「性善説」の正しい意味とは?「孟子」と例文から使い方を解説

「性善説」という言葉をよく聞きます。「性善説に基づく〇〇」というようにも表現されますし、日本は性善説に基づいた国だ、という意見も聞かれます。

そもそも「性善説」とは誰が提唱したものなのでしょうか?本来の意味から外れて誤用していることはないのでしょうか?「性善説」の疑問を解消できるよう、わかりやすく解説します。

「性善説」とは?

「性善説」の意味は「人は本来、善である」

「性善説」の意味は、「人は本来、善である」です。もう少し詳しくいうと、「人の本性は本来、善であるから、努力を惜しまなければ、立派な人間になることができる」という「説」です。

なお、「性善説」の「性」は「天から与えられた人の本質」を、「善」とは「道徳的に正しいこと」を、それぞれ示しています。

「性善説」のポイントは「備わった善は努力によって開花する」

「性善説」のポイントは、「人は本来、善である」そして「その善は絶えざる努力によって開花される」そしてその結果、「立派な人間になれる」というところにあります。

逆にいえば、人は本来「善」に生まれついているが、放っておくと悪に向かう可能性もあるので、立派な人になるために絶えざる努力が必要である、ということです。

以上のことから、人は本来「善」に生まれついているので放っておいても安心だ、という楽観的な考え方ではないということも注意するポイントです。

「性善説」とは誰の言葉?

「性善説」を提唱したのは「孟子」

「性善説」を提唱したのは「孟子」という中国の哲学者です。孟子は、今からおよそ二千三百年前の戦国時代の中国において、政治のあり方についての理想を各国の王に遊説して回りました。

富国強兵の戦国時代において、あえて「性善説」に基づく仁義や徳による王道政治を行うことを主張したのです。そのような、孟子の言葉や行いをまとめたのが『孟子』という書物です。

■参考記事
「孟子」の思想とは?訳と書き下し文や名言も紹介!性善説も解説

「孟子」が示した「性善説」の言葉・訳文

『孟子』に書かれた、性善説の上にたつ孟子の言葉と訳文を紹介します。

行いありて得ざる者あれば、皆かえりてこれを己れに求む
訳文:やってみてうまくいかない場合、相手を責めるより自分のやり方を反省すべきだ。

人を愛する者は、人つねこれを愛し、人を敬する者は、人つねにこれを敬す
訳文:人を愛する人に対しては、他の人もその人を愛する。人を敬う人に対しては、他の人もその人を敬う。

聖人と我れとは類を同じくする者なり
訳文:聖人も私たちも根本においては人間としてかわりはないので、学んで至れるはずである。

夜気以て存するに足らざれば、すなわちその禽獣をさること遠からず
訳文:良心を保つだけの力がなかったなら、もはやその人は禽獣とあまり変わらないものになる。
(「夜気」とは夜静かに安眠して得た良心の意味)

求むればすなわちこれを得、すつればすなわちこれを失う
訳文:求めれば得ることができ、捨てれば失う。つまり徳性はもともと内心にあるのだから、あとは人が求めるか、求めないかの心がけ次第である。

直さざればすなわち道はあらわれず
訳文:過ちは、ことばを尽くして正していかなければ、真の道は明らかにならない。

天にしたがう者は存し、天に逆らう者はほろぶ
訳文:天意にしたがうものは存立することができるが、逆らうものはほろびる。

「性悪説」とはなにか?

「性悪説」を唱えたのは「荀子」

孟子の「性善説」に対して、「荀子」という人が「性悪説」を唱えました。人は弱い存在であるため、あるがままに放任していると自己中心となり周囲に悪い影響を与えることから、学問によってこれを抑制しなければならないという説です。

「性善説」と「性悪説」の違い

人間の本性に対する主張は、孟子と荀子は異なります。しかし「努力によって立派な人になる」という論の意味では両者は共通しています。

くわしくは以下の記事で紹介していますので、ぜひご覧ください。

■参考記事
「性悪説」とは?唱えた人は誰?正しい意味と「性善説」との違い

「性善説」は誤用されている?

「孟子」とビジネス上の「性善説」では意味が違う

「孟子」が提唱したという「性善説」と、ビジネス上で使われることがある「性善説」については、以下の違いがあります。

  • 「孟子」:「人は本来、善であり、努力により開花させ、立派な人になることができる」
  • ビジネス上:「他人を善人だとして信用して接する態度」

「孟子」の「性善説」を使いたい場合に、ビジネス上において使われる意味で使ってしまうと、誤用になってしまいます。

しかし、孟子が提唱した「性善説」という意味とは別の意味合いとして、「性善説」を上述したような意味で用いるのは特に問題はないと考えられます。

ビジネスにおける「性善説」

ビジネスにおいて、グローバル社会へ発展する中で、日本人が海外の企業で働いたり、外国人と接する機会が増えてきました。海外の異文化と接するとき、根本的な考え方や商習慣の違いを発見し、「性善説」や「性悪説」の言葉を用いてその比較を語ることもあります。

この時に用いられる「性善説」は、「他人を善人だとして信用して接する態度」のことを意味する場合があります。また「性悪説」は「他人を悪人だとして疑って接する態度」のことを示している場合があります。

これは「孟子」が示した「性善説」とは、異なる意味になるので注意が必要です。

「性善説に基づく」の使い方と例文

「性善説に基づいて」は生き方の考えを示す表現

「性善説」の言葉は、「人に備わった豊かな可能性を努力して育て、立派な人間となるための道筋」という生き方を示すものであるといえます。そのような考え方を「性善説に基づいて~」と表現します。

「性善説に基づく」を使った例

  • 性善説に基づいて、日々自分の行いを絶えず反省したい
  • 性善説に基づいて、ほんとうに立派な人間をめざし、努力を続けたい
  • 性善説に基づいて、豊かで実りある人生を送りたい

「性善説」の英語表現

英語では「Man is by nature born to good man.」

ここまで説明した「性善説」の意味を英語で表現するのは難しいといえます。その意味の一部分を端的に表現する意味で、「人は、本来善人に生まれついている」という英文を紹介します。

  • Man is by nature born to good man.

まとめ

「性善説」は古代中国の哲学者であり思想家である「孟子」が唱えた説です。「人の本性は善である」という意味ですが、「不善とならないためには努力が必要だ」という意味も含まれていることがポイントです。

孟子の性善説は、人や自分に対する根本的な信頼から出発しています。本来備わっているはずの善を信頼できなければ、努力を続け、育てることもできないといえるでしょう。

ともすれば人間不信におちいりがちな現代の私たちに、「性善説」の教えは人間の生き方の原点を教えてくれるものではないでしょうか。