「サルトル」とは?名言や思想を紹介!『嘔吐』や実存主義も解説

20世紀の実存主義哲学の旗手といわれる「ジャン・ポール・サルトル(1905年~1980年)」は、その主著『嘔吐』がよく知られています。サルトルの実存主義とはどのような思想なのでしょうか?この記事ではサルトルの哲学とその言葉や名言を解説します。

「サルトル」とは?

サルトルとは「実存主義」の代表者

サルトルとは、フランスの哲学者、小説家、劇作家です。パリの16区に生まれ、ブルジョワ知識人階級の中で育ちました。

小説や哲学論文のほか、戯曲や評論など幅広い文芸活動を行い、世界中で高い評価を受け、フランスを代表する文芸家でもあります。

フッサールやハイデガーに影響を受け、小説『嘔吐』、哲学論文『存在と無』『弁証法的理性批判』などを著し、現象学の権威・実存主義の代表者といわれます。

生涯の伴侶は「ボーヴォワール」

サルトルの生涯の伴侶は在学中に知り合ったシモーヌ・ド・ボーヴォワール (1908年~1986年) でした。ボーヴォワールはフランスの哲学者、作家、フェミニスト活動家です。主著は「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」で始まる『第二の性』などで、20世紀の女性解放思想の草分けとされています。

二人は自由意志に基づく個人の選択を重視することから、婚姻関係や子どもを持たず、互いの性的自由を認めながら生涯を共に生きました。

その二人の関係を伝記的に描いたフランスのテレビ映画『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』は、2006年に数か国で放送され、その後日本でも劇場公開されました。

サルトルの実存思想「実存は本質に先立つ」

実存主義の思想を初めて表現したのはキルケゴールですが、キルケゴールはあくまでも自分にとっての真理を追及しました。サルトルに影響を与えたハイデガーの実存とは、死を意識して生きるという死に向かう実存でした。

サルトルは「実存は本質に先立つ」という表現で、自由である人間は本質(自分自身)をあとから自分で作らなければならないという実存を説きました。

サルトルから広まった実存主義の原理は、サルトルの言葉「人間はみずからつくるところのもの以外の何ものでもない」で表わされます。

サルトルの哲学は「神論的実存主義」

サルトルは実存主義を「キリスト教的実存主義」と「無神論的実存主義」の二つに分け、自分を「無神論的実存主義」と呼びました。ギリシャ哲学以来の、存在を神の位におく考え方をサルトルは覆したのです。サルトルにとっての存在とは、神的なものでも超越者でもなく、完全性も真理もない、ただ存在はある、としたのです。

「存在はそれ自体においてある」「存在はそれがあるところのものである」というサルトルの言葉があります。サルトルの存在論は革命的だとされますが、哲学においての存在にまつわる虚妄を暴いたことがその理由です。

サルトルは「アンガージュマン」を提起した

サルトルは「私はどのように生きるべきか?」の問いへの答えとして「アンガージュマン」という概念を提示します。アンガージュマンとは、自分の中にとじこもらず、「主体的にかかわること」という意味で、社会参加や政治参加の思想をアンガージュマンの言葉を用いて説ききました。

「サルトル」の著書を紹介

数あるサルトルの著書の中から、一部を紹介します。

『嘔吐』1938年

『嘔吐』(おうと)は、二十世紀のフランス文学を代表する傑作とされ、実存をテーマとしています。本書はアントワーヌ・ロカンタンというサルトルの分身ともいえる人物によって書き綴られた、日記の形式による小説です。その内容は形而上学的なもので、サルトルの哲学が小説によって表現されています。

主人公の存在に対する嫌悪感は「吐き気」として表されます。ただたんに、何の意味もなくそこにある存在は、嫌悪すべきものであり、不条理なものでした。

人生とは、存在とは何かを正面から追及してゆき、最終的には、あらゆる存在に必然性はなく、ただそこに偶然にあるだけだという発見を主人公がするところで終わります。

『存在と無』1943年

『存在と無』は哲学的なサルトルの主著で、若者が熱狂し、実存主義ブームが起こりました。副題は「現象学的存在論の試み」であり、本書はフッサールの現象学の立場に立ち、ハイデガーの影響を受けた「存在」について論じたものです。人間存在の自由の問題を探求し、理論的に体系化しました。

本書では「実存は本質に先立つ」という実存の命題が掲げられます。つまり、人間の実存(存在)は、あらかじめ決められた何かのために存在するのではなく、自分自身で選択していくものだとしました。

『出口なし』1944年

『出口なし』は戯曲で、死後の世界の地獄に集まった三人の会話で進行します。しかしお互いを決めつけるばかりで理解しあおうとせず、最後には卑怯者と決めつけられた男が「地獄とは他人のことだ」と叫びます。

『実存主義とは何か』1946年

1945年にパリで行われた「実存主義はヒューマニズムである」という講演の内容を収めた本が『実存主義とは何か』です。第二次世界大戦が終結した年の10月に行われたこの講演には多くの人々がつめかけたといいます。本書は実存主義の入門書と呼ばれています。

この講演で「実存は本質に先立つ」の意味について具体的に説明しています。

実存が本質に先立つとは、人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだということを意味する。人間はあとになってはじめて人間になるのであり、人間は自らがつくったところのものになるのである。このように、人間の本性は存在しない。(一部省略)

さらにサルトルは、人間はなんの助けもなく世界に投げ出されて、与えられた状況の中で選択し、その自分のなすことに責任があるとして、その意味で人間は「自由の刑に処せられている」「自由であるとは、自由であるように呪われている」ともいい、自由の重荷を表現しました。

「サルトル」の名言とは?

サルトルの著書『存在と無』『実存主義とは何か』から名言紹介

実存は本質に先立つ。

人間は自由の刑に処せられている。

人間は自由であるように呪われている。

人間は、ひとつの無益な受難である。

人間はあとになってはじめて人間になるのであり、人間はみずからがつくったところになるのである。

サルトル入門のための「おすすめの本」を紹介

小説「嘔吐」

サルトルの入門書として、サルトルの実存が描かれた小説『嘔吐』をおすすめします。下記の本は新訳で読みやすく、わかりやすい解説もあります。

まとめ

サルトルは小説「嘔吐」で認められ、その後、実存主義思想家として世界にその名を知られました。小説や論文などの創作活動を行うとともに、第二次世界大戦後の混乱期に「アンガージュマン」として主体的、積極的な政治・社会参加を説きました。

サルトルの実存主義は、戦争によって価値観が崩壊したドイツ、フランス、日本などの青年層に圧倒的に支持されました。どう生きるかは自分が選ぶ、自分が行動することで自分が自分をつくりあげてゆくという思想は、混乱していた若者に希望を与えたのです。

やがて戦後の混乱を脱した60年代以降になると、現実は変えることができないという構造主義が現れ、実存主義は衰退してゆきました。