「セネカ」の思想とは?『人生の短さについて』と名言も紹介

ストア派哲学者として知られ、皇帝ネロの家庭教師もつとめた「セネカ」の思想は、のちにキリスト教の思想にも取り入れられ、西洋人に大きな影響を与えました。ここではセネカの思想や著書と名言などについて紹介します。



「セネカ」の思想とは?

まずはじめにセネカの思想について説明します。

セネカは後期ストア派の代表的哲学者

ルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年頃~65年)は、後期ストア派の代表的な哲学者であるとともに、ローマ帝国の政治家でもありました。セネカは多くの著書を執筆し、政治と哲学および文芸で活躍しました。その著書は道徳論や、よりよい生き方を具体的に説く実践哲学の書などがあり、人々の思想や考え方に大きな影響を与えました。

「自然に従うこと」がストア派の思想

ストア派とは、古代ギリシャのゼノン(紀元前335年頃~263年頃)が創始した哲学の学派で、当時のギリシャ哲学を代表する学派です。地中海世界の中心がローマに移ると、ストア派はローマでも盛んになり、セネカが活躍しました。

ストア派の原則は「自然に従うこと」です。宇宙の大原則に身をゆだね、不安や欲望を取り除き、神的な自然への服従を実践する生き方が理想とされました。

 

※ストア派に哲学については以下の記事で紹介していますので参考にしてください。
「ストア派」の哲学とは?禁欲やロゴスの意味と名言を紹介

「セネカ」の生涯とは?

次にセネカの生涯について説明します。

セネカの父は「大セネカ」

セネカはローマの属州であったヒスパニアという今のスペインの都市コルドバに生まれました。セネカの父は名が知られた弁論家であり、セネカと区別するために「大セネカ」と呼ばれます。息子のセネカは小セネカと呼ばれます。

セネカはネロに死を命じられ自害した

セネカは第5代皇帝ネロ(37年~68年)の家庭教師を務め、のちには補佐役となって政治を支えました。しかしネロの暴政を制御できなくなると、セネカは政治生活から身を引きます。その後、陰謀に加担したという嫌疑をかけられ、ネロに死ぬことを命じられたセネカはその命令を受け容れ、自害しました。

ストア派の哲学では、生命は絶対的な善ではなく、自殺を悪とはしていませんでした。死は合理的な理由があれば善でもあったのです。セネカが躊躇せず死の命令に従ったのはストア派の哲学に従ったものだと考えられます。

セネカの著書を紹介

セネカは多数の戯曲や著書を残しました。日本でよく読まれている著書についてと、戯曲について紹介します。

『人生の短さについて』

セネカの代表作である本書は、ローマ帝国の食料管理官であったパウリヌスにあてて綴られています。パウリヌスの仕事は重職で多忙だったため、セネカは職を辞して時間の無駄遣いを改めるように勧めています。

セネカの言う時間の無駄遣いとは、自分自身と向き合うことを避け、あえて多忙な生活を送ることです。そのような時間からは退屈と倦怠しか生まれないと批判します。

『心の安定について』

本書はセレヌスという青年の悩み相談に答える形で書かれています。まず悩みの分析に始まり、よりよく生きる具体的な心構えを説いてゆきます。心の安定という善は絶えず脅かされているため、不断の気配りが必要だと述べられます。

『母ヘルウィアへのなぐさめ』

セネカはクラウディス帝の時代に、コルシカ島に8年間の追放を命ぜられました。その流刑地から母にあてて綴った手紙が『母ヘルウィアへのなぐさめ』です。ストア派の教えに従って苦難を耐えたセネカの人生観が著されています。

セネカは、追放は悪ではなく、追放は偽りの財産をわれわれから奪ってくれるにすぎないことだと、ストア派の逆説の考え方によって慰安の道を見出しています。

『怒りについて』

本書は元老院議員であった、セネカの兄に宛てて書かれています。怒りを避けて平静に権力を行使する理性への従い方について述べられています。

「悲劇」の戯曲

セネカは「悲劇」をテーマとした戯曲も執筆し、『アガメムノン』『トロイアの女たち』などの10編が現在に伝わっています。セネカの「悲劇」は、紀元前2世紀に始まった舞台劇以来の伝統的なギリシャ悲劇である古典劇として書かれました。セネカは悲劇の物語を通して、人間の弱さとともに魂の力について自問しました。

セネカの「名言」を紹介

最後にセネカの著書から名言を紹介します

◆『人生の短さについて』より

われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。

生きることから最も遠く離れているのが多忙な人間だ。生きることを知るのはなによりも難しいことなのだ。

ひとは、互いの時間を奪い合い、互いの平穏を破り合い、互いを不幸にしている。そんなことをしているうちは、人生にはなんの実りも、なんの喜びも、なんの心の進歩もない。

あらゆる世俗的な営みから離れて生きる人の人生は、たとえどんなに短くとも、十分に満ち足りている。だからこそ賢者は、いつ最期の日が訪れようとも、ためらうことなく死に向かっていくだろう。

◆『心の安定について』より

君のもって生まれた力が導いてくれる方向に向かっていくべきだ。もって生まれたものに逆らうと、努力も無駄に終わるのである。

運命の女神のほほえみを受けたことのない人の方が、運命の女神に見放された人よりも、快活である。

気づいてほしい。すべての状況は変化してゆく。誰かに起こることは、君にも起こりうる。

まとめ

セネカは2千年前に、ローマ人の多忙な生き方を「今を生きていない」として批判しました。自分のほんとうの時間を取り戻すようにと、『人生の短さについて』などの書籍で繰り返し説いています。さらに、使い方を誤れば人間を破滅に陥れるものだとして、必要以上の財産や贅沢をセネカは批判しました。2千年たっても人間の生活態度への反省点は変わらないといえます。