「三人寄れば文殊の知恵」はポジティブなことわざで、誰に対しても使えると思っている人も多いかもしれません。しかし、詳しい意味を知ると、使う場面に注意する必要があることが分かります。使い方を確認しましょう。また、由来や類語、対義語もご紹介します。
「三人寄れば文殊の知恵」の意味
「三人寄れば文殊の知恵」の意味は「平凡な人でも協力すれば良い案がでる」
「三人寄れば文殊の知恵(さんにんよればもんじゅのちえ)」の意味は「平凡な人でも協力すれば良い案がでる」になります。「文殊(もんじゅ)」は知恵に優れた人の名前です。「平凡な人でも複数人で協力すれば、知恵に優れた文殊のような名案が出る」ということわざです。
「平凡な人」という意味合いがあるため、目上の人を含めて使うのは避けた方がよいとする意見が多くあります。
「三人寄れば文殊の知恵」の由来は仏教の文殊菩薩
「文殊」は知恵に優れた菩薩(ぼさつ)です。菩薩とは悟りを得て仏になるために修行をしている人を意味する仏教用語ですが、文殊は学力向上・合格祈願で有名な仏と紹介されることもあります。
本来は智慧(ちえ)という「物事の真理を見極める力」「真理を知り、迷いをなくす力」をつかさどる菩薩です。そこから一般的な知恵の象徴としても信仰されるようになり「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがが生まれたようです。
なぜ三人なのかの由来は不明
「三人寄れば文殊の知恵」が「三人」である由来については、詳細は不明です。ただし、3という数字は、奇数の1と偶数の2を合わせた数であり、中国ではすべての数字の包括的な存在だと考えられています。そのため「単純に数が多いことを示す例え」として使われることがあるようです。
ことわざの「三人」も、「単に人数が多い」ことを示しているのかもしれません。
「三人寄れば文殊の知恵」の使い方と例文
「三人寄れば文殊の知恵」は協力を申し出るときに使う
「三人寄れば文殊の知恵」は、友人や同僚が困っているときに、自分が手伝うと伝える表現に便利です。「三人寄れば文殊の知恵」の「平凡な人」というネガティブな意味合いも、自分を含めることで謙虚な表現にすることが可能です。
「三人寄れば文殊の知恵」は目上の人には使わない
「三人寄れば文殊の知恵」には「平凡な人が集まれば……」というネガティブな意味合いがあります。そのため、上司など目上の人を「三人」に含んで使うのは避けた方が無難です。
→部長を「三人」に含んでいる。
→部長は指示をしただけで、意見を出し合った「三人」に含まれていない。
「三人寄れば文殊の知恵」の類語
「三人寄れば文殊の知恵」の類語は「衆力功をなす」
「三人寄れば文殊の知恵」の類語は「衆力功をなす(しゅりきこうをなす)」ということわざです。意味は「一人では困難でも、多数で協力すれば成功する」になります。類語ではありますが、広く知られていないことわざのため言い換えに使うのは不向きです。
毛利元就の「三本の矢の教え」にも言い換えができる
相手が歴史ドラマや戦国武将が好きなら「三本の矢の教え」が言い換えに向いています。「三本の矢の教え」は「三矢(さんし)の教え」とも呼びます。
これは戦国武将の毛利元就が「矢は一本では簡単に折れるが、三本まとめるとなかなか折れない」という例え話で、一族で協力することを説いたという逸話です。過去に有名な歴史ドラマで取り扱われたこともあるので、知っている人は多いでしょう。なお、元就が一族の結束を説いた書物に矢の話はないため、史実ではない可能性が高いとされています。
「三人寄れば文殊の知恵」の対義語
「三人寄れば文殊の知恵」の対義語は「船頭多くして船山に登る」
「三人寄れば文殊の知恵」の逆の意味を持つ対義語は「船頭多くして船山に登る(せんどうおおくして、ふねやまにのぼる)」です。「指示をする人が多いと、物事が誤った方向に進んでしまう」という意味のことわざになります。
「船頭」は、ここでは「乗組員が複数いる船の船長」のことです。複数の船長がバラバラに指示を出すと乗組員が混乱し、船が山の上に登ってしまうような困った状況になるということが、ことわざの由来です。「大勢で協力すれば困難なことでも実現できる」という意味ではありませんので、ご注意ください。
まとめ
「三人寄れば文殊の知恵」は「平凡な人でも協力すれば良い案がでる」という意味です。
「平凡な人」というネガティブな意味合いあるので、「三人」に自分を含め、謙虚な表現として使用すると良いでしょう。また、目上の人を含んで使うのは避けた方が無難です。