「魚心あれば水心」の意味と由来とは?使い方の例文と類語も紹介

「魚心あれば水心」は「相手が好意が持てば、自分も自然と好意が湧いてくる」という意味を持つことわざです。しかし「見返りを答える」という、ややネガティブな意味も持ち合わせることをご存じでしょうか?

ここでは「魚心あれば水心」の意味や由来をはじめ、使い方とその例文、類語や英語などを紹介します。

「魚心あれば水心」の意味と由来とは?

意味1「相手が好意を示せば自分も好意的になる」

「魚心あれば水心」は「相手が好意的な態度や言葉を示せば、自分も好意的になる」という意味を持ちます。つまり「相手が親しみを持って優しく接してくれれば、こちらも同じような気持ちで対応することができる」という意味です。

つまり、一方が笑顔で接してくれれば相手も笑顔になる、一方が心ある対応をしてくればこちらもそれに対して暖かい対応ができるという意味があります。

意味2「相手の対応によって自分の対応も変わる」

「魚心あれば水心」は「相手の対応によって、自分の応じ方も変わる」という意味も持ち合わせています。つまり、「相手が心地よい対応をしてくれれば、自分も心地よい対応で返すことができる」という意味に、「相手の出方次第」というニュアンスも加わるということです。

たとえば、「相手に歓迎されなければ、こちらも歓迎しない」「一方が鼻につくような態度をとれば、自分も不快な対応をする」といったことを表しています。

「魚心あれば水心」の由来は「水中に棲む魚と水の関係」

「魚心あれば水心」の由来は「川や海など、水中を棲み処とする魚と水との関係」です。水に棲む魚が、棲み処とする水に好意を抱けば、同じように水も魚に好意を抱くというところから来ています。

水と魚との関係は、生死にかかわる重要な関係にあるとも言えます。「魚心あれば水心」は、互いに好意を持たないと上手くいかないことを示すため、互いが好意を持てば上手に生活してくことができる、ということも表しているのです。「魚心あれば水心」は、水と魚の良好な関係が語源となったことわざとも言えます。

「魚心あれば水心」の読み方は「うおごころあればみずごころ」

「魚心あれば水心」の正しい読み方は「うおごころあればみずごころ」です。「魚心」を「ぎょしん」、また「水心」を「すいしん」などと誤読しないように気を付けましょう。また「魚心・水心」ともに「ごころ」と濁ります。

「魚心あれば水心」の英語表現

「魚心あれば水心」を英語にすると「You will get a return favor, if you do a favor to them」となります。意味は「相手に好意を示せば、自分もその見返りとして好意を抱かれる」となります。ほぼ直訳となりますが、これで意味はスムーズに通ります。

「魚心あれば水心」の良い意味での使い方と例文

「魚心あれば水心」を人間関係の心得として使う

「魚心あれば水心」は、相手が笑顔で接してくれれば、自分も親しみを持って接することができるという意味があります。つまり、一般社会で友好的な人間関係を築く際に、必要な心得として使うことができます。

たとえば、近所づきあいや、学校でのPTA活動など、家族以外の第三者とのつながりを土台から築く時、予想以上にストレスを感じることもあるでしょう。このような環境で「魚心あれば水心」ということわざを心に刻んでおけば、「相手に好意的に接すれば、快適な人間関係を築くことができる」と前向きな気持ちになることもできます。

このように「魚心あれば水心」は、「互いの心地よい関係」を表すため、良い意味で使うことができます。

「魚心あれば水心」は接客業の基軸となることわざ

ホテルやレストラン、また旅行関係などの「接客業」において、「もてなしの心」は欠かすことのできない概念の一つでしょう。

たとえば、ホテルやレストランで心無い対応をされたり、不愛想な扱いを受ければ不快な思いをするはずです。接客業である限り、感謝の心と笑顔でお客様を迎えることができれば、自然と良い評価が付いてきます。

「魚心あれば水心」は接客業の基軸となる考え方であり、好意的な対応をすれば客はまた足を運んでくれるという「良のサイクル」を示すことわざでもあると言えます。

「魚心あれば水心」を良い意味で使った時の例文

  • 魚心あれば水心というが、満面の笑顔で接してくれる後輩には、私も自然に優しくできる。
  • 私が留守の時、ご近所さんが荷物を預かってくれた。魚心あれば水心で、何か困った時は助けになりたい。

「魚心あれば水心」の悪い意味での使い方・例文

「魚心あれば水心」は悪い意味で「見返りを期待する」

「魚心あれば水心」は悪い意味では「見返りに答える」「好き嫌いの関係なしに、持ちつ持たれつの関係で付き合う」というネガティブな意味合いでも使うことがあります。

ビジネスシーンにおいては、取引先から必要以上の値引きや優遇を受けた場合、それに応じた対応を否応なしに求められることもあるでしょう。つまり、最初から見返りを想定し相手にやや強引に見返りを求めるケースです。

また、自分が好意的に思わない相手から優しくされたり、必要以上のもてなしを受けることがあります。受け入れたくない気持ちがありながらも、付き合いなどのしがらみから「仕方ない」と妥協しなければならないという場面でも使われます。

「魚心あれば水心」を悪い意味で使った時の例文

  • 新規の取引先から高価な接待を受けた。魚心あれば水心ではないが、おそらくこちらからの見返りを期待しているのだろう。
  • 魚心あれば水心というが、ライバル企業であっても、時には市場を分け合い、互いに助け合うことも必要なのかもしれない。

「魚心あれば水心」の類語や類似的な表現

「魚心あれば水心」の類語「君心あれば民心あり」

「君心あれば民心あり(きみごころあればたみごころあり)」は、「君主が人民を慈しみ、慕う気持ちがあれば、人民も君主を慈しみ慕うものである」という意味があります。つまり、広い意味では「相手が慕えば、こちらも慕う」「一方が慈しめば、相手も慈しむ」ということを表すことわざです。

「魚心あれば水心」とほぼ同義語で使われますが、多くは「上司と部下」「教師と生徒」のように、権力や能力などにおける上下の関係に対して使われます。

「落花流水」は「男女が互いに慕いあうこと」

「落花流水(らっかりゅうすい)」は「男女の関係において、互いに慕い思いあうこと」を意味する言葉です。落花は流れる水に乗って流れたいと思うものであり、逆に流れる水は落花を乗せて流れたいと思うことから生まれた四字熟語となります。

「落花流水」は、主に男女の良好な関係を表すだけに使うため、「魚心あれば水心」のように一般的な相手との関係にはほとんど使われません。

「ギブアンドテイク」は「互いに与え合うこと」

「ギブアンドテイク」は英語の「give and take」のカタカナ語で、「互いに与え合う」「奉仕し合う」という意味があります。たとえば、ビジネスにおいては、取引先との交渉の場や組合の話し合いなどのシーンで使うことが多くあります。

まとめ

「魚心あれば水心」とは「一方が好意を示せば、相手も好意的になる」「相手の出方によって自分の態度も変わる」という意味を持ちます。由来は「水を棲み処とする魚と水の関係」で、魚が水に好感を持てば水も魚に好感を持つことから来ています。