「自然の摂理」との表現がよく用いられる「摂理」という言葉。「神の摂理」とも用いられ、思想的な背景があるように感じます。この記事では、「摂理」の意味や使い方・例文を解説します。あわせて類語や英語表現も紹介します。
「摂理」の意味と読み方とは?
「摂理」の意味は”自然界を支配する法則”
「摂理」の意味は、“自然界を支配する法則”です。ここでの「自然界」とは、自然そのものを指すとともに、この世界に存在するあらゆるものを包括する概念です。
「摂理」は人間が抗うことのできない自然界の法則であるため、抵抗したり是非を問うたりする対象ではなく、絶対的に従うものとして捉えられます。このような世界観を背景にした使い方が「自然の摂理に従って生きる」などの表現です。
キリスト教における「摂理」の意味は”神の意思”
「神の摂理」における「摂理」とは、キリスト教における“神の意志”を意味します。「神の計画」「神の導き」と表現されることもあります。神の意志や計画である「摂理」は、最終的には人を善に導くものとされています。
摂理の概念を土台にした物語は『聖書』の中にたびたび登場し、キリスト教を信仰する人々の人生観を形成してきました。キリスト教の世界では、神は人間の創造主であり、人間は神の深い配慮によって生かされているとする世界観があります。
「摂理」の「摂」は”ととのえる”という意味
「摂理」の「摂」は、”ととのえる”という意味を持ちます。健康に注意するという意味の「摂生」の「摂」も同じ意味です。
他には「取り入れる」という意味もあります。取り入れるという意味の「摂取」や、取り込むという意味の「包摂」などがあります。
「摂理」の「理」は”物事の筋道”という意味
「摂理」の「理」は、”物事の筋道・ことわり”という意味があります。「整理」や「管理」などの熟語があります。
「節理」の読み方は”せつり”
「摂理」の読み方は“せつり”です。
同じ「せつり」の読み方に「節理」がありますが、「節理」は”岩石に発達する割れ目”のことをいいます。「理」の意味とおなじ”物事の道理・すじみち”という意味もありますが、この意味で使用されることはあまりないようです。
「摂理」の使い方と例文とは?
「自然の摂理」という使い方が多い
「自然界を支配する法則」という意味で使われる「摂理」は、単独では意味がつかみにくいため、「自然の摂理」というように「自然」の語をあわせて用いることが多いようです。
「自然の摂理」の例文
「自然の摂理」を使った例文をご紹介しましょう。
- ウィルスは自然の摂理によって生まれた人類の災いである
- 人類は自然の摂理ともいえる感染症と共存してきた
- 感染症と共存する生き方は自然の摂理である
- 企業に必要なのは自然の摂理としての自浄作用だ
「神の摂理」はキリスト教の考え方で使われる
「神の摂理」という思想は、古代ギリシャ哲学に始まり、キリスト教の神学に引き継がれたものです。西洋世界における神は、世界や人類の「創造主」であることから、人間の人生や歴史は神の意志や計画によって生じていると考えます。「神の摂理」という表現が用いられる場合は、このようなキリスト教の思想が背景にあります。
日本における「やおよろずの神」と、キリスト教世界における神は全く異なる思想・概念であるため、「神の摂理」の概念は日本の神の概念とは異なるものです。
「摂理」の類語・言い換え方とは?
「自然の采配」は”自然の摂理”に近い意味
「自然の摂理」に近い意味で使われる表現に「自然の采配」があります。「采配」とは、”指図・指揮”という意味です。スポーツ報道において「監督の采配が功をきたした」などと使われます。
また、「自然の采配に従って生きる」は”自然の摂理に従って生きる”と同じような意味で使われます。
「自然の摂理」の類語は”森羅万象”
「自然の摂理」と似た概念が「森羅万象(しんらばんしょう)」です。「森羅万象」とは、”宇宙に存在する一切のもの”という意味で、自然の摂理が意味する自然界の法則という概念も含んでいます。
なお、日本の神の概念は森羅万象とも近いものであるため、日本における神の摂理は自然の摂理に包含されるといえます。
「摂理」の英語表現とは?
キリスト教の「摂理」は英語で”providence”
神学やキリスト教などにおける専門用語としての「摂理」は英語で”(divine) providence”と表現します。聖書における「摂理」の英語訳は providence が用いられています。
「自然の摂理」は英語で”laws of nature”
「自然界を支配している法則」の意味として日常で使う「摂理」は「law」と表現します。また、他には”体制、制度、体系”などの意味を持つ「dispensation」もあります。従って、「自然の摂理」は、”laws of nature”または”dispensation of nature”と表現出来ます。
まとめ
「摂理」とは、世界のあらゆるものを支配する法則のことをいいますが、大きな概念であるため、単独では使われにくく、意味を補足するように「自然の摂理」という言い回しで使われることが多いようです。
また、「神の摂理」という表現もよく用いられますが、ここでの神とはキリスト教世界における人間を采配する神であり、日本におけるやおよろずの神の概念とは別のものです。日本では、「自然の摂理」の中に神様を感じ取る感性があるといえます。