「一蓮托生(いちれんたくしょう)」という四字熟語、どのような意味があるかご存知ですか?今回は、「一蓮托生」の意味をはじめ、もともとの語源や使い方などを、例文と一緒にご紹介します。
「一蓮托生」とは?
「一蓮托生」の意味は「運命を共にする」
四字熟語「一蓮托生」の意味は、”夫婦や親子のように縁が深く、先の結果や善悪はどうであろうと最後まで運命を共にして生きること”です。読み方は、「いちれん たくしょう」です。
「一蓮」は「ひとつの蓮華(れんげ)」をあらわし、「托生」には他のものに身を任せて(身を寄せて)生きるという意味があります。
「一蓮托生」の由来は仏教用語
「一蓮托生」は仏教用語を由来とする言葉です。字だけを見てもピンときませんが、お寺の仏像を思い浮かべてみるといずれも豪華な高殿に鎮座しているのが分かります。
仏教の世界では、極楽浄土に住む仏は「蓮台(れんだい)」と呼ばれる蓮の花の形をした高殿に座るといわれています。
語源の意味は「同じ蓮華に生まれる」
「一蓮托生」の仏教的な意味は、「死んだら同じ蓮華の上で会おう」という来世思想です。蓮華は泥の中に根を張って美しい花を咲かせることから仏教思想の象徴にもなっている花で、本来であれば蓮の上に座っているのは仏さまです。
しかし、神道と仏教が融合した「神仏習合」の文化を持つ日本には、古来より人が死ぬと仏さまになるという独自の発想があり、「一蓮托生」も日本仏教独特の用語だといわれています。
類語は「死なば諸共」
一般的な四字熟語の「一蓮托生」と同じ意味をもつ言葉に「運命共同体」「死なば諸共(しなばもろとも)」があります。
「道連れ」「全滅覚悟」「玉砕(ぎょくさい)」などの意味でも使われることも多い「死なば諸共」ですが、「諸共」は「一緒」のことで「死ぬときは一緒だ」という意味になります。
言い換えるなら「蓮の台の半座を分かつ」
「蓮の台の半座を分かつ」は、「はすの うてなの はんざを わかつ」と読みます。「台(うてな)」とは一般に、周囲を見渡すために設けられた高い建物のことで、ここでは極楽に住む仏が座る蓮台です。
語源は「一蓮托生」と同じですが、人が仲良く蓮台に並んで座るようすがイメージされることから「死なば諸共」のような悲壮感がなく、夫婦仲の良いことを言いあらわすときなどに適しています。
「一蓮托生」の使い方とは?
「一蓮托生」を使った例文
「一蓮托生」を使った例文をいくつかご紹介しましょう。
- 「夫婦は一蓮托生」と言われたのはもう昔の話で、近ごろでは熟年離婚も当たり前の話になった。
- 現代の核社会にあって、地球上の全人類はいわば「一蓮托生」だ。
- 北極の皇帝ペンギンは冬になると互いに身を寄せ合ってブリザードに耐え、一蓮托生の生活を送ります。
- 我々は苦楽を共にしてきた「一蓮托生」の仲じゃないか、今さら水くさいことを言うなよ。
- すべての生きものは、互につながりをもって生きる「一蓮托生」の関係です。
- 結婚指輪は「一蓮托生」の契りを形にあらわしたものです。
- こうなったら死なば諸共だ。ここで会ったのも何かの縁と割り切って、「一蓮托生」と行こうじゃないか。
「一蓮托生」と「一心同体」は場面によって使い分ける
「一蓮托生」と似た言葉に「一心同体」がありますが、厳密にはそれぞれ意味が異なります。
「一心同体」は複数の人が一致団結し、心身ともに強いきずなで結ばれているようすを表現した四字熟語で、言わば「気が合う」「阿吽の呼吸」「調和のとれた関係」です。死んだら極楽で再開しようという「一蓮托生」には強い覚悟が感じられるため、場面によって使い分けましょう。
「一蓮托生」の英語表現とは?
「一蓮托生」と同じ、「最後まで運命を共にする」という意味をもつ英語表現を見てみましょう。「運命」をあらわす単語には「destiny」「fate」のほかに、やや格式ばった「lot」があります。
意訳は「Common destiny」
- Common destiny.(運命共同体)
- share the same fate.(運命を共にする)
- share one’s lot with another.(宿命を共有する)
- Die all together.(死なばもろとも)
比喩表現では「same boat」
- To sail in the same boat.(同じ船で航海する)
- I’m in the same boat(私も同じ船に乗っています)
まとめ
「一蓮托生」は日本仏教の浄土信仰に由来する四字熟語で、「死んで仏になったあとも、極楽浄土でおなじ蓮華の上に生まれかわる」という意味です。本来「蓮華」は、仏が座る高台のことですが、人は死んだあと仏になるという日本独自の思想に基づいて生まれたのが「一蓮托生」という四字熟語。
夫婦や親子のように縁の深い者同士が運命共同体と共に生きることをあらわすほか、結果や善悪にかかわらず最後まで運命を共にするという場合にも多く用いられます。