「言語道断」の意味や由来とは?使い方・ビジネス例文と類語も

社会の出来事などを「言語道断」と断ずる批評を社会ニュースなどでよく目にします。ビジネスの場でも使われることが多い「言語道断」ですが、意味や由来などをご存知でしょうか?また「言語道断」の読み方は「ごんごどうだん」ですが、なぜ「げんごどうだん」と読まないのでしょうか?

この記事では、「言語道断」の読み方の解説も含めて、意味や由来を解説します。使い方とビジネス例文や類語も紹介していますので、参考にしてください。

「言語道断」の意味や読み方とは?

「言語道断」の意味は”話にならないほど正道から外れていること”

「言語道断」の意味は、“話にならないほど正道から外れていること”です。言葉で表現できないほどだという意で使われます。「もってのほか」「とんでもない」という意味と同じですが、四字熟語を用いることにより、より厳格な雰囲気を伝えることができます。

「言語道断」の読み方は”ごんごどうだん”

「言語道断」の読み方は、“ごんごどうだん”です。「言語」の一般的な読み方である「げんご」ではなく「ごんご」と読むのは、もともと仏教用語であったことに由来します。「ごん」と読むのは漢字音の一種「呉音(ごおん)」と呼ばれる読み方で、呉音は仏教系のことばに多く用いられます。「げん」の読み方は漢音です。

「言語道断」の由来とは?

「言葉に出す道が断たれる」という意味の仏教語が由来

「言語道断」は仏教語が由来の言葉です。「言語」は「言葉に出して表現する」意の仏教語です。「言語道断」は、「言葉に出す道が断たれる」という意味で、言葉では表現できない奥深い真理を表す表現です。

「言語道断」は、言葉にすることができない、言葉にするなどもってのほか、言葉にするなどとんでもない、という意味であるため、それが転じて「もってのほかなほどひどい」という別の意味に転じたものと考えられます。

「言語道断」は仏教由来のポジティブな意味で使われていた

「言語道断」は、鎌倉時代に成立した「平家物語」などでは、「言葉で言い表せないほど立派なこと」という意味で使われおり、古くはポジティブな意味の言葉でした。仏教語の文脈で「とんでもなくすばらしい」という肯定的な意味で使われていたようですが、現在は否定的な文脈でのみ使われています。

「言語道断」の使い方と例文とは?

「言語道断」は明確な批判を表明するときに使う

一般的な意味での「言語道断」は、道徳的な見地や一般常識上の通念から大きく外れ、あってはならないことに対して批判を表明するときに使われます。「言語道断かもしれない」「言語道断の可能性もある」などと立場があいまいなまま使われることはなく、断罪に近いニュアンスを持って使われることが多いです。

また、常軌を逸したようなある出来事や対象について、「それはありえない」「とんでもないことだ」という強い気持ちを四字熟語で端的に伝えたいときに使います。

「言語道断」のビジネス例文

ビジネスシーンでの「言語道断」の使い方の例文を紹介します。

例文:

  • 与党の説明に対して与党内から「言語道断」との批判が噴出した。
  • A社が不祥事を公表しなかったことは言語道断だ。
  • パワハラを容認するというのは言語道断で、あってはならないことだ。
  • 企業のトップが反社会的な組織と関係を持つとは言語道断だ。
  • 無断欠勤のうえ、謝罪もないとは言語道断だ。

「言語道断」の類語とは?

「言葉で言い表せないほどはなはだしい」という意味の”言語を絶する”

仏教語による「言葉に出して表現する」という意味の「言語(ごんご)」を「絶する(ぜっする)」とする「言語を絶する(ごんごをぜっする)」という表現は、「言葉で言い表せないほどはなはだしい」という意味を表します。

「言語を絶する苦しみ」「言語を絶する仕打ち」などと用います。「言語道断」よりも程度がはなはだしい場合に使われます。

「話す価値もない」という意味の”問答無用”

「問答無用(もんどうむよう)」とは、議論する必要もないほど価値のないことを意味します。「問答」とは、一方の質問に対してもう一方が答えるという意味で、「無用」とは、いらないこと、という意味です。つまり「問答無用」とは、「話し合いはいらない」という表現です。「問答無用で却下された」などと用います。

「言語道断」は、とんでもないことだときっぱりと裁断を下す言い方ですが、「問答無用」は、もはや議論する必要はないと相手を拒絶するときに用います。

「議論する価値もない」という意味の”論ずるに値しない・論外”

「問答無用」とおなじく、議論する価値もないことを「論ずるに値しない」や「論外」と表現します。「言語道断」と同様にもってのほかである、という意味でも使われます。

「そんな非常識な意見は言語道断だ」は、「そんな非常識な意見は論外だ」と同じ意味で使うことができます。「論外」よりも「言語道断」の方が相手を厳しく断罪するニュアンスが加わります。

まとめ

「言語道断」は、仏教語が由来の四字熟語です。仏教語では「言語」を「ごんご」と読み、仏教語の意味を離れて使う場合でも「ごんごどうだん」と読みます。本来の仏教語では、「言葉に出す道が断たれる」という意で「言葉にできないほど深遠な真理」を表す表現でした。

一般的な「言語道断」の使い方は、話にならないほど正道から外れている事柄や対象に対して、「とんでもない」「もってのほか」という気持ちを強く伝えたいときに用います。ビジネスやプライベートで使うときには、強い口調となりすぎないよう配慮が必要です。