぎをあてる者はいない。また新しい酒を古い皮袋にいれる者はいない。
→意味のないことはすべきでないということをたとえ話で示しています。
『スッタニパータ』におけるブッダの比喩表現
仏教の始祖であるゴータマ・ブッダと弟子との対話録が『スッタニパータ』です。原始仏教の教えはブッダの比喩を多用した言葉によって伝えられました。その比喩表現の豊かさは、言葉が消費される現代において新鮮に感じられます。
寒さと暑さと、飢えと渇きと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、これらすべてのものに打ち勝って、サイの角のようにただ独り歩め。
怠りは塵垢である。怠りに従って塵垢が積もる。つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。
足りないものは音を立てるが、満ち足りたものは全く静かである。愚者は半ば水を盛った水瓶のようであり、賢者は水の満ちた湖のようである。
まとめ
「比喩」とは、ある物事や心象を、別の類似した事柄に見立てて表現する手法です。主に、たとえであることが分かるように伝える「直喩」表現と、たとえであることを明示せずに伝える「暗喩」表現があります。
暗喩はメタファーとも呼ばれ、聖典や文学で多用されます。連想を促すメタファーを用いることにより、表現に豊かさが増したり、世界観が広がったりします。
日本文学においては、三島由紀夫や川端康成、村上春樹などが洗練されたメタファーで定評があります。
ビジネスにおいても適切な比喩表現をスピーチなどに盛り込むことで、伝えたい事柄を強調したり、共感を得たりすることができます。文学や古典などで、なるほど!と思うような優れた比喩表現を発見し、自分なりの使い方で試してみてはいかがでしょうか。