「弘法筆を選ばず」の意味と由来とは?「弘法も筆の誤り」や類語も

名人は道具を選ばないという意味の「弘法筆を選ばず」ということわざ。しかしそれは間違いで、本当の意味は別にあるという説もあるようです。

そこでこの記事では「弘法筆を選ばず」の意味と出典を解説し、別の意味の根拠とされる弘法大師の言葉を紹介します。あわせて使い方と例文や、類語・対義語も解説します。加えて混同しがちな「弘法も筆の誤り」についても触れています。

「弘法筆を選ばず」の意味とは?

「弘法筆を選ばず」の意味は「名人は道具の良し悪しを問題にしない」

「弘法筆を選ばず(こうぼうふでをえらばず)」とは、名人や達人と呼ばれる人は、道具や材料の良し悪しなどは問題にせず、どんな道具でも見事に使いこなすという意味のことわざです。

「書の達人であった弘法大師は、どんな筆であっても立派な書を書いた」との言い伝えがもとになっています。

実際は、名人は筆を選ばないといった意味よりも、技術の乏しい者や下手な者が、できないことの言い訳として道具や材料についてとやかく言うことを戒める言葉として使われることが多いといえます。

「弘法筆を選ばず」の使い方と例文

「プロは道具を選ばない」ことのたとえとして使う

「弘法筆を選ばず」は、どんな状況であっても結果を出すのがプロであるという考え方を示すたとえとして使われたり、うまくいかないことを道具のせいにするのはプロとして失格だ、といったような精神論として使われます。

例文
  • 弘法筆を選ばずの精神で、作品の失敗を道具のせいにすべきではない
  • 弘法筆を選ばずと言うとおり、才能のあるアーティストは身近な物を利用して優れたアートを作るものだ
  • 「弘法筆を選ばず」と言うとおり、最新の道具がなくても結果を出すのがプロだ

「弘法筆を選ばず」の類語と対義語

同じ意味の類語「善書は紙筆を選ばず」

「弘法筆を選ばず」と同じ意味のことわざは他にも複数あります。「善書は紙筆を選ばず(ぜんしょはしひつをえらばず)」「能書筆を選ばず(のうしょふでをえらばず)」などです。

いずれも、名人や字を書くことが優れた人は、筆の良し悪しは問題にしないという意味であるとともに、上手にできないことや上手な字が書けないことを道具のせいにすることを戒める言葉として使われます。

腕の悪い職人ほど道具を選ぶという意味の対義語「下手の道具調べ」

「弘法筆を選ばず」の対義語には「下手の道具調べ(へたのどうぐしらべ)」があります。腕の悪い職人ほど道具を選びたがるものだという意味で、下手な人は道具のせいにするという意味を遠まわしに伝えています。

「弘法筆を選ばず」の対義語ではありますが、自分が上手にできないことを道具のせいにするのを戒める言葉であるということは共通しています。

同じ意味の言葉として「下手の伊達道具(だてどうぐ)」「下手の道具立て」などもあります。

「弘法筆を選ばず」の出典・由来と本当の意味とは?

「弘法筆を選ばず」の由来・出典は「弘法大師の伝説」

「弘法筆を選ばず」の由来・出典は、書の達人であった弘法大師にまつわる数々の伝説にあります。真偽のほどは定かではありませんが、川をはさんで対岸に置かれた額に、竹竿にくくりつけた筆で見事な書を書いたとか、口や手足に何本もの筆を同時に持って優れた書を書いたなどの伝説が残されています。

「弘法筆を選ばず」は、名人と呼ばれる人は道具を選ばないという実際的な意味ではなく、弘法大使がそれほどまでに書の天才だったということを表す言葉だったものが、転じて先に説明したような別の意味で使われるようになったのではないかと考えられます。

「弘法筆を選ばず」の本当の意味は逆?

「弘法筆を選ばず」は弘法大師の書にまつわる伝説から生まれたことわざだということを説明しましたが、実際に弘法大師自身は書の道具についてどのように考えていたのでしょうか?

弘法大師(空海)は、『性霊集(しょうりょうしゅう)』という漢詩文集に次の言葉を残しています。

「良工まずその刀を利くし、能書は必ず好筆を用う」

「腕のある良い職人はまず何よりも先に道具を研ぎ、優れた書家は必ず良い筆を使用する」という意味です。

「名人は道具を大切にメンテナンスし、良い道具を使用する」と言っていますので、弘法大師本人は「弘法筆を選ばず」とは逆の考えだったことがわかります。

「弘法筆を選ばず」は間違いなのか

言葉の意味により、「弘法筆を選ばず」は間違いだとする意見がありますが、空海の言葉である「良工まずその刀を利くし、能書は必ず好筆を用う」と、弘法大師空海の伝説から生まれた「弘法筆を選ばず」は、出所は別のものであると考えるのが適当だといえるでしょう。

「弘法も筆の誤り」も「弘法大師の伝説」から生まれたことわざ

「弘法筆を選ばず」と同様に、書の達人であった弘法大師の伝説から生まれたことわざに「弘法も筆の誤り」があります。「弘法」と「筆」の言葉が共通しているため、両者を混同してしまうことがあるかもしれないので、こちらの意味も確認しておきましょう。

「弘法も筆の誤り」の意味とは、書の名人である弘法大師でも書き損じがあるとの意から、達人でも時には失敗することがあるという例えとして使われます。

しかし実際には、書を書き損じた弘法大師は、筆を投げつけて一点を追加して書を完成させたとの伝説があり、名人は見事に修復するといった称賛の意味も含まれています。

まとめ

「弘法筆を選ばず」とは、直接的な意味としては「書の達人は筆の良し悪しを問題にしない」となりますが、自分が上手にできないことを道具のせいにすることを戒める言葉であることがポイントです。高い技術を誇る日本の職人が持つプライドを反映したことわざだといえそうです。

また「弘法筆を選ばず」は、弘法大師の伝説が転じて職人の理想とする姿を伝えることわざとなったものであるとともいえますが、弘法大師空海自身は優れた書家は必ず良い筆を使用すると述べていることが、このことわざの別の解釈を生む要因となっています。