古代キリスト教における最大の思想家である「アウグスティヌス」の思想は、道元や親鸞との類似性がしばしば指摘されます。この記事ではアウレリウス・アウグスティヌス(354年~430年)の生涯とその思想や、著書『告白』や『神の国』、そして名言も紹介しています。
「アウグスティヌス」の生涯とは?
アウグスティヌスとは「初期キリスト教の思想家」
「アウグスティヌス」とは、初期キリスト教における最大の思想家です。古代ローマ帝国の末期に生きたキリスト教の神学者です。アウグスティヌスは深く心をみつめ、キリスト教神学の土台を確立し、キリスト教の聖人に列せられています。
アウグスティヌスの博愛の思想は、とりわけ貧しい人々や差別されている人々に希望を与え、大きな支持を得ました。
苦悩の青年期を過ごしキリスト教に回心した
青年期のアウグスティヌスは、快楽や激情に流される弱い自分への苦悩のうちに過ごしていました。31歳のとき、子供が外で「取って読め、取って読め」と歌う声を聞き、開いた聖書「ローマ信徒への手紙」に「享楽と泥酔、淫色と好色、争いとねたみを捨てよ。イエス・キリストを着よ。肉欲をみたすことに心を向けるな」と書かれているのを読みます。
アウグスティヌスはこれを神の声として聞き、キリスト者として信仰の道を歩む決心をします。このことは著書『告白』に書かれており、アウグスティヌスの回心のエピソードとしてよく知られています。
蛮族に包囲される中で息を引き取った
アウグスティヌスは37歳から北アフリカの都市ヒッポの教会の司祭となり、のちに司教となりました。430年にはヨーロッパから北アフリカに侵入したヴァンダル人によってヒッポが包囲され、町が戦火に包まれる中、アウグスティヌスは息を引き取りました。西ローマ帝国が滅亡したのは476年のことでした。
「アウグスティヌス」の思想とは?
根本命題は「すべてのものは、神のあわれみによって存在する」
アウグスティヌスの根本命題は「すべてのものは、神のあわれみによって存在する」というものでした。阿弥陀如来に全てを任せきる親鸞の思想や、仏陀のいわれたことにただ従うとする道元の思想に通ずるものがあるといえます。
アウグスティヌスは「中世思想の土台を形成」した
アウグスティヌスは、中世の時代が始まる境目である古代ローマ帝国の末期に、哲学と信仰を結び付けた思想を打ち立てました。「西欧の父」とも呼ばれるほどに、アウグスティヌスの思想はその後の西欧の思想の土台となりました。
「自由意志論」と「恩恵論」
『告白』の中で「あなたの命じるものを与えたまえ、あなたの欲するものを命じたまえ」とアウグスティヌスが書いた祈りの言葉に対して、修道僧のペラギウスはそれを人間の道徳的責任を無視する思想であるとして非難しました。
ペラギウスは人間には善いことも悪いこともできる自由意志があり、これを尊重しなければならないと考えたのです。それに対してアウグスティヌスは、人間は本来、無から造られたのであり、放っておけば必然的に無を意思する、人間は神の恩恵なしには善をなしえないとして反論しました。
アウグスティヌスはこの他にも多くの論争に明け暮れ、それを通して自由意志論や恩恵論などの思想が形成されてゆき、やがてそれはカトリック教会の教理の基本を支えるものとなってゆきました。
アウグスティヌスの自由意志論は、ショーペンハウアーやニーチェなどの「生の哲学」にも影響を与えました。
フッサールが言及する「時間論」
アウグスティヌスは『告白』第11巻において、「時間」について論じました。現象学者のフッサールは著書『内的時間意識の現象学』において、「『告白』の第11巻14章から28章は、徹底的に研究すべきものである」と言及しました。
その該当箇所には次のような文章があります。
時間とは何でしょうか。これをたやすく簡単に説明できるものがあるのでしょうか。(中略)厳密にはこういうべきでしょう。「三つの時がある。過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在」この三つは魂以外のどこにも見出すことができません。
