「百聞は一見にしかず」は何回も聞くより自分で見るのが確実という意味のことわざです。読み方は「ひゃくぶんはいっけんにしかず」で「百聞は一見に如かず」と表記することもあります。
ここでは「百聞は一見にしかず」の意味や使い方を例文とともに解説します。由来の漢文や類語・対義語、英語表現も紹介しましょう。
「百聞は一見にしかず」の意味と読み方とは?
意味は「何回も聞くより自分で見るのが確実」
「百聞は一見にしかず」の読み方は「ひゃくぶんはいっけんにしかず」です。意味は、何回も人に聞くよりも、実際に自分で見るほうがはるかに確実であるということ。「百聞」とは文字通り百回聞くことという意味であり「何回も聞くこと」の例え。「一見」は「一度見ること」「実際に見ること」をさしています。
何回も繰り返し人に聞くよりも、実際に自分の目で見て確かめるほうが確実で良いという教訓のようなことわざです。
漢字で「百聞は一見に如かず」と書くことも
「百聞は一見にしかず」は「百聞は一見に如かず」と表記することもありますが、どちらも間違いではありません。
「如かず(しかず)」とは「及ばない」や「そのほうが良い」といった意味の言葉。「如」は常用漢字で、音読みで「ジョ」や「ニョ」と読みます。しかし常用漢字の読みに訓読みの「し(かず)」は入っていないため、ひらがなで表記することも多いでしょう。
四字熟語で表すと「百聞一見」
「百聞は一見にしかず」を四字熟語にしたものが「百聞一見(ひゃくぶんいっけん)」です。
意味は「何回も人から聞くより自分の目で確かめるほうが確実」ということ。「百聞は一見にしかず」と同じ意味を持つ言葉。言い換えとしても使えます。
「百聞は一見にしかず」の由来・語源は?
由来は中国の漢書「趙充国伝」にある漢文
「百聞は一見にしかず」の由来は、中国の書物「趙充国伝(ちょうじゅうこくでん)」にあります。「趙充国伝」は、中国の漢書と呼ばれる前漢時代の歴史書のひとつです。
チベット系遊牧民族が起こした反乱を鎮圧するために相談された将軍「趙充国」が、その返答の中で「百聞は一見にしかず」という言葉を使用しており、漢文としては「百聞不如一見」と記載されています。前後の言葉の現代語訳を紹介しましょう。以下の通りです。
趙充国は「百聞は一見にしかずです。前線は遠いため戦略をたてるのは困難です。私が馬で金城(敵地)へ出向き、企図しましょう。」と返答した。
「百聞は一見にしかず」には続きがある
「百聞は一見にしかず」は中国の書物が由来の言葉ですが、実はこの言葉には続きがあります。主に知られているのは以下の通り、現代語訳を紹介します。
百聞は一見にしかず(百回聞くよりも、自分で見るべきだ)
百見は一考にしかず(百回見るよりも、自分で考えるべきだ)
百考は一行にしかず(百回考えるよりも、行動するべきだ)
百行は一果にしかず(百回行動するよりも、結果をだすことが重要だ)
「百聞は一見にしかず」以外の出典は不明であり、後から創作で作られたとも言われています。
「百聞は一見にしかず」の使い方と例文
実際に見てわかったことを伝える
何回も聞いて知ったつもりになっていることでも、実際に見たり体験したりすると違った感想を持つことがあります。「百聞は一見にしかず」は、その時の気持ちや様子を表すときに使うとより話が相手に伝わりやすいでしょう。
- 怖いと聞いていたあのラーメン屋の店長、百聞は一見にしかずと思って実際に行ってみたら気さくな人だったよ。
- 写真で何度も見ていたあの教会の壁画を初めて見に行ったが、なんて素晴らしいのだろう。百聞は一見にしかずというが、本当だった。
自分で確かめるように助言をする
人から聞いた話や本で読んだことだけで判断をしたり意見をしたりする人に、実際に自分の目で確かめるよう助言をするときにも「百聞は一見にしかず」という言葉が使えます。実際に見て確認することでわかることも多いため、教訓やアドバイスとして使える表現です。
- 人の話を聞いただけで怖がってるの?百聞は一見にしかずというし、実際に見に行ってみようよ。
- 本を読んだだけで分かった気にならないで、実際に自分でやってみては?百聞は一見にしかずとい言うでしょ。
「座右の銘」としての使い方
「百聞は一見にしかず」という言葉は「座右の銘(ざゆうのめい)」としても人気の高いことわざです。「座右の銘」とは、自分が大切にしている戒めや教訓のようなもの。いつも心に掲げていることで、自分を律する言葉のことです。
「百聞は一見にしかず」を座右の銘とする人は、何ごとにも興味関心を持ち行動力にあふれた印象を与えるでしょう。就活で座右の銘を聞かれた際に「百聞は一見にしかず」を挙げると、自身の積極性や行動力を相手にアピールできます。
「百聞は一見にしかず」の類語・対義語は?
「百聞は一見にしかず」と似たことわざ「論より証拠」
「百聞は一見にしかず」は何回も聞くより自分で見て確認するほうが確実というニュアンスで、シーンによっては似たことわざの「論より証拠」を言い換えとして使うこともできます。
「論より証拠」とは、あれこれと議論ばかりするよりも、はっきりとした証拠を示した方が確実であるということ。つまり、証拠となるものがあるなら何を言っても意味がないという意味のことわざです。「百聞は一見にしかず」とほぼ同じ意味の言葉と言えるでしょう。
「百聞は一見にしかず」の対義語は「耳を信じて目を疑う」
「百聞は一見にしかず」の対義語には「耳を信じて目を疑う」という言葉が当てはまります。
「耳を信じて目を疑う」とは、人の言ったことだけを信じて実際に自分で見たことを信じないということ。遠くのものや手の届かないものばかりをありがたがって、近くのもの身近なものを軽視するという意味のことわざです。また、昔のことを尊んで今のことを軽視するという意味でも使われます。
「百聞は一見にしかず」の英語表現は?
「百聞は一見にしかず」は英語で「Seeing is believing」
「百聞は一見にしかず」を英語で表現するには「Seeing is believing」という英語のことわざがよく使われています。「Seeing is believing」は、直訳すると「見ることは信じること」となります。つまり「自分の目で見ることで信じる」というニュアンスです。
「何回も聞くよりも」という前置きはありませんが、自分の目で確かめることが重要であるという「百聞は一見にしかず」の意味を英語表現するのに適したフレーズでしょう。
「To see is to believe」という英語フレーズも
「百聞は一見にしかず」は「To see is to believe」というフレーズでも表現できます。「To see is to believe」とは「見ることは信じること」というニュアンスの英語のことわざです。
前述の「Seeing is believing」ともほぼ同じ意味で「百聞は一見にしかず」の英語表現として使えます。
まとめ
「百聞は一見にしかず」は「しかず」を漢字表記にした「百聞は一見に如かず」とも表記できます。人から百回聞くことは自分で実際に見ることには及ばない、つまり何回も聞いて知るよりも自分の目で確かめたほうが確実であるという意味のことわざです。
中国の漢書「趙充国伝」が由来で、原文には「百聞不如一見」と記載されています。続きがあるとされていますが、後世の創作であろうと言われています。