アウグスティヌスは、時間のありかを人間の精神にあるとしました。フッサールは、時間についての研究は、アウグスティヌスを凌ぐものは今日においてもまだないと述べています。
アウグスティヌスの思想を継承した「トマス・アクィナス」
中世イタリアの神学者、トマス・アクィナス(1225年頃~1274年)は、アウグスティヌスの思想を継承しながら、神学とアリストテレス哲学を調和させ、信仰と理性を統合しました。
トマス・アクィナスの主著『神学大全』においては、アリストテレスとアウグスティヌスの著書から多くの引用を行いながら、持論を構築しています。
「アウグスティヌス」の著書と名言を紹介
『告白』(告白録)
『告白』は、アウグスティヌスが司教になってから三年目、四十三歳のときに着手し、自分の過去を告白する形で書かれたものです。三つの部分から成り、一つは罪びとであった過去の自分と感謝の告白で、二つ目は現在の自分について、三つ目は聖書の解釈が書かれています。
「この私のような罪人の上にそそがれた神のあわれみを知って、人々は勇気をふるいおこし、絶望から逃れるであろう」と書かれているように、人々に神の恩恵を伝えるために書かれました。
『三位一体論』
『三位一体論』は『告白』に続く探求の書です。アウグスティヌスは心の奥に存在する三位一体の類似性を見つけ、人間精神の構造の中に三位一体の信仰を探求しました。「三位一体」とは、「父なる神・子なるキリスト・聖霊」を表すキリスト教の根本思想です。
アウグスティヌスは、イエス・キリストを神の「ことば」として、聖霊を神の「愛」として、父なる神を「ことば」と「愛」から生じる「根源」として把握しました。三位一体は奥義であり、理性による証明や把握ができるものではないとして、人間の心の活動と比較して説明したのです。
『自由意志論』
アウグスティヌスは『自由意志論』において、悪の根源は人間の意思であるとしました。そして人間は、自分の力ではいかなる善も意思できず、善を意思するときは、神によってせしめられている、よって、人間はひたすら神のあわれみにすがることだと説きました。人間の弱さを徹底的に説いたのです。
『神の国』
『神の国』は413年に着手し、426年に完成したアウグスティヌスの主著です。本書は、異教徒のキリスト教への非難をうけ、キリスト教会を弁護する目的で書かれた教理書です。異教徒とは、ローマの伝統的な神々を信ずる人々のことです。
キリスト教はローマ帝国において当初は迫害されていました。しかし313年のコンスタンティヌス帝によるミラノの勅令によって信教の自由が許され、さらに帝もキリスト教に回心します。すると逆に伝統的宗教が抑圧されることとなり、異教徒は当時の蛮族の侵入をキリスト教の責任だとして非難しました。
アウグスティヌスの示す「神の国」とは、キリスト教の実在の形態として地上に実現した「教会」のことでしたが、中世以降の教会の絶対主義的な腐敗を招いた思想ともなりました。
アウグスティヌスの「名言」
『告白』からアウグスティヌスの名言を紹介します。
ただ神のうちにのみ、希望とよろこびがある
キリストこそは、真実の仲介者である
人は自分自身を完全に知ることはできない
全ての人が至福でありたいと思うためには、至福を知っていなければならない
神によって時間が創造される以前には、いかなる時間もなかった
聖書について論ずる人々は、意見は異なるにしても、愛と真理にたいする熱意という点で、お互いに一致しなければならない
まとめ
古代キリスト教の教えに広大かつ決定的な影響を与えたアウグスティヌスの思想は、中世以降もその根幹は受け継がれ、現代においてもその影響は薄れていません。
キリスト教が広くは普及していない日本においては、アウグスティヌスの思想はあまり知られていないといえます。ところが道元や親鸞の思想との類似がしばしば指摘されるように、アウグスティヌスの、人間の弱さに寄りそう思想は、日本人の思想に受け入れられやすいといえます。
さらにまた、アウグスティヌスが自分の悪について向かい合った姿勢も、親鸞に通ずるものがあるといえるでしょう